54日前同日 魔物襲撃 ③
残った小型魔物との戦いは、そこからさらに続いた。
大型が倒れたからといって、小型まで逃げるわけではない。
ガルドは壊れた柵の前を塞ぎ、入り込もうとする魔物を盾で受けながら村人へ指示を飛ばしていた。
「右!」
柵の右端から抜けようとした一匹へ、ガルドが盾を向ける。ぶつかった魔物の身体が止まり、その脇から村人の槍が伸びた。
「抜け! 次!」
槍が引かれる。
今度は反対側から別の一匹が入り込もうとした。
ガルドが横へ一歩ずれ、開きかけた進路へ身体ごと入る。盾を押しつけられた魔物が向きを変え、その分だけ後ろの一匹が詰まった。
近くの村人は、すでに最初ほど震えていなかった。
ノアも裏手から戻り、柵を抜けて家々の間へ散ろうとする魔物へ矢を放っている。
一匹の足を止めれば、近くの村人に仕留めさせる。その間にも視線は次の路地と柵へ動いていた。
「そっち行った!」
声を聞いたフィンが走る。
共同小屋へ向かっていた一匹の斜め前へ回り込み、進路を塞ぐように剣を振るった。
刃が肩を浅く裂く。
魔物が共同小屋からフィンへ向きを変えたところへ、横から槍が伸びた。誰の槍だったのか、フィンには見えなかった。
そのすぐ左。
壊れた柵と家の間を、もう一匹が抜けてくる。
先ほどの魔物へ身体を向けたままでは、脇を通られる。
フィンは一歩だけ戻り、その進路へ入った。
魔物が跳ぶ。
前脚が胸元へ来る直前、身体を横へ外す。爪が革鎧の前をかすめて抜け、そのまま脇を通った胴へ剣を走らせた。
浅い。
魔物は着地すると、フィンから離れるように数歩走った。
向きを変えようとしたところへ、家々の間から矢が飛ぶ。
脇腹へ刺さり、魔物が地面へ崩れた。
また別の声が上がった。
「フィン、後ろ!」
振り返る。
すぐ近くまで別の一匹が来ていた。
振り下ろされた前脚へ剣を合わせ、力を正面から受けずに外へ流す。そのまま自分も横へずれた。
魔物の身体がフィンのいた場所へ踏み込む。
そこへ近くの村人が棒を振り下ろした。
頭を打たれ、魔物がよろめく。
フィンが向き直って剣を入れた。
倒れた。
それが自分で倒した何匹目なのか、もう分からなかった。
そもそも、自分だけで倒したと言えるのかも分からない。
柵の前ではガルドが進路を塞ぎ、家々の間ではノアの矢が飛ぶ。その間を抜けた魔物を、村人と一緒に止める。
誰かが危なければ、そちらへ走る。
ただ、それを繰り返した。
気づけば、フィンは共同小屋まであと少しというところで一匹と向き合っていた。
背後の扉から、子どもの泣き声が聞こえる。
魔物が身体を沈める。
今度は怖くないわけではない。
それでも、何を見るべきかは分かる。
肩が沈む。
前脚へ力が入る。
共同小屋へ跳ばせる前に、フィンが一歩踏み込んだ。
剣を脇腹へ入れ、そのまま魔物の正面から横へ抜ける。
魔物は勢いを殺せず、フィンのいた場所へ着地した。身体が傾いたところへ、後ろから槍が入る。
フィンもすぐに向きを変え、もう一度剣を振るった。
魔物が止まった。
荒い呼吸を整える暇もなく周囲を見る。
共同小屋と柵の間。
家々の隙間。
すぐ近くには、もう動く影はいない。
「大丈夫!」
共同小屋へ向かって叫ぶ。
「まだ出ないで!」
中から少年の声が返った。
「フィン?」
「いるよ!」
「勝った?」
答えようとして、遠くを見る。
壊れた柵の前ではまだガルドが動いている。
家々の間からはノアの矢が飛んでいた。
レオンも別の一匹へ向かっている。
「まだ!」
「分かった!」
本当に分かったのかは怪しかった。
それでも扉は開かなかった。
◇
最後の何匹かは、村の外れまで追い込まれた。
一匹が壊れた柵から外へ抜ける。
「逃げるぞ!」
村人が追おうとしたところで、レオンの声が飛んだ。
「追うな!」
「でも!」
「村から離れるならいい!」
もう一匹も森へは戻らず、畑の横を抜けて先へ走っていった。
やがて影は闇へ消える。
槍を握った村人は、その背中を見送りながら聞いた。
「逃がしていいのか」
レオンは剣についた血を払った。
「村を守るのが仕事だ」
「討伐じゃ」
「追って死ぬ必要はない」
