54日前 守る側、守られる側 ②
方針が決まると、村人たちの動きは早かった。
子どもと高齢者、それに怪我人は村の中央寄りにある共同小屋へ集めることになった。裏口が二つあり、何かあれば森側とは反対へ抜けられる。
歩けない者を運ぶため、荷車も一台空けた。
家畜を逃がす必要が出た時は、あらかじめ決めた者が縄を切る。火が出た場合に備え、水桶も井戸の近くへ集めておく。
役割が決まるたびに、村人たちは自分たちで必要な物を用意していった。
年配の女性が古い布を持ってくる。
「これ、切るぞ」
フィンが見る。
「何にするんですか」
「包帯」
「まだ怪我人いないですよ」
女性は呆れたようにフィンを見た。
「怪我してから切るのかい」
「あ……」
「水も沸かしとくよ」
別の女性が言った。
「鍋足りる?」
「うちから持ってくる」
子どもたちも、小さな桶を使って井戸から水を運んでいた。重い物は持たせないが、それでも何度も往復すれば十分な仕事になる。
昨日の少年も、その中にいた。
フィンを見つけるなり声を上げる。
「俺、仕事した」
「見てた」
「剣」
「まだ」
「何で!」
「今度は水もう一回」
「さっきやった!」
「私も働いてる」
「ずるい」
「何が?」
「フィンは剣持ってる」
「仕事だから」
「俺も仕事する」
「じゃあ水」
「そればっかり」
近くで聞いていたガルドが笑った。
「完全に使われてるぞ」
フィンは胸を張る。
「教育です」
「言うようになったな」
◇
昼食は共同小屋で取った。
昨日より人数が多く、作業の途中でもあるため、皆が空いている場所へ適当に座っている。皿も揃っていなかった。
並んでいるのは野菜や芋、干し肉、それに焼いた豆。
ガルドの皿だけ、明らかに量が多い。
フィンが見る。
「それ全部食べるんですか」
「そのために取った」
「見ただけでお腹いっぱいになりそう」
「お前の皿も結構あるぞ」
フィンは自分の皿を見る。
「今日は働いたので」
「俺もだ」
「じゃあいいです」
「何の許可だ」
少年がフィンの隣へ座ろうとした。
すぐに母親が首根っこを掴む。
「こっち」
「何で」
「冒険者さんは休んでるの」
「俺も休む」
フィンが笑った。
「いいですよ」
母親が困った顔をする。
「でも」
「どうぞ」
少年はすぐに座り、勝ち誇った顔で母親を見る。
「ほら」
「調子に乗らない」
少し離れた場所では、村人がレオンへ質問していた。
「王都って道全部石なのか」
レオンは芋を食べながら答える。
「全部じゃない」
「城の周りは?」
「石だ」
「雨降っても泥にならん?」
「場所による」
別の男がガルドに聞く。
「冒険者って毎日肉食うのか」
「食う」
即答だった。
レオンが横から言う。
「嘘つくな」
「俺は食う」
「お前の話じゃない」
村人たちが笑った。
「じゃあ稼げるんだな」
今度はフィンが答える。
「依頼によりますよ」
「魔物一匹でどれくらいだ」
「種類と場所と危険度で違います」
「毎日仕事あるのか」
「ない時もあります」
「じゃあ大変だな」
「そうですね」
答えてから、フィンは少し妙な気分になった。
冒険者になってまだそれほど経っていない自分が、誰かに冒険者の仕事を説明している。
少年が横から聞く。
「でも強い?」
フィンは少し考えた。
「強くならないと危ない」
少年が真面目な顔になる。
「でも、一人で何でもやらないよ」
フィンはレオン、ガルド、ノアへ順に目を向けた。
「強い人と一緒に行く」
少年も同じ方を見る。
「フィンより強い?」
「……今は」
ガルドが声を上げて笑った。
「今は、だってよ!」
「そこだけ拾わないでください!」
小屋の中に笑いが広がり、村長まで少しだけ笑っていた。
◇
午後。
朝に鹿を移した川側の草地で、一頭が倒れた。
最初に見つけた子どもの声で何人かが駆けつける。
横たわっていたのは若い鹿だった。腹が浅く上下している。
狩人がそばへしゃがみ込み、脚や口元、目の様子を順に確かめた。
フィンも近づく。
「怪我ですか」
「大きいのはない」
「病気?」
「分からん」
狩人は鹿の脇腹へ目をやった。
「痩せてる」
フィンにも分かった。
毛に隠れて気づきにくかったが、身体は細く、骨が浮いている。昨日森で倒した魔物ほどではないものの、健康な鹿には見えなかった。
少年が小さな桶を抱えて走ってくる。
「水!」
狩人が手を上げた。
「待て」
「飲ませる」
「無理にやるな」
「何で」
「弱ってる」
少年は鹿を見た。
「水飲めば治る?」
狩人は答えなかった。
「助からない?」
母親が後ろから来て、少年の肩を抱いた。
「下がってなさい」
「でも」
「邪魔しない」
フィンも鹿を見つめた。
昨日の魔物を思い出す。
