53日前 英雄②
食事の途中。
一人の村人が何気なく言った。
「これ、王様にも伝わるんだろ?」
レオンの手が止まった。
ほんの一瞬。
ノアだけが見ていた。
「城にも報告は行く」
レオンが答える。
「じゃあ王様も知るか」
「ああ」
男が芋を割る。
「ちゃんと何とかしてくれると思うか?」
レオンは少し考えた。
「何を、どこまでだ」
「森とか水とかだよ」
男は周囲を見る。
「最近、麦も高いんだろ。こっちじゃ川も浅い。動物は山から下りる。昨夜はあれだ」
別の村人が言う。
「王都じゃここまで分からんだろ」
「調べてるって話は聞くぞ」
「調べるだけじゃ腹は膨れん」
「でも何も知らんよりいい」
「そうだけどよ」
意見が分かれる。
怒鳴り合うほどではない。
ただ。
誰も本当のところは分からない。
男がレオンを見る。
「あんたはどう思う」
レオンは少し考えた。
「分からないことは多いだろうな」
「王様でも?」
「ああ」
「じゃあ駄目じゃねえか」
「分からないから調べる」
男が黙る。
レオンは川の方を見る。
「現地に来なきゃ分からないこともある」
「王様が来るのか?」
ノアが顔を伏せた。
ガルドは普通に食べている。
フィンも何も気づいていない。
レオンが答える。
「来るかもしれん」
ノアが咳をした。
レオンが見る。
「何だ」
「何でもない」
男が言う。
「なら伝えてくれよ」
「ああ」
「誰に?」
少し間。
レオンは芋を置いた。
「伝わるようにする」
男は笑った。
「頼む」
「ああ」
それだけだった。
◇
午後。
村人たちは逃げた家畜を探し始めた。
森側へは行かない。
畑から川沿いの道、村を囲む草地まで見て回った。
見つかったのは牛一頭。
泥だらけで、角に草を絡ませている。
山羊も一頭。
少年が最初に見つけて騒いだ。
「いた!」
大人たちが走る。
「追うな!」
「でも!」
「また逃げるぞ!」
結局、三人でゆっくり回り込み、縄をかけた。
山羊は戻った。
牛も。
残りは見つからない。
村人の一人が壊れた家畜小屋の前に立つ。
「勝ったんだけどな」
狩人が横を通る。
「勝ったから、これで済んだ」
男は畑を見る。
踏まれている。
全部ではない。
でも、なくなったものはある。
「……そうだな」
狩人は何も言わなかった。
◇
夕方。
レオンたちは森の入口に立っていた。
ノアが聞く。
「行くか?」
森。
フィンもレオンを見る。
ガルドは何も言わない。
レオンは首を振った。
「行かない」
フィンが少し驚く。
「調べなくていいんですか?」
「調べる」
「じゃあ」
「今じゃない」
森を見る。
「人数が足りん。装備も足りん。どこまで異常が広がってるか分からない」
ノアが言う。
「大型まで出たしな」
「ああ」
「だから行く、じゃないのか」
「だから行かない」
ガルドが笑う。
「やっと分かったか」
レオンが見る。
「前から分かってる」
ノアも言う。
「本当か?」
「お前らな」
フィンが少し笑う。
レオンは森から視線を外した。
「持ち帰る情報も増えた。今はそっちが先だ」
「じゃあ帰る?」
「明日の朝」
「はい」
森は静かだった。
◇
村で最後の夕食。
食卓には鍋と焼いた芋、豆、それに少しの肉が並んでいた。
ガルドが食べる。
ノアが呆れる。
「昼も食ったよな」
「夕方だからな」
「何の説明にもなってない」
少年はフィンの隣。
その隣に母親。
狩人は少し離れた場所。
村長もいる。
「村長、若い頃は王都まで走ったんだぞ」
誰かが言う。
村長が怒る。
「走ってない」
「馬に置いていかれて走ったんだろ」
「違う」
「同じだろ」
笑い。
別の村人が狩人を見る。
「こいつも昔、川に落ちた」
狩人が嫌そうな顔をする。
「言うな」
フィンが食いついた。
「本当ですか?」
「浅い川だ」
「春だったよな」
「黙れ」
「流されたのか?」
ガルドまで聞く。
「流されてない」
少年が聞く。
「魚は取れた?」
「取れてない」
狩人が答える前に、周囲が笑った。
別の話。
去年の祭り。
芋を焦がした話。
誰の畑が一番出来がいいか。
王都の菓子。