ガルドが盾を下ろした。
「賛成」
しばらくして、ノアも戻ってきた。
「裏はいない」
「怪我は」
「俺はない」
そう答えた横では、一緒に戦った村人が腕を押さえている。袖が裂け、浅い傷から血が滲んでいた。
ノアが顎でそちらを示した。
「こいつが少し」
「少しじゃねえ」
「喋れるなら大丈夫だ」
「助けてもらった相手に雑だな!」
そのやり取りで、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだ。
フィンも戻ってくる。
泥だらけだった。
革鎧の肩には、大型魔物の前脚が掠めた跡が残っている。
レオンがそこを見る。
「怪我」
フィンも自分の肩を見る。
「たぶん、ないです」
「たぶんじゃ分からん」
「痛いですけど動きます」
「あとで見てもらえ」
「はい」
少し間を置いて、フィンが言った。
「ありがとうございました」
「何が」
「さっき」
大型魔物を見る。
レオンもそちらへ視線を向けた。
「一人で前に立つな」
「後ろに共同小屋が」
「分かってる」
「じゃあ」
「だから死ぬな」
フィンは口を閉じた。
レオンはもう村の方を見ている。
「人数確認するぞ」
それ以上、大型を倒した話はしなかった。
◇
やがて鐘が止んだ。
戦っている間はあれほど響いていた音が消えると、今度は村の静けさが耳につく。
「人数!」
村長の声が飛ぶ。
「全員確認しろ!」
家から共同小屋、井戸、家畜小屋、見張り場所まで、村人たちが一人ずつ名前を呼んで回った。
呼ばれるたび、どこかから返事が返る。
怪我人は三人。
腕を切った者と足を傷めた者、それに逃げる途中で転んで頭を打った者がいた。フィンも肩を診てもらったが、強く打っただけで骨には異常がなかった。
最後に確認されたのは死者だった。
いない。
その報告を聞いた時、村長は一瞬だけ目を閉じた。
すぐに開く。
「家畜は」
今度は返事が遅れた。
牛が一頭、山羊が二頭、羊も何頭か見当たらない。
逃げただけなのか、襲われたのかはまだ分からなかった。
家畜小屋の一部は壊れ、畑には蹄と魔物の足跡が深く残っている。森側の柵には、大型魔物が開けた穴があり、倒れた板の向こうに黒い森が見えていた。
それでも共同小屋は残った。
子どもたちも無事だった。
入口では年配の女性が、負傷した村人の腕へ布を巻いている。
「動かすな」
「これくらい」
「黙ってろ」
「はい」
フィンが共同小屋へ近づくと、扉が開いた。
少年が飛び出してくる。
「走らない!」
母親が後ろから怒鳴る。
それでも少年は止まらず、フィンの前まで来た。
血のついた剣。
泥だらけの革鎧。
肩に残った跡。
少年の目が大きくなる。
「勝った?」
フィンは村を見渡した。
壊れた柵の近くでは、ガルドが盾を背負い直している。
ノアは一緒に戦った村人と何か話していた。
レオンは大型魔物のそばで狩人と話している。
水桶を運ぶ者もいれば、負傷者の手当てをする者もいる。
「うん」
少年の顔が明るくなる。
「フィンが?」
「え?」
近くにいた村人が笑った。
「見たぞ。お前、何匹か倒してただろ」
「何匹かって……」
別の男も振り返る。
「俺も見た。共同小屋の前でもやってたよな」
「でも、一人で倒したわけじゃ」
「何匹だ?」
突然聞かれ、フィンは言葉に詰まった。
戦っていた時の光景を思い返そうとする。
最初の一匹。
途中で弓が飛んできた。
槍も入った。
自分が斬った後、誰かが仕留めた魔物もいた。
逆に誰かが傷つけたものを自分が倒したこともあった。
「……覚えてません」
村人が吹き出した。
「本人が覚えてねえぞ」
ガルドも歩いてくる。
「じゃあ十匹くらいでいいだろ」
「よくないです!」
「英雄は細かい数を気にしない」
「英雄じゃないです!」
少年の目がさらに輝いた。
「英雄?」
「違うよ!」
「フィン、英雄なの?」
「違う!」
笑い声が起こった。
フィンは顔を赤くしながら、レオンの方を見る。
「あっちの方がすごかったじゃないですか!」
全員の視線が大型魔物へ向く。
少し離れた場所で、レオンが狩人と話している。
ガルドが言った。
「あれはもう別枠だ」
