51日前 なんでもない1日 ②
冒険者ギルドへ入ると、フィンが大きな木箱を抱えていた。
「前見えません!」
「見えてないなら止まれ」
レオンが言う。
「え?」
フィンが止まる。
そのまま木箱の横から顔だけ出した。
「レオンさん」
「何してる」
「見れば分かるでしょう!」
「前が見えてない」
「運んでるんです!」
「どこへ」
「倉庫!」
「逆だぞ」
フィンが固まった。
後ろの受付からミレイが声を飛ばす。
「だから右って言ったでしょう」
「右に行きました!」
「入口から見て右」
「今それ言います!?」
「さっき言った」
「聞いてません!」
「聞いてないのはあんた」
レオンが木箱へ手を伸ばしかけ、止めた。
「悪い。今日は持てん」
「え?」
「肩だ」
フィンがすぐ箱を床へ置いた。
「大丈夫なんですか?」
「軽い」
「その言い方、信用できません」
レオンが眉を寄せた。
「今朝も同じことを言われた」
「誰に?」
「妻に」
「じゃあ間違いないじゃないですか」
「何がだ」
「信用できないってことです」
ミレイが笑った。
「フィン。運ぶなら私が片側持つ」
「大丈夫です」
「前が見えてないでしょう」
「……お願いします」
二人で倉庫へ運んでいく。
中身は乾燥薬草だった。
少しして戻ってきたフィンが、腰へ手を当てる。
「討伐の方が楽です」
「だから今日はこれなんだろ」
「ミレイさんが意地悪なんです」
「何日も村へ行って帰ってきた翌日に、また討伐へ行かせる受付がいたらそっちの方が問題ね」
入口からミレイが言う。
「元気です!」
「元気な奴ほど休ませるの」
「休んでませんよ。荷物運んでます」
「じゃあ働けてよかったでしょう」
フィンが口を尖らせる。
奥の卓から笑い声がした。
「英雄様は大変だな」
ガルドだった。
隣にはノアもいる。
「英雄じゃありません!」
フィンが即座に返す。
「五匹倒したんだろ?」
別の冒険者が言った。
「倒してません!」
「七匹って聞いたぞ」
「増えてる!」
「大型も一人で止めたって」
「それガルドさんです!」
ガルドが立ち上がった。
「俺も止めてねえ!」
ギルドに笑いが起きる。
フィンがレオンを見る。
「レオンさんからも言ってください!」
「何を」
「本当のことです!」
「何匹倒した」
「え」
「自分で」
フィンは少し考える。
「……何匹でしたっけ」
「お前も分かってないじゃないか」
「戦ってる時に数えませんよ!」
「なら噂と同じだな」
「違います!」
ノアが卓を叩いて笑っている。
フィンが睨む。
「ノアさんも何か言ってください!」
「俺は五匹説が好きだな」
「敵!」
「英雄、大変だな」
「もう英雄って言わないでください!」
レオンは空いている椅子へ座った。
ミレイが一枚の紙を置く。
「仕事?」
「違う。村の追加報告」
レオンの表情が少し変わる。
フィンもすぐに近づいてきた。
「何かあったんですか?」
「大きな変化はないわ」
ミレイは紙を指で叩いた。
「柵の修理が進んでる。家畜はまだ全部戻ってない。森へは二人以上で入るようにしてるって」
「水は?」
レオンが聞く。
「測ってる。今のところ急に減ったって報告はなし」
「魔物は」
「新しい襲撃なし」
フィンがほっと息を吐いた。
「よかった」
ミレイが彼女を見る。
「安心するのはいいけど、終わったとは書いてないわよ」
「分かってます」
「ならいい」
フィンは少し黙り、それから報告書を見る。
以前なら、魔物の数を最初に聞いていただろう。
レオンは何も言わなかった。
ミレイが気づいたように彼を見る。
「何?」
「何でもない」
「その顔嫌い」
「どんな顔だ」
「人のこと勝手に評価してる顔」
フィンがすぐ振り返った。
「今、私のこと見てました?」
「見てない」
「絶対見てました」
「荷物運びに戻れ」
「話を逸らした!」
ミレイがもう一枚の依頼書をフィンへ渡した。
「英雄様。次これ」
「だから英雄じゃありません!」
紙を見る。
「……薬屋まで包帯を届ける」
「立派な仕事よ」
「討伐は?」
「なし」
「採取」
「なし」
「護衛」
「なし」
「包帯」
「包帯」
フィンは肩を落とした。
「行ってきます」
「道を間違えるなよ」
レオンが言う。
「間違えません!」
「倉庫は間違えた」
「今のは忘れてください!」
ギルドを出ていく。
扉が閉まった。
ガルドが杯を持ったまま言った。
「元気だな」
「ああ」
「村じゃ、ちょっと変わったけどな」
レオンが見る。
「何が」
「周りを見るようになった」
ノアが口を挟む。
「前よりはな」
「前よりはって何ですか!」
外からフィンの声がした。
聞こえていたらしい。
ギルドでまた笑いが起きた。
◇
夕方。
城へ戻ると、リゼットが廊下でアンナと話していた。
父を見るなり、何かを背中へ隠す。
レオンハルトが足を止めた。
「何だ」
「何も」
「隠しただろ」
「何も隠してません」
「見えた」
リゼットは少し考え、諦めたように紙袋を出した。
中には小さな焼き菓子が入っている。
「買ったのか」
「いただきました」
「誰に」
「ミア」
「町へ行ったな」
リゼットが黙る。
アンナが横で目を閉じた。
「許可は」
「母上から」
「護衛は」
「いました」
「誰だ」
「エマ」
「ならいい」
リゼットが拍子抜けした顔になる。
「怒らないんですか?」
「許可を取ったんだろ」
「はい」