村人の女性がフィンへ聞く。
「王都じゃ甘い菓子毎日食べるの?」
「食べませんよ」
「冒険者なら金あるだろ」
「ないです」
「レオンは?」
フィンがレオンを見る。
「あるんですか?」
レオンが一瞬止まる。
ノアが口元を押さえた。
「普通だ」
レオンが答える。
「絶対普通じゃない」
フィンが言う。
「何でだ」
「金に困ってるところ見たことないです」
ガルドも頷く。
「確かに」
レオンは水を飲んだ。
話題が変わる。
「フィンは結婚してるのか」
フィンがむせた。
「してません!」
少年が聞く。
「結婚する?」
「何で君まで聞くの!」
母親が笑う。
「いい人いるの?」
「いません!」
「レオンは?」
フィンが答える。
「結婚してます」
レオンが見る。
「何でお前が答える」
「知ってるからです」
ガルドが言う。
「子どももいるぞ」
レオンが睨む。
「言わなくていい」
村人たちが一気に反応する。
「何歳?」
「男? 女?」
「どっちに似てる?」
レオンは額を押さえた。
ノアが笑っている。
「英雄、大人気」
「黙れ」
また笑いが起きた。
誰かが芋を取り落とした。
少年が拾おうとして母親に止められる。
ガルドが肉を取ろうとしてノアに手を叩かれる。
村長はまだ、川に落ちた狩人の話を続けようとしていた。
狩人は本気で嫌そうな顔をしていた。
◇
翌朝。
荷物をまとめる。
村の入口には、村長、狩人、少年と母親、それに何人もの村人が見送りに来ていた。
フィンが少年を見る。
「じゃあね」
少年が聞く。
「また来る?」
「仕事があれば」
「仕事なくても来て」
フィンが困る。
「それは……考えとく」
「絶対?」
「考えるって言ったでしょ」
「約束?」
「違う」
「約束」
「違う!」
母親が少年の頭を軽く叩く。
「困らせない」
「痛い」
「痛くしてない」
ガルドが少年を見る。
「次会うまでに強くなっとけ」
フィンが即座に振り向く。
「変なこと言わないでください」
「水桶二つ持てるくらいでいい」
少年が胸を張る。
「一つなら持てる!」
「じゃあまだだな」
「すぐ持てるようになる」
村長がレオンへ手を差し出した。
レオンも握る。
「本当に助かった」
「ああ」
「報告は続ける」
「頼む」
狩人が森を見る。
「次来た時」
レオンも見る。
「何だ」
「元に戻ってりゃいいがな」
レオンは少し黙った。
「ああ」
それ以上は言わなかった。
歩き出す。
村が少しずつ遠ざかる。
フィンが何度か振り返る。
少年がまだ手を振っている。
フィンも振った。
◇
帰り道。
来た時と同じ川、同じ道、同じ森。
それでも、フィンには少し違って見えた。
浅くなった川。木の枝。獣の足跡。
逃げた家畜と、踏まれた畑。
痩せた鹿。
痩せた魔物。
そして森。
フィンが歩きながら言った。
「冒険者って」
ガルドが振り向く。
「何だ」
「思ったより、すっきり終わらないですね」
ガルドが少し考える。
「終わる仕事の方が少ない」
ノアが言う。
「酒飲んだらだいたい終わる」
レオンが見る。
「終わってない」
「気分は終わる」
「それは忘れてるだけだ」
「似たようなもんだろ」
「違う」
フィンが笑った。
ガルドが言う。
「まあ、生きて帰れば次がある」
フィンが頷く。
「はい」
少し歩く。
「でも」
「何だ」
「今回は、ちょっと嬉しいです」
ガルドがフィンを見る。
「ならいい」
それだけだった。
◇
日が傾く頃。
見覚えのある宿場へ着いた。
往路で泊まった宿だ。
宿場主人がフィンたちを見るなり眉を上げた。
「随分汚れたな」
ガルドが答える。
「風呂あるか」
「帰ってきて最初がそれか」
「大事だ」
フィンが小さく笑う。
宿場主人の妻が奥から顔を出した。
「水、使いすぎないでよ」
フィンが聞く。
「まだ少ないですか?」
「ああ。急に変わった感じはないけどね」
レオンが主人を見る。
「この数日で何かあったか」
主人が考える。
「特には。獣を見たって話はまだある」
「山から?」
「ああ。離れる方へ行ったって」
レオンが頷く。
「分かった」
それ以上は聞かなかった。
夕食を取り、身体を洗い、眠る。