「別枠って何ですか」
「知らん」
少年が聞く。
「レオンは何匹?」
ガルドは大型を見る。
「一匹」
「フィンの方が多い!」
「そういう数え方じゃないです!」
今度はもっと大きな笑いが起きた。
フィン自身も最後には笑っていた。
少年が胸を張る。
「俺も水運んだ!」
「じゃあ入ってるよ」
「俺も英雄?」
「そこまで言ってない」
「なんで!」
◇
それからも村は眠らなかった。
負傷者の手当てをし、逃げた家畜を探し、壊れた柵へ応急処置をする。
魔物の死骸まで片づける余裕はない。
次が来ないと分かるまでは、森側と川側の見張りも残した。
やがて東の空が少しずつ白み始める。
夜露に濡れた畑の向こうから薄い光が差し、村に残った泥や血の色がようやく見えるようになった。
倒れた大型魔物のそばでは、狩人がしゃがみ込み、腹や脚の毛を指でかき分けながら身体を調べている。
近くに立つと、改めて大きかった。
横たわった身体の向こうに立つ人間の足元が隠れ、地面に残った足跡には雨水のように血が溜まり始めている。
そこへレオンが来た。
「どうだ」
狩人は浮き出た肋骨へ目を落とした。
「こいつもだ」
「何が」
「痩せてる」
これほど大きな身体なのに、肉が落ちている。
狩人は少し離れた場所に倒れている小型魔物へ目を向けた。
「あいつらだけじゃない」
レオンも見る。
「腹減ってたんだな」
「ああ」
「全部か」
「分からん」
狩人は森へ目を向けた。
朝になっても鳥の声がしない。
空は明るくなり始めているのに、木々の奥だけがまだ夜のように暗かった。
しばらくして狩人が言う。
「それにしても」
「何だ」
男は大型魔物を見る。
それからレオンを見る。
「よくあれを倒したな」
「倒れやすい方へ押しただけだ」
狩人は大型の身体を見る。
「俺には、そんな簡単な話には見えなかったが」
「脚も斬ってた」
「それでもだ」
レオンは答えない。
少し離れたところで、その会話を聞いていたガルドが口を挟んだ。
「本人に聞くだけ無駄だぞ」
狩人が振り向く。
「昔から?」
「昔から」
「剣もすごかったが、途中あれを力で倒してなかったか?」
ガルドは大型を見る。
「見間違いってことにしとけ」
「見てた人間、多いぞ」
「じゃあ全員見間違いだ」
レオンが二人を見る。
「何の話だ」
「お前の話だよ」
「なら終わりでいい」
「そういうところだぞ」
レオンはもう森へ視線を戻していた。
狩人もそれ以上は聞かなかった。
しばらくして、低い声で呟く。
「勝ったのに、森は変わらんな」
「森と戦ったわけじゃない」
レオンは剣を鞘へ戻した。
「今日は村を守っただけだ」
狩人は黙って頷いた。
◇
村長がやって来た。
服は泥と煤で汚れ、片手にはまだ鐘を持ったままだった。
「助かった」
レオンを見る。
「本当に」
レオンは村へ視線を向けた。
「俺たちだけじゃない」
「それでもだ」
「柵を直したのも村の人間だ」
井戸のそばに積まれた空の水桶から、血のついた包帯、泥に転がる槍、壁を壊された家畜小屋へと目を移していく。
「逃げる場所を決めたのも、子どもを守ったのも、村の人間だ」
共同小屋の前では、子どもたちが大人に混じって動いていた。
「村を守ったのは村だ」
村長はしばらく何も言わなかった。
やがて笑う。
「そういうことにしておくよ」
そこへガルドが盾を背へ戻しながら歩いてきた。
「腹減った」
ノアが呆れた顔をする。
「今?」
「今だからだ」
「さっきあれだけ動いてよく食えるな」
「動いたから食うんだ」
フィンが笑った。
「ガルドさん、昨日も同じこと言ってませんでした?」
「正しいことは何回言ってもいい」
遠くから少年の声が飛ぶ。
「フィン!」
振り向けば、小さな桶を抱えている。
「何?」
「水!」
「また?」
「仕事!」
フィンが笑う。
東の空が明るくなっていく。
村人たちは疲れ切っていた。
泥だらけで、服や手には血もついている。
壊れた場所がある。
失った家畜もいる。
それでも、誰かが笑った。
別の誰かもつられて笑う。
水桶を運ぶ音。
人を呼ぶ声。
逃げた家畜を探す声。
少しずつ、村へいつもの音が戻っていった。