浅い呼吸。浮き出た骨。荒れた毛。
あの魔物は人を襲ったから、剣を向けた。
目の前の鹿は何も襲っていない。
それでも、同じように痩せている。
「森で食べられてないんですか」
狩人が答える。
「たぶんな」
「鹿も?」
「鹿も食わなきゃ死ぬ」
当たり前の答えだった。
フィンは森を見る。
「昨日の魔物も」
「同じかもしれん」
狩人も立ち上がる。
「奥に餌がなけりゃ、外へ出るしかない」
フィンが言った。
「魚も死んでました」
その声を聞きながら、レオンが後ろから近づいてきた。
フィンが振り向く。
「魔物だけじゃないんですね」
「ああ」
レオンの返事は短かった。
鹿が一度脚を動かし、立ち上がろうとした。
だが身体は上がらない。
少年がまた近づこうとしたところを、母親が肩を抱いて止めた。
誰も大きな声を出さなかった。
◇
夕方には、柵の補強も一通り終わっていた。
新品のように綺麗ではなく、高さも揃っていない。それでも朝と比べれば明らかに頑丈になっている。
ガルドが一本の柱を蹴った。
びくともしない。
「ここはいい」
少し離れた場所では、手で押すとまだわずかに揺れた。
「ここ、縄を足してくれ」
村人が縄を持ってくる。
「これでどうだ」
「もう一巻き」
「細かいな」
「死にたくなきゃ細かくしろ」
村人が笑った。
「冒険者って、もっと派手な仕事かと思ってた」
「俺も若い時はそう思ってた」
ガルドが答える。
「実際は地味な仕事の方が多い」
近くでノアが言った。
「それは本当だな」
「珍しく同意したな」
「事実だからな」
少し離れたところでは、少年が落ちていた木の棒を拾っていた。
腰の横へ構えるように持ち、誰かの真似をするように振りかぶる。
「待って!」
フィンが慌てて止めた。
少年が不満そうな顔をする。
「まだ振ってない」
「だから止めたの」
「何で?」
フィンは周囲を指した。
「後ろ見て」
少年が振り返る。
少し離れたところを、母親が籠を抱えて歩いていた。
「母ちゃん」
「もし今振ってたら?」
少年は棒を見る。
「……当たる?」
「かもしれない」
フィンは少年の手から棒を取り上げるわけではなかった。
「剣でも棒でも同じ。振る前に周りを見る」
「魔物がいたら魔物見ないと駄目じゃん」
「魔物も見る。周りも見る」
「全部?」
フィンは昨日、森で言われた言葉を思い出した。
周りを忘れるな。
「できるだけ」
少年は左右を見て、もう一度後ろまで振り返った。
「誰もいない」
「じゃあ、一回だけ」
少年が棒を振る。
まだ大きな振りだった。
フィンが言う。
「今ので横に誰か来たら危ない」
「難しい」
「そうだよ」
「フィンできる?」
「前よりは」
少し離れたところで、レオンがこちらを見ていた。
フィンが気づく。
「何ですか」
「別に」
「絶対何か思ってますよね」
「思ってない」
「じゃあ見ないでください」
レオンは目を逸らした。
少年が小声で聞く。
「怒ってる?」
「いつもあんな感じ」
「ふうん」
「でも、ちゃんと見てる」
少年はもう一度レオンを見た。
その時には、レオンは村人と柵の話をしていた。
◇
夕食前、村長が昼間に決めた役割をもう一度確認した。
子ども、高齢者、怪我人は共同小屋へ集める。火が出た場合は井戸の近くへ決めた者が集まり、家畜小屋には三人を向かわせる。
森側、丘、川側にもそれぞれ見張りを置く。
戦える者は、危険が来た場所へ集まる。
レオンが聞いた。
「鐘は」
村長が小さな鉄鐘を持ってくる。普段は火事や急な集まりに使っているものだった。
「これがある」
「危険が来た時の合図を一つにしよう」
村長が聞く。
「どう鳴らす」
ガルドが言った。
「三回でいい。続けて鳴らせば聞き間違えにくい」
狩人が頷く。
「三回なら普段の呼び出しとも間違えん」
村長は鐘を見る。
「森側か川側かは?」
ノアが首を振った。
「鐘でそこまで分けない方がいい。暗い中で数を間違えたら逆に混乱する」
「じゃあ、場所は?」
「見張りが声で伝える」
レオンが頷いた。
「三回鳴ったら、全員が決めた役割へ動く。それだけ覚えればいい」
村長はもう一度確認した。
「三回で危険。場所は声で伝える」
「ああ」
これなら間違いにくい。
◇
夜の見張りも交代で行うことになった。
名前を書き出しているところへ、フィンが当然のように自分も加えようとする。
レオンが止めた。
「お前は寝ろ」
「何でですか」
「今日は十分動いた」
「まだ動けます」
「明日も動く」
フィンが口を開きかけると、ガルドが先に言った。
「見張りってのは立ってりゃいいんじゃねえ」
「分かってます」
「明日何か出た時、寝不足で動けない奴はいらねえ」
「でも私だけ」
「村人も交代する」
ノアが言う。