フィンは布団へ横になると、ほとんど何も考えないまま眠った。
◇
翌朝。
宿場を出る。
道を歩く。
昼を過ぎる頃には、行き交う荷車が増えた。
人も増える。
畑。
家。
道。
そして夕方。
王都の門が見えた。
フィンが少し息を吐く。
門をくぐれば、人と荷車が行き交い、あちこちから声が飛んでくる。
山間村とはまるで違う騒がしさ。
ギルドへ入る。
いつもの音。
酒。
笑い。
依頼板。
受付。
ミレイが顔を上げる。
「おかえり」
それだけ。
フィンが止まる。
「……はい」
レオンが報告書を出す。
ミレイが受け取った。
「追加報告は先に届いてる」
「ああ」
「大型まで出たんだって?」
「出た」
「死者なし」
「なし」
ミレイが小さく息を吐いた。
それからフィンを見る。
「怪我」
「ないです」
「本当に?」
「本当に」
「足は」
「大丈夫です」
「なら」
ミレイが奥を指す。
「飯食べて、風呂入って、寝な」
フィンが瞬きをする。
「それだけですか?」
ミレイが見る。
「褒めてほしい?」
「そういうわけじゃ……」
ガルドが横から言った。
「こいつ、村じゃ英雄だったぞ」
「ガルドさん!」
ミレイがフィンを見る。
「へえ」
「違います!」
「魔物倒した?」
「倒しましたけど」
「村守った?」
「みんなで」
「じゃあ英雄でいいんじゃない」
「ミレイさんまで!」
周囲の冒険者が笑う。
フィンの顔が赤くなる。
ノアが肩を叩く。
「英雄、飯食うぞ」
「呼ばないでください!」
ガルドも続く。
「英雄、酒は?」
「飲みません!」
「二杯で寝るしな」
「それ言わないで!」
また笑いが起きた。
レオンも少しだけ笑った。
◇
ギルドを出る。
フィンたちとはそこで別れた。
「明日は休め」
レオンが言う。
フィンが、
「軽い仕事くらいなら」
と言う。
「休め」
「はい」
「返事だけはいいな」
「ちゃんと休みます!」
「ならいい」
ノアが、
「俺は?」
と聞く。
「好きにしろ」
「扱い違くない?」
「お前は二十四だ」
「フィン十八だぞ。六年でそんな変わる?」
「変わる」
ノアが眉を上げる。
「何が」
レオンは歩き出す。
「自分で考えろ」
ガルドが笑う。
「無理だろ」
「おい」
背後でまた笑い声がした。
◇
通用門。
見慣れた場所。
ハインがいた。
レオンを見る。
泥のついた革鎧。
乾いた血。傷んだ外套。
そして、肩。
「今回は何をしたんです」
「柵を直した」
ハインが黙る。
「……それだけですか」
レオンも少し黙った。
「魔物も倒した」
「何匹です」
「覚えてない」
ハインがため息をつく。
「またですか」
「今回はちゃんと伝令を出した」
「そういう問題ではありません」
レオンが少しだけ視線を逸らす。
ハインが肩を見る。
「そこは?」
「軽い」
「王妃殿下にもそう言ってください」
「……分かった」
「ご自分で」
「分かった」
「風呂に入って隠そうとしないでくださいね」
レオンが止まる。
ハインは真顔だった。
「何で分かった」
「長いので」
レオンは何も言わず城へ入った。
◇
冒険者の外套。
革鎧。
泥。
血。
そのまま執務室へ向かう。
扉の前にはオルフェンがいた。
腕を組んでいる。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
「英雄のお帰りですか」
レオンが止まった。
「誰から聞いた」
「最初の報告書には当然ありません」
「当たり前だ」
「追加報告にも」
「なら何で知ってる」
「伝令が喋りました」
レオンが顔をしかめる。
「余計なことを」
「大きな魔物を討ち、村を守った冒険者の話をしない方が難しいでしょう」
「俺だけじゃない」
「その点も聞いております」
オルフェンは扉を開けた。
机の上。
紙。
一枚。
二枚。
先に届いた報告。
襲撃後の追加報告。
その横には、別の地方から届いた報告書も置かれている。
レオンの表情が変わった。
オルフェンも、もう笑っていない。
「さて」
レオンは外套を脱いだ。
椅子の背へ掛ける。
机の前に立つ。
「話せ」