「なら何故隠した」
「父上に見つかると質問が多いので」
「普通だ」
「今だけで四つ聞きました」
レオンハルトが数える。
「三つだ」
「そこ確認します?」
アンナが吹き出しそうになって顔を逸らした。
リゼットは紙袋から一つ取り出す。
「食べます?」
「甘いのか」
「焼き菓子なので」
「そうだな」
受け取る。
一口食べた。
「どうです?」
「甘い」
「それ以外です」
もう一口。
「柔らかい」
「そうじゃなくて」
「美味い」
「最初からそう言えばいいんです」
リゼットは満足そうだった。
「ミアが焼いたのか」
「手伝ったそうです」
「そうか」
「字も少し上手になってました」
「お前が教えてるのか」
「少しだけ」
「また行くのか」
「行っても?」
レオンハルトはすぐには答えなかった。
リゼットの顔を見る。
城の外でしか得られないものがある。
それは自分が一番よく知っていた。
「母上の許可を取れ」
「父上は?」
「俺は今許可した」
リゼットの顔が明るくなる。
「ありがとうございます」
「ただし――」
「あ、やっぱりあります?」
「護衛から離れるな」
「はい」
「暗くなる前に戻れ」
「はい」
「知らない場所へ行くな」
「はい」
「知らない男について行くな」
「父上」
「何だ」
「私、十六です」
「知ってる」
「子ども扱いしすぎです」
「十六は子どもだ」
「父上から見れば全員子どもでしょう」
「そうでもない」
「では何歳から大人です?」
レオンハルトは少し考えた。
答えが出ない。
リゼットが笑った。
「母上に聞いてきます」
「何を」
「父上が大人になったのは何歳か」
「やめろ」
「何でです?」
「余計な話をされる」
リゼットは楽しそうに歩いていった。
アンナも礼をして、その後を追う。
レオンハルトは残った焼き菓子をもう一口食べた。
確かに美味かった。
◇
夜。
家族四人の食事は、朝よりさらに騒がしかった。
エリオットは昼間の訓練で一度だけ相手の木剣を弾いたらしい。
本人の説明では、ほとんど試合に勝ったことになっている。
「相手の剣を完全に外へ飛ばしたんです」
「飛ばしてないでしょう」
リゼットが言う。
「見てないでしょう!」
「ダリオから聞きました」
「何で姉上がダリオと話してるんですか!」
「廊下で会ったから」
「何て?」
「『今日はエリオット殿下にやられました』って」
エリオットの顔が明るくなる。
「ほら!」
「そのあと笑ってました」
「何でそこまで言うんですか!」
セシリアがスープを飲みながら微笑んでいる。
レオンハルトは肉を切った。
「剣を弾いたのは本当なのか」
「はい!」
「なら次は、そのあと止まるな」
エリオットが少し真面目な顔になる。
「はい」
「喜ぶのは終わってからだ」
「はい」
リゼットが父を見る。
「父上は終わっても喜ばないでしょう」
「何が」
「英雄になっても『別に』だったそうなので」
またその話か。
「村を守ったんですよ?」
「皆でな」
「そういうところです」
「何がだ」
「褒められるの下手ですよね」
「褒められる必要がない」
セシリアが口を挟んだ。
「褒める側が困りますよ」
「何故だ」
「素直に受け取っていただけないので」
「受け取ってる」
「どの辺りが?」
レオンハルトは答えられなかった。
エリオットが笑う。
リゼットも笑う。
セシリアまで笑っている。
「何だ」
「別に」
三人とも同じことを言った。
レオンハルトは黙って肉を食べた。
少しして、エリオットが尋ねる。
「父上」
「何だ」
「明日は城にいるんですか?」
レオンハルトは明日の予定を思い出した。
午前は会議。
午後は役人との打ち合わせ。
夕方には兵站関係の報告。
「たぶんな」
リゼットがすぐに言った。
「その言い方、絶対いないやつです」
「いる」
「前も聞きました」
「明日はいる」
「本当に?」
「たぶん」
「ほら」
家族の笑い声が小さな食事室に広がった。
◇
食事を終えたあと、レオンハルトは一人で執務室へ戻った。
急ぎの仕事はない。
昼間見た市場の値段を、もう一度確認したかっただけだった。
机には、昼のうちに届いた報告が何枚か増えている。
水位、麦、獣。
どれも決定的ではない。
窓の外を見る。
王都には灯りが点いている。
酒場から笑い声が聞こえる。
遠くで犬が吠えた。
通りを荷車が走る。
いつもの夜だった。
机へ戻る。
一番上の報告書を手に取ろうとして、その下に一通の封書があることに気づいた。
他の報告とは紙が違う。
厚い。
封の表には、宛名だけが記されている。
レオンハルト・ヴァレイン国王陛下。
差出人の名はない。
裏返す。
赤黒い封蝋。
そこに刻まれていたのは、王城では滅多に目にしない紋章だった。
レオンハルトの目がわずかに細くなる。
扉の向こうで足音がした。
オルフェンが入ってくる。
彼も封書を見た。
「届きましたか」
「いつだ」
「先ほどです」
「何故すぐ持ってこなかった」
「夕食中でしたので」
レオンハルトは封蝋へ視線を戻す。
「珍しいな」
「何がです」
「食事を優先した」
オルフェンは眼鏡を押し上げた。
「お食事くらい、ゆっくり召し上がっていただこうかと」
「それも珍しい」
「では次からすぐにお持ちします」
「極端だな」
レオンハルトは封書を手に取った。
指が封へかかる。
そこで一度止まった。
窓の外では、まだ王都の灯りが揺れていた。




