47日前 宝玉②
「それでも渡せと」
「はい」
レオンハルトは小さく息を吐いた。
「大したお願いだな」
「承知しております」
「断ったら?」
使節の表情は変わらなかった。
「本日は、宝玉の譲渡をお願いするために参りました」
「答えになってない」
「陛下」
使節は少しだけ間を置いた。
「我が帝国は、王冠を完成させなければ、大陸全体がいずれ居住不能になる可能性が高いと考えています」
「それは聞いた」
「であるならば、我々には集めることを諦めるという選択肢がありません」
脅しではなかった。
だからこそ、意味は分かった。
オルフェンが口を開く。
「今日ここで拒否すれば、直ちに宣戦布告するという話ではない」
「はい」
「しかし、宝玉も諦めない」
「その通りです」
「交渉が続く」
「可能であれば」
レオンハルトが眉を寄せる。
「可能でなければ?」
使節は一度だけ息を吸った。
「その時点で、帝国が取るべき方法を判断します」
それ以上は聞く必要がなかった。
レオンハルトは背もたれへ寄りかからずに言った。
「今日は答えない」
「承知しております」
「いつまで待つ」
「国の行く末に関わる問題です。半日一日を惜しむつもりはございません」
「なら明日、返答する」
使節が立ち上がる。
「ありがとうございます」
レオンハルトも立った。
「最後に一つ」
「はい」
「帝国は、本当にこれで世界を救えると思っているのか」
使節は初めて、すぐには答えなかった。
「救えると信じている、とは申しません」
少し間を置く。
「ですが、何もしなければ救えないと考えています」
レオンハルトは返さなかった。
使節が一礼する。
会談は終わった。
◇
扉が閉じたあとも、地図は卓の上に残されていた。
オルフェンが記録官を下がらせる。
兵も扉の外へ出た。
別室で待っていたセシリアが入ってくる。
彼女は席につく前に地図を見た。
「多いですね」
「ああ」
「帝国の中にも」
「ああ」
セシリアが夫を見る。
「嘘だと思いますか?」
「全部は確かめられん」
「そうですね」
オルフェンが席へ戻った。
「少なくとも、我が国内でも似た報告は複数上がっています。国外の灰化についても、以前から報告そのものはありました」
レオンハルトは地図から離れた。
「問題はそこじゃない」
「宝玉ですな」
「ああ」
セシリアが静かに聞く。
「過去の国の件は、間違いないのですね」
「間違いない」
レオンハルトは答えた。
「宝玉を渡した国が、そのあと急速に死んでいる。民も大勢死んだ」
自分で見たわけではない。
だが当時の記録は残っている。
井戸が使えなくなった。
川が細った。
作物が取れなくなった。
避難の準備が整うより先に、土地が人を養えなくなった。
オルフェンが眼鏡を外す。
布でゆっくりと拭いた。
「宝玉を渡したことが原因だと証明できますか」
「できない」
「渡さなければ滅びなかったと証明できますか」
「できない」
「なら、帝国の説明が正しい可能性もある」
「ああ」
それだけ答えて、レオンハルトは黙った。
オルフェンも続けなかった。
セシリアが地図を見る。
「逆も同じですね」
オルフェンが王妃を見る。
「宝玉を渡しても、この国が安全だという証明はありません」
「はい」
「しかも、何か起きてからでは遅いかもしれない」
誰も答えなかった。
窓の外から鐘の音が聞こえた。
昼を知らせる鐘だった。
城の外では店が開いている。
市場では誰かが値段を巡って話している。
ギルドでは依頼書が貼り替えられている。
畑では農民が土を触っている。
井戸では水を汲んでいる。
レオンハルトは窓の外を見た。
オルフェンが書類をまとめる。
「少し時間を置きましょう」
「どこへ行く」
「仕事です」
「この話も仕事だろ」
「この話だけが仕事ではありません」
正論だった。
「夕刻にまた」
扉まで行ったところで、オルフェンが立ち止まった。
「陛下」
「何だ」
「私は、どちらを選ばれても反対意見を申し上げます」
レオンハルトが眉を寄せる。
「先に決めるな」
「どちらにも反対する理由がありますので」
「役に立たんな」
「決めるのは陛下です」
扉が閉じた。
レオンハルトはしばらくそこを見ていた。
「腹が立つな」
「正しいことを言われたからでしょう」
セシリアが言う。
「お前までか」
「長く一緒におりますので」
レオンハルトは妻を見る。
「それ、オルフェンの真似か」
「便利そうでしたから」
セシリアが少しだけ笑った。
レオンハルトも息を吐いた。
笑えたのは、それだけだった。
◇
夕方。
同じ部屋に、三人がもう一度集まった。
卓の上には、帝国の地図。
旧王国の記録の写し。
そして、王国側に残っていた過去の報告。
昼の間に確認したが、新しい答えは出なかった。
宝玉が原因だとは書かれていない。
無関係だとも書かれていない。
十日ほどで水に異常が出た。
ひと月を待たず、畑と家畜へ広がった。
人を逃がす準備が整う前に、土地が人を養えなくなった。
オルフェンが聞く。
「変わりましたか」
「何が」
「昼から」
「何も」
「では?」
レオンハルトは記録を卓へ置いた。
「渡さない」
セシリアもオルフェンも、すぐには何も言わなかった。
レオンハルトが続ける。
「帝国が間違っているとは言わない」
オルフェンが聞く。
「王冠を完成させなければ、大陸が救えない可能性も?」
「ある」
「我々が拒むことで、時間を失う可能性も」
「ああ」
「それでも?」
レオンハルトは過去の記録を見る。
紙に残っているのは数字だった。
失われた村。
避難できた人数。
死者。
「一度、起きてる」
静かな声だった。
「原因だったかどうかは分からん」
顔を上げる。
「だが、大丈夫だとも言えない」
二人は黙っている。
「何か起きてから考えるには、早すぎる」
十日。
その数字が頭に残っていた。
「それを知っていて、この国で試すわけにはいかない」
窓の外では、二つの旗がまだ同じ風の中で揺れていた。
「明日、断る」
今度は誰も反対しなかった。




