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27/61

46日前 返答 

翌朝。


昨日と同じ部屋に、同じ卓が置かれていた。


窓の外には王国と帝国、二つの旗がある。


レオンハルトは今日は見なかった。


帝国使節が席につく。


昨日と同じ男。


補佐役も同じ二人だった。


形式的な挨拶だけが済む。


使節が口を開くより先に、レオンハルトが言った。


「返答する」


「はい」


「宝玉は渡さない」


記録官の筆が紙を擦った。


使節は驚かなかった。


顔色も変わらない。


「理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか」


「帝国の考えが間違っているとは言わん」


使節がレオンハルトを見る。


「では、なぜ」


「安全だと分からないからだ」


レオンハルトは使節の目を見た。


「十日で水が死んだ国がある。それを知っていて、同じことを俺の国では試せん」


使節は少し黙った。


「一国を守るために、王冠の完成を遅らせる可能性があります」


「ああ」


返答は早かった。


「否定なさらないのですね」


「できんものはできん」


帝国の話が正しい可能性はある。


宝玉を集めなければ、もっと多くの国が死ぬのかもしれない。


そのことは昨日、十分考えた。


「俺が間違っている可能性もある」


オルフェンが隣で静かに聞いている。


「それでも、今ここにいる民を、可能性だけで差し出すことはできない」


使節はしばらくレオンハルトを見ていた。


やがて手元の書類へ視線を落とした。


「陛下のお考えは理解しました」


「納得したとは言わないんだな」


「それを申し上げれば嘘になります」


「そうか」


「我々も、可能性だけで動いているわけではありません」


使節が顔を上げた。


「帝国領でも灰化は進んでおります。昨年住めた土地が、今年も住めるとは限らない。耕地も水も減り続けています」


「昨日聞いた」


「はい」


男はそこで終わらなかった。


「ですから、我々にも時間がありません」


部屋の空気が少し変わった。


使節は一枚の書類を前へ出した。


「戦争を避ける方法は、まだございます」


レオンハルトは書類を見ない。


「宝玉を渡せ、と?」


「はい」


「答えは変わらん」


「条件をお聞きください」


オルフェンが書類へ視線を落とした。


レオンハルトもようやく見る。


「宝玉をご譲渡いただいた場合、ヴァレイン王家の存続について、我が帝国は必ずしも否定いたしません」


レオンハルトの眉が動いた。


「王位を残すと?」


「現状と同じ形とは申し上げられません。しかし、統治機構をすべて破壊する必要はないと考えております」


「帝国の下で、この国を治めろと」


「そうなる可能性はございます」


「俺たちだけ生かす話か?」


「いいえ」


レオンハルトの眉が動いた。


「民はどうなる」


「王家、重臣などを含め、この国の民のおよそ半数については、我が帝国で受け入れ、保護することをお約束します」


レオンハルトは使節を見た。


「……半分」


「はい」


「王家と重臣も、その半分の中だな」


「別枠ではございません」


「残り半分は」


使節は視線を逸らさなかった。


「保護をお約束できません」


レオンハルトの目が冷える。


「国中の人間を守るとは言えないんだな」


「言えません」


オルフェンが初めて口を開いた。


「理由を伺いましょう」


使節は頷いた。


「帝国にも、受け入れられる人間の数には限りがあります」


「土地ですか」


「土地も、食料も、水もです」


答えは簡潔だった。


「帝国領へ移れば全員が助かる、という状況ではございません。我々自身が、住民の移動を続けています」


「自国民を?」


「はい」


使節の指が昨日と同じ地図の一部を示す。


「村を捨てた者。町を捨てた者。農地を失った者。帝国内にも、すでに行き場を変えざるを得なかった民がいます」


「そこへ他国の民まで受け入れる」


「必要であれば」


「つまり、それ以上は無理だと」