「俺も後半は寝る」
「レオンさんは?」
全員の視線がレオンへ向いた。
「最初だけ立つ」
ノアが何とも言えない顔をする。
レオンが見る。
「その顔やめろ」
「何も言ってない」
「言ってる顔だ」
フィンが腕を組んだ。
「じゃあ私も最初だけ」
「駄目」
「何で」
「復帰したばかりだ」
「やっぱりそれじゃないですか」
「それも理由だ」
「嫌です」
「寝ろ」
「嫌です」
ガルドがため息をつく。
「子どもか」
「十八です」
「じゃあ大人らしく休め」
「どういう理屈ですか」
レオンが言った。
「寝るのも仕事だ」
フィンはレオンを睨んだが、本人はまるで気にしていない。
結局、フィンは共同小屋へ戻された。
◇
共同小屋には敷物が並んでいた。
子どもや高齢者、怪我をした村人もいる。まだ寝る時間には少し早く、あちこちで小さな声が交わされていた。
フィンは入口近くへ座った。
面白くない。
外ではレオンたちが見張りに立っているのに、自分だけ中へ戻された。
何となく、外されたような気がする。
「寝る係?」
声をかけてきたのは少年だった。
フィンが見る。
「何」
「さっき言われてた」
「聞いてたの?」
「うん」
「余計な所ばっかり耳いいね」
母親と同じことを言ってしまった。
少年はフィンの隣へ座る。
「魔物来る?」
フィンはすぐには答えなかった。
「来る?」
「分からない」
「来ないって言ってよ」
「嘘になるかもしれない」
少年は膝を抱えた。
少しして聞く。
「怖くない?」
フィンは考えてから答えた。
「怖いよ」
少年が顔を上げる。
「冒険者なのに?」
「冒険者でも怖い」
「レオンも?」
フィンは少し笑う。
「たぶん」
「ガルドも?」
「たぶん」
「ノアも?」
「たぶん」
「じゃあ何で外にいるの」
フィンは入口を見る。
扉の向こうには暗い夜がある。
「見張る人がいないと困るから」
「フィンは?」
少し間を置いた。
「私は今、寝る係」
少年が笑った。
「楽じゃん」
「明日動くための仕事」
「寝るだけなのに?」
「寝るだけでも仕事なんだって」
「変なの」
「私もそう思う」
少年は少し考えたあと、その場へ横になった。
「じゃあ俺も寝る係?」
「そう」
「一緒?」
「一緒」
少し安心したような顔をする。
「フィン」
「何」
「魔物来たら起こして」
「起こす」
「絶対?」
「絶対」
少年は目を閉じた。
フィンは入口を見る。
外では誰かが起きて、村を見張っている。
そのすぐ隣では、少年がもう眠り始めていた。
自分が今ここにいるのも、何もしないためではない。
明日、動くためだ。
フィンも敷物へ横になった。
目を閉じるまでには、少し時間がかかった。
◇
村の外れでは、小さな火だけが焚かれていた。
明るくしすぎれば、暗い森の中がかえって見えなくなる。
火の近くにいるのはレオン、ノア、狩人。それから少し離れて村人が二人。丘にも別の見張りが立っている。
夜は静かだった。
昼間よりも、ずっと静かだった。
ノアが森を見る。
「虫、ほとんど鳴かないな」
「ああ」
狩人も耳を澄ませている。
「前はもっと鳴いてた」
「いつからだ」
「気づいたのは最近だ」
レオンは森から目を離さない。
月明かりも木々の奥までは届かず、何本か先からはほとんど何も見えない。
ノアが聞いた。
「今日は来ると思うか」
「分からん」
「お前でも分からないことあるんだな」
レオンが横を見る。
「あるに決まってる」
狩人は森を見たまま言った。
「俺も分からん」
少し間を置く。
「前なら、何か出る夜はもっと森が騒いでた」
ノアが聞く。
「今は?」
「静かすぎる」
三人とも、もう一度森を見る。
やがて、乾いた音がした。
枝が一本、折れた。
全員の動きが止まる。
森の中から、もう一度。
ぱきり、と。
ノアが立ち上がる。
「鹿か」
狩人は首を振った。
「分からん」
今度は少し右側で枝が折れた。
さらに奥からも続く。
一か所ではない。
レオンの手が剣の柄へ伸びる。
ノアは腰を落とし、耳を澄ませた。
左から一つ。右からも一つ。そのさらに奥でも、何かが枯れ枝を踏んでいる。
近い音もあれば、まだ遠いものもある。
狩人の顔が変わった。
「一匹じゃない」
その時、丘の見張りから声が飛んだ。
「森!」
川側の草地に残っていた鹿たちが、一斉に走り出した。
村人たちが振り向く。
鹿は森へ向かわない。
村の方へも来ない。
森からさらに遠ざかる方角へ、群れのまま駆けていく。
レオンが立ち上がり、剣へ手をかけた。
ノアも短刀を抜く。
狩人だけは森を見たまま動かなかった。
再び枝が折れる。
今度は二つ、ほぼ同時だった。
暗い木々の奥で、何かが動いている。
一つではない。
狩人が小さく言った。
「多い」




