53日前 英雄①
朝になっても、村には昨夜の匂いが残っていた。
血と煙。
湿った土と、踏み荒らされた草。
壊れた柵のそばでは、村人たちが木を運んでいる。
家畜小屋の前では、切れた縄を結び直す男がいた。
畑では折れた作物を拾う女がいる。
共同小屋の前では、血を洗った布が干されていた。
誰も寝足りてはいない。
それでも村は動いていた。
朝食の匂いがし始める頃には、フィンもまた外へ出ていた。
「何かやります」
最初に捕まえたのは、昨夜負傷者へ包帯を巻いていた年配の女性だった。
女性は鍋をかき回しながらフィンを見る。
「座ってな」
「え?」
「朝飯」
「いや、でも皆さん働いてますよ」
「だから食べるんだよ」
「私も手伝います」
「昨夜あれだけ剣振ったんだろ」
「でも」
女性が匙を鍋へ戻した。
「寝るのも仕事だって言われなかったのかい」
フィンが黙った。
少し離れたところでガルドが吹き出した。
「聞かれてるぞ」
「聞かれてないです」
「言われたって教えてやれよ」
「ガルドさんは食べてるじゃないですか」
ガルドは木の椀を持ち上げた。
「俺も大事な仕事をしてる」
「それ朝ご飯ですよね」
「だから大事なんだ」
フィンが睨む。
年配の女性が笑った。
「ほら。あんたも」
木の椀には、豆と芋、それに少しばかりの野菜が入っていた。
昨夜より薄い。
フィンは受け取った。
「……いただきます」
「そうしな」
座る。
一口。
温かい。
身体がそれを待っていたことに、食べてから気づいた。
◇
村の外れ。
倒した魔物は、一か所へ集められていた。
灰色の小型魔物。
そして一番奥に、大きな四足の魔物。
昨夜より小さく見える。
動かないからだ。
狩人が大型魔物の腹を見ている。
ノアは少し離れてしゃがんでいた。
ガルドも来ている。
レオンは大型魔物の横へ立った。
「どうだ」
狩人が腹の皮を押す。
「薄い」
「皮が?」
「肉だ」
肋骨から腰、肩へ目を移す。
大きな骨格に対して、明らかに肉が少ない。
狩人は小型魔物の方を見る。
「あっちだけじゃないな」
ノアが言う。
「小さい奴だけが餌なくして下りてきたわけじゃない、ってことか」
「そこまでは分からん」
狩人は大型魔物を見る。
「ただ、こいつも痩せてる」
レオンが聞く。
「この辺まで来ることは?」
「俺は見たことがない」
「餌がなくなれば?」
狩人は少し考えた。
「あり得る。だが、それだけかは分からん」
「そうか」
ガルドが腕を組む。
「小さいのも、でかいのもか」
「ああ」
レオンは小型魔物を見る。
森から走ってきた鹿。
猪。
小さな獣。
小型魔物。
大型魔物。
違う種類。
向かったのは、どれも森の外だった。
ノアが言った。
「奥の方まで何か起きてるのかもな」
レオンは少し考える。
「その可能性はある」
「断言しないな」
「見てないからな」
狩人が大型魔物を見る。
「普通なら、もう少し肉がある」
「季節を考えても?」
「ああ」
レオンが頷いた。
「追加で報告する」
◇
朝食が終わる頃、レオンは村長の家を借りて報告を書いていた。
机は小さい。
紙も広くはない。
インク壺。
ペン。
ノアが横から覗く。
「長いな」
「増えたからな」
「俺なら三行」
「お前は書くな」
「信用ないな」
「ない」
フィンも来る。
ガルドは入口に立っている。
狩人は外。
レオンが書いている内容を、フィンが少しだけ読む。
昨夜の襲撃。
小型魔物。
大型魔物。
確認できた数。
村への侵入経路。
森から逃げる野生動物。
確認した魔物がいずれも痩せていたこと。
村側の被害。
家畜の損失。
人的被害。
フィンが止まる。
「死者なしも書くんですか?」
レオンの手は止まらない。
「一番最初に書く」
「そこなんですね」
「そこだ」
「何匹倒した、とかより?」
レオンが顔を上げた。
「何匹倒しても、村人が死んだら同じにはならん」
フィンは少し黙った。
「……はい」
ガルドが腕を組む。
「でも討伐数も書けよ」
「書く」
「俺の分、多めに」
「減らすぞ」
「何でだ」
ノアが笑う。
村長が入ってきた。
「王都へ行ける者を一人決めた」
「馬は」
「出せる」
「急がせすぎるな。着かなきゃ意味がない」
「分かった」
レオンが紙を乾かす。
「ギルドへ。城にも回すよう書いてある」
村長が頷く。
「昨日の男とは別の者にする」
「頼む」
フィンが首を傾げる。
「昨日の報告、もう着いてますかね」
「まだ分からん」
レオンが答える。
「でも、先に出た分だけ向こうが早い」
「こっちが先に帰ったりしません?」
ノアが言う。
「じゃあ競争するか」
「しない」
レオンが即答した。
◇
昼前。
村には、別の意味で騒ぎが広がっていた。
「でかい魔物を一人で倒したらしいぞ」
「一人じゃねえって」
「でも最後に剣入れたのはレオンだろ」
「ガルドが正面で止めたって聞いた」
「止めてねえ!」
少し離れた場所からガルドが怒鳴る。
「受けてねえからな!」
村人が笑う。
別の男が、
「フィンも五匹倒したんだろ?」
と言った。
フィンが振り向いた。