「現状では」


レオンハルトは背もたれから身体を起こした。


「なら、その半分を誰が決める」


使節は答えない。


「王族か。重臣か。兵士か。職人か。農民か」


「王家や重臣を含めた半数であること以上、現時点で個別の選別基準についてお答えすることはできません」


「決まっていない?」


「帝国全体の状況と、その国の人口構成、避難に使える時間、受け入れ先によって変わります」


レオンハルトはそこで止まった。


「時間」


「はい」


「早く決めれば、その半分を移す準備ができると?」


「はい」


「なぜだ」


「準備ができるからです」


帝国使節は、昨日よりわずかにゆっくり話した。


「宝玉を受け取った翌日から、何万人もの人間を動かせるわけではありません」


レオンハルトは黙っている。


「受け入れる土地を決める。食料を用意する。輸送手段を集める。道を確保する。病人や高齢者を先に動かす。そのためには時間が要ります」


昨日、自分が考えたことと同じだった。


だからこそ腹が立った。


帝国も分かっている。


宝玉を失ったあとでは遅いかもしれないことを。


「なら先に民を逃がせ」


レオンハルトが言った。


「宝玉を渡す前に」


使節は沈黙した。


「半分じゃない。全員だ」


レオンハルトは続けた。


「保護するというなら、宝玉を渡す前に全員を安全な場所へ移せ。それから持っていけばいい」


オルフェンが使節を見る。


男はしばらく黙っていた。


「それができないから、およそ半数と申し上げています」


「残りは置いていけと」


「保護をお約束できません」


短かった。


部屋の中から音が消える。


「帝国は広い」


レオンハルトが言う。


「広いだけです」


使節は返した。


「すべてが住める土地ではありません」


その声に、初めてわずかな疲れが混じったように聞こえた。


「我々は土地を欲して各国を回っているのではありません。人口を増やしたいわけでもない」


「それでも宝玉は欲しい」


「必要だと考えています」


「そのために、救えない人間が出ても?」


使節の表情が固くなる。


「何もしなくても、救えない人間は出ます」


誰も口を挟まなかった。


「陛下」


男が続ける。


「我々が確約できるのは、およそ半数です」


レオンハルトの視線を正面から受ける。


「ですが、何もしないことで全員を失うよりは、救える者を救うべきだと考えています」


レオンハルトはしばらく返さなかった。


その考えを、愚かだとは思わなかった。


間違っているとも言い切れない。


それが余計に厄介だった。


「俺は、その選び方を受け入れられん」


「全員を救えないから、何もしないと?」


「違う」


レオンハルトの声が少し低くなった。


「誰かを助けるために、今ここにいる別の誰かを最初から諦める判断を、俺がするという話だ」


使節は黙る。


「半分を救うために、残り半分を最初から諦める判断を、俺はできん」


オルフェンが横目でレオンハルトを見る。


使節は一度、手元の書類を閉じた。


「では、最終のご返答として受け取ってよろしいでしょうか」


「ああ」


「宝玉の譲渡を拒否する」


「拒否する」


「帝国が今後も宝玉を求めることをご理解の上で」


「分かっている」


使節はゆっくりと立ち上がった。


補佐役も続く。


「残念です」


本当にそう思っているように聞こえた。


レオンハルトも立つ。


「俺もだ」


一瞬だけ、使節が目を上げた。


「できれば、お前たちの言うことが全部正しい方がよかった」


「……そうですか」


「宝玉を渡して、皆助かるならそれが一番楽だった」


使節は何も言わない。


「だが、そうじゃない」


「はい」


「なら渡せん」


使節は深く一礼した。


「本国へ報告いたします」


「そうしてくれ」


「本日中に王都を発ちます」


「道中の安全は昨日までと同じように保証する」


「感謝いたします」


扉へ向かいかけた使節が、一度だけ足を止めた。


「陛下」


レオンハルトが見る。


「王としてのご判断を、軽いものだったとは報告いたしません」


「好きに書け」


