47日前 宝玉①
翌朝。
王城前では、昨日と同じように二つの旗が揺れていた。
王国の旗と、帝国の旗。
同じ風を受けている。
レオンハルトは窓から一度だけそれを見て、背を向けた。
「陛下」
オルフェンが声をかける。
「使節がお待ちです」
「ああ」
昨日とは違う部屋が用意されていた。
到着の挨拶を交わすための応接室ではない。
長い卓があり、双方の席があり、その脇には記録官が座っている。
正式な会談のための部屋だった。
レオンハルトが席につく。
右にはオルフェン。
扉の近くには王城警備の兵が控えていた。
間もなく帝国使節が入ってきた。
昨日と同じ男だった。
派手さのない正装。
腰には今日も剣がない。
後ろには補佐役が二人。
互いに礼を交わし、形式的な挨拶が終わる。
レオンハルトは卓の向こうを見た。
「昨日、一つお願いがあると言っていたな」
「はい」
「聞こう」
使節は一度だけ息を整えた。
「では、申し上げます」
部屋が静かになる。
「陛下がお持ちの王冠。その王冠に収められている宝玉を、我が帝国へお譲りいただきたい」
レオンハルトは動かなかった。
隣のオルフェンも何も言わない。
記録官の筆だけが紙の上を動いた。
「……宝玉?」
「はい」
「王冠そのものではなく?」
「宝玉のみで結構です」
レオンハルトは男を見る。
領土か。
通商か。
あるいは臣従に近い要求か。
昨日まで考えていたのは、そのあたりだった。
宝玉だけは考えていなかった。
「理由を聞こう」
「もちろんです」
使節が補佐役へ目を向ける。
一枚の地図が卓へ広げられた。
大陸各地に小さな印が付いている。
「これは?」
「我が帝国が現在確認している、灰化の進行地域です」
レオンハルトの目が地図を追った。
帝国領の中にもある。
その外にもある。
北にも、西にも、南にも。
「随分多いな」
「確認できているものだけです」
オルフェンが少し身を乗り出す。
「進み方は同じではないようですな」
「はい。森の枯死が先に出た地域、水量の減少が目立つ地域、作物への被害が大きい地域。すでに居住が難しくなり始めている場所もあります」
レオンハルトは自国の位置を見る。
そこにも印があった。
「うちまで調べたのか」
「公開されている交易情報や、旅人、商人から得られる範囲です。王国内へ人を忍ばせたという意味ではございません」
「信じろと?」
「その点は、陛下にご判断いただくしかありません」
レオンハルトは地図へ視線を戻した。
自国で上がっている報告と似ている。
井戸。
麦。
森。
獣。
ただし、似ているだけだ。
「帝国は、これを全部同じものだと見ているのか」
「すべてとは申しません。しかし、多くは同じ現象である可能性が高いと考えています」
「灰化」
「はい」
レオンハルトは椅子へ深く座り直した。
「それと、王冠の宝玉がどう繋がる」
使節は別の紙を出した。
古い文字の写しだった。
「旧王国の記録です」
オルフェンの目が細くなる。
「旧王国の崩壊後、多くの記録が各地へ散りました。我が帝国も、その一部を保有しています」
「この国にもある」
「でしょう」
「続けろ」
使節が紙へ目を落とした。
「我々が保有する記録の中に、王冠と大地の衰弱を結びつけて記したものがあります」
そして読み上げる。
「王冠を戴く者なき時、大地は死ぬ。大陸を再び一つにした者のみが、最後の扉を開く」
記録官の筆が止まりかけ、すぐにまた動いた。
レオンハルトが聞く。
「最後の扉とは何だ」
「分かりません」
答えは早かった。
「場所なのか、施設なのか、比喩なのか。それすら確定しておりません」
「随分頼りない話だな」
「仰る通りです」
使節は否定しなかった。
オルフェンが口を挟む。
「王冠を完成させれば、灰化を止められると?」
「可能性がある、と我々は考えています」
「必ずではない」
「はい」
レオンハルトが男を見る。
「その程度で、各国から宝玉を集めているのか」
「その程度の記録しか残っていない、とも言えます」
使節は淡々と答えた。
「ですが、灰化は待ってくれません」
指が地図の一部へ触れる。
帝国領の中だった。
「三年前、この地域には七つの村がありました。現在、人が住んでいるのは二つです」
別の場所。
「ここでは川が細り、昨年から二つの町への給水を制限しています」
さらに別の印。
「ここは今年、収穫量が大きく落ちる見込みです」
レオンハルトは地図を見た。
敵国の話には見えなかった。
規模は違う。
だが、自国で聞いている話と似ている。
「帝国にも余裕はない、と」
「ありません」
「だから宝玉を集める」
「何もしないまま、国ごとに灰化を待つことはできません」
脅すような口調ではなかった。
レオンハルトはしばらく黙っていた。
やがて顔を上げる。
「一つ聞く」
「何でしょう」
「宝玉を渡した国は、もうあるな」
ほんのわずかに、使節の目が止まった。
「ございます」
「戦争をせずに渡した国も」
「ございます」
「その後、急速に灰化した国がある」
使節はすぐには答えなかった。
だが、否定もしない。
「知っているんだな」
「はい」
オルフェンがレオンハルトを見る。
レオンハルトは使節だけを見ていた。
「王族と一部の重臣は帝国へ移った」
「はい」
「残った民は?」
短い沈黙。
「多くが亡くなりました」
記録官の筆が止まった。
レオンハルトは何も言わない。
その事実自体は知っている。
知りたかったのは、帝国がどう答えるかだった。
「宝玉を渡したあとだな」
「そうです」
「どのくらいで?」
使節が補佐役を見る。
補佐役が資料を確かめた。
「譲渡から十日ほどで、複数の井戸と河川に急激な異常が確認されています」
レオンハルトの目が細くなる。
「十日?」
「はい。ひと月を待たず、作物と家畜への被害が広がりました。三か月後には、複数の居住区域が維持できない状態になっています」
「避難は」
「行われました」
使節は答えた。
「ですが、進行が早すぎた」
少しだけ間があった。
「全員を移すだけの馬車も、食料も、受け入れる土地も間に合いませんでした」
「それで、多くが死んだ」
「はい」
オルフェンが聞く。
「帝国は、宝玉との因果関係をどう見ていますか」
「証明されておりません」
「偶然だと?」
「そうとも申し上げていません」
レオンハルトが口を挟む。
「では何だ」
「その地域では、宝玉譲渡以前から灰化の兆候が強く出ていました」
「宝玉がなくても同じ結果になったかもしれない」
「可能性はあります」
「宝玉を渡したことで早まった可能性は」
「否定できません」
部屋が静かになった。
レオンハルトは男の目を見る。
「なら、もう一つ答えろ」
「はい」
「宝玉を渡したあと、この国が同じことにならないと保証できるか」
今度の沈黙は長かった。
使節は視線を逸らさない。
「できません」
「安全だとも言えない」
「申し上げられません」