「倒してません!」
「四匹?」
「違います!」
「三?」
「たぶん二匹です!」
ガルドが見る。
「たぶんって何だ」
「必死だったんですよ!」
「数えとけ」
「ガルドさん何匹ですか」
「知らん」
「ほら!」
「俺はベテランだからいい」
「何がですか!」
近くの村人たちが笑う。
少年が走ってくる。
手には、昨日フィンから持ち方を教わった木の棒。
「フィン!」
「何?」
「五匹倒した?」
「だから倒してないって」
「じゃあ四匹?」
「減らせばいいって話じゃないよ」
少年は少し考える。
「でも強かった?」
フィンが困る。
「誰が」
「フィン」
「自分で聞く?」
「うん」
フィンは木の棒を見る。
「昨日よりは」
「じゃあ俺もフィンみたいになる」
少しだけ。
フィンの顔が緩んだ。
でも、すぐに戻る。
「私みたいにはならなくていいよ」
少年が眉を寄せる。
「何で?」
「まだそんなに強くないから」
「魔物倒したじゃん」
「一人じゃないし」
「でも倒した」
「……倒したけど」
「じゃあ強い」
「そういうことだ」
横からガルドが言った。
「諦めろ」
フィンが見る。
「何をですか」
「英雄扱い」
「誰が英雄ですか」
少年が即答する。
「フィン」
「ほら」
「ガルドさんまで」
「憧れられるのも仕事だ」
「そんな依頼受けてません」
「報酬なし」
「最悪じゃないですか」
少年が笑う。
フィンはため息をついた。
それから少年を見る。
「冒険者になりたいなら」
「うん」
「まず、お母さんの言うこと聞くところから」
少年の顔が曇る。
「それ関係ある?」
「ある」
「何で」
「昨日も勝手に外へ出ようとしたでしょ」
少年が黙る。
後ろから母親の声。
「もっと言ってください」
フィンが振り向く。
籠を持った母親が立っている。
「ほら」
「ずるい」
「何が」
「大人同士で仲間になるの」
フィンが笑った。
◇
昼。
村の中央に人が集まった。
宴というほどのものではない。
長い机。
椅子。
木の椀。
焼いた芋。
豆。
野菜。
干し肉は少ない。
昨夜、家畜を逃がした。
行方の分からないものもいる。
だからこそレオンは、村長が料理を増やそうとした時に止めた。
「普段通りでいい」
「しかし」
「食料が減ってる時に無理するな」
ガルドが横から言う。
「俺は無理してもらってもいい」
ノアが即座に返す。
「黙ってろ」
「助けたぞ」
「お前が食う量と功績は関係ない」
「ある」
「ない」
村長が笑った。
「少しだけだ」
「何が」
「いつもより少しだけ多い」
レオンが皿を見る。
確かに芋が一つ多い。
「それくらいなら」
「よし」
ガルドが頷く。
レオンが見る。
「何でお前が許可する」
皆が座る。
食べ始める前に、村長が立った。
「少しいいか」
話し声が止まる。
村長は冒険者たちを見る。
「昨夜、この人たちがいなければ、どうなってたか分からん」
レオンが口を開こうとする。
村長が先に手を上げた。
「分かってる。俺たちも戦った」
レオンは黙る。
「それでも、この人たちがいたから戦えた」
一度、息をつく。
「礼を言わせてくれ」
頭を下げる。
一人。
また一人。
村人たちが頭を下げる。
フィンが慌てる。
「いやいやいや」
どうしていいか分からない。
ガルドは少し照れている。
ノアは目を逸らした。
狩人は座ったまま。
レオンだけが静かに見ていた。
誰かが言った。
「英雄だな」
別の声。
「王都の冒険者ってすげえな」
少年が立ち上がる。
「フィンも!」
「座って」
母親に引っ張られる。
笑いが起きる。
今度は別の村人。
「レオンも英雄だ」
レオンが眉を寄せた。
「俺一人じゃない」
「でかいの倒したのはあんただろ」
「ガルドが柵を塞いだ。ノアも裏を抑えた。フィンも村に入った奴を止めてた」
「まあな」
ガルドが胸を張る。
ノアが言う。
「急に乗るな」
レオンは続ける。
「俺があれを相手にしてる間、小さいのを村へ通さなかったのはあいつらだ」
村人が言う。
「でも最後に倒したのはあんただ」
「それはそうだ」
「じゃあ英雄でいいだろ」
レオンが少し黙る。
周囲を見る。
子どもも、村人も、ガルドもフィンも笑っていた。
ノアと狩人もそこにいる。
「……じゃあ、英雄ってことにしておけ」
歓声が上がる。
フィンが目を丸くする。
「いいんですか」
「面倒になった」
「そんな理由?」
笑いが起きる。
レオンは壊れた柵の方を見る。
「ただし、次に何かあった時まで俺たちがいるとは思うな」
村長が頷く。
「分かってる」
「柵は直せ」
「ああ」
「見張りも続けろ」
「ああ」
「水位も測る」
「続ける」
「森へ一人で入るな」
狩人が顔を上げた。
「俺もか」
「お前もだ」
「仕事にならん」
「死んだらもっとならん」
狩人がレオンを見る。
「二人で入ればいいんだな」
「ああ」
「分かった」
レオンは村長を見る。
「異変があったら、すぐ報告しろ」
「ああ」
レオンは一度、村全体を見回した。
「この村を最後に守るのは、この村だ」
今度は、誰も笑わなかった。
村長が静かに頷いた。