「はい」


男はそれ以上何も言わず、部屋を出ていった。


◇


帝国使節団は昼過ぎに王城を出た。


来た時と同じ十五人。


護衛も同じ六人。


王都の通りを進む隊列に、石を投げる者はいなかった。


罵声もない。


ただ、見ている者は多かった。


市場の商人。


荷運びの男。


店先に立つ女。


仕事の手を止めた職人。


誰も、何が話し合われたのか知らない。


だが、帝国の使節が帰るという事実だけは目の前にある。


「もう帰るのか」


店先で男が言った。


「話は終わったんだろ」


「何の話だったんだ?」


「知らん」


そんな会話が、通りのあちこちで交わされた。


帝国の馬車が門の向こうへ消える。


その日の夕方には、別の話が広がり始めていた。


帝国が求めたのは、土地ではないらしい。


王位でもない。


王冠に付いている宝玉だという。


「宝玉?」


市場の端で、野菜を並べていた女が聞き返す。


「そう聞いた」


「誰から?」


「商人だよ」


「その商人は誰から聞いたんだ」


男は肩をすくめた。


「知らねえよ。向こうの通りでも同じ話をしてたぞ」


「それで?」


「王様が断ったらしい」


女の手が止まった。


「……宝玉を?」


「らしいぞ」


別の男が会話へ入ってくる。


「土地を寄越せとかじゃなくて?」


「宝玉だけだって」


「それで帝国が帰った?」


「だから、そういう話だろ」


誰も確かなことは知らない。


誰が最初に言い始めたのかも分からない。


それでも話は広がった。


宝玉一つ。


王が拒否した。


その二つだけが、妙にはっきりと。


◇


「早いですな」


夕刻。


オルフェンが書類から目を上げた。


レオンハルトは執務机で別の報告を読んでいる。


「何が」


「噂です」


紙が一枚、机の上へ置かれる。


王都内で集められた話だった。


レオンハルトが目を通す。


帝国が要求したのは宝玉だけ。


国王が拒否した。


そのため使節団が帰った。


「間違ってはいないな」


「ええ」


オルフェンは眼鏡の位置を直した。


「間違っていないのが面倒なのです」


レオンハルトが紙から顔を上げる。


「昨日の国の話は?」


「ほとんど出ていません」


「安全を保証できないことは」


「それも」


「帝国が受け入れると約束したのが、王家や重臣を含めて国民のおよそ半分だけだということも」


「聞こえてきませんな」


レオンハルトは紙を置いた。


「偶然だと思うか」


「思いたいところですが」


オルフェンは窓の外を見る。


「出所が違うはずの話が、同じところだけ抜け落ちています」


「使節が流したと?」


「証拠はありません」


「なら決めつけるな」


「もちろんです」


オルフェンは淡々と返した。


「ですが、相手が何もしていないと決めつける理由もございません」


レオンハルトは椅子へ深く座った。


帝国が嘘を流しているわけではない。


宝玉を求めた。


自分が断った。


どちらも事実だ。


ただ、その間にあるものが抜けている。


なぜ断ったのか。


宝玉を渡した国で何が起きたのか。


帝国自身も、この国の安全を保証できなかったこと。


そして、受け入れを約束したのは国民のおよそ半数だけだったこと。


「止めますか」


オルフェンが聞く。


「どうやって」


「噂を禁じることはできます」


「やるな」


即答だった。


「事実を話した奴を捕まえるのか」


「そうなるでしょうな」


「なら駄目だ」


オルフェンも反対しなかった。


「では、こちらから説明が必要になります」


レオンハルトは返事をしない。


窓の外では、もう日が落ち始めている。


王都のどこかで今も同じ話がされているのだろう。


帝国が欲しいのは、宝玉一つだけ。


王が、それを断った。


レオンハルトは机の上の紙を見た。


ほんの数行だった。


昨日から二日かけて話したことが、そこには何も残っていない。


残ったのは、それだけだった。


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