57日前 森から来たもの①
昼前のギルド裏。
フィンが走った。
端まで行く。
止まる。
振り返る。
今度は少し速く戻ってくる。
レオンは腕を組んで見ていた。
「もう一度」
「まだやるんですか?」
「やれ」
「全然痛くないですって」
「ならできる」
「それ、理由になってます?」
横でノアが笑う。
「諦めろ。こうなったレオンは面倒だ」
「ノアさん止めてくださいよ」
「俺に止められると思う?」
「思いません」
「正しい」
フィンはため息をつき、もう一度走った。
右足。
左足。
速度を落とさず切り返す。
今回は、右足へ体重を乗せても動きが崩れない。
戻ってくる。
レオンはしゃがんだ。
「足」
「はい」
革靴を脱ぐ。
以前傷めた踵を見る。
腫れはない。
傷口も閉じている。
指で周囲を押す。
「痛むか」
「全然」
少し強く押す。
「痛むか」
「痛くないです」
フィンが口を尖らせる。
「信用なさすぎません?」
「怪我人の『大丈夫』は信用しない」
「もう怪我人じゃありません」
「それを見てる」
ノアが言った。
「この数日で一番必死だな」
「だって、配達とか採取とか軽い仕事ばっかりだったんですよ」
フィンはすぐ立ち上がった。
「じゃあ今日から討伐もいいですよね?」
レオンは答えない。
「レオンさん?」
「内容を見る」
「ええ……」
「復帰初日から一人では行かせない」
「一人で行くとは言ってません」
フィンは少し間を置き、
「牙鼠なら一匹くらい――」
言いかけて止まる。
レオンが見る。
ノアも見る。
フィンは目を逸らした。
「……言ってません」
「今言いかけただろ」
「気のせいです」
後ろから大きな笑い声がした。
「元気そうじゃねえか」
ガルドだった。
片手に丸盾。
背には斧。
その隣にはティオがいる。
二人とも旅装だった。
ティオの肩には埃がついている。
フィンが振り向く。
「帰ってたんですか」
「今朝な」
ティオが言う。
「西街道の護衛。無事終了」
「何か出ました?」
「何も」
フィンが少し拍子抜けした顔をする。
「じゃあ四人もいらなかったんじゃ」
ティオが鼻で笑った。
「何も出なかったから言えるんだよ」
ガルドがティオの肩を叩く。
「少しは分かってきたじゃねえか」
「二年やってますからね」
「まだ二年だろ」
「その言い方やめてもらえません?」
ノアが聞く。
「何も出なかったのに、妙だったんだろ」
ティオの表情が少し変わった。
「鹿」
「鹿?」
「街道の近くに何頭もいた」
ノアが目を細める。
「荷車が通っても、すぐ森へ逃げない。少し離れて見てるだけだった」
「場所は?」
「西街道の中ほど。林が深くなる辺り」
ガルドが言う。
「猪の足跡も多かった」
「魔物は?」
「姿は見てねえ。ただ痕はあった」
ノアが聞く。
「何の」
「小型だ。爪跡と糞。種類までは分からん」
ティオが肩をすくめる。
「一緒にいた奴が、この辺でこんなに見るのは珍しいって」
フィンが言う。
「でも襲われなかったんですよね」
「ああ」
ガルドは答えた。
「それが一番いいんだよ、護衛ってのは」
その時だった。
「レオン」
受付側からミレイの声が飛んだ。
「ちょっと来て」
◇
受付台の上に、一枚の依頼書が置かれていた。
紙は新しくない。
何度か折られ、端に泥がついている。
ミレイが指で叩く。
「今朝届いた」
レオンが読む。
山間部の村。
王都から片道二日ほど。
家畜被害。
夜間の魔物目撃。
村人一名軽傷。
畑への獣の侵入。
「討伐依頼?」
フィンが横から覗き込む。
「そう書いてある」
ミレイは言った。
「でも変なのよ」
「何が?」
ノアが聞く。
ミレイは別の紙を出した。
「同じ辺りから、一か月前にも依頼が来てる」
内容は小型魔物一体の駆除。
それだけ。
さらにもう一枚、近くの村から届いた依頼があった。
今度は畑荒らしで、猪の出没、山羊の被害、夜の鳴き声が記されている。
「似た話が増えてる」
ミレイは腕を組んだ。
「一つ一つなら珍しくない。でも、種類が違うのよ」
レオンが依頼書を見る。
「家畜被害の相手は?」
「分からない」
「足跡は」
「村からの使いが言うには、複数」
「大きさも?」
「違うって」
ノアが紙を取る。
「一種類の群れじゃない?」
「たぶんね」
ガルドも覗く。
「面倒な匂いがするな」
フィンがすぐ言った。
「私、行けます」
レオンが見る。
「まだ決めてない」
「足は治りました」
「聞いてない」
「でも」
「内容を見てからだ」
フィンが黙る。
ミレイが言った。
「討伐復帰一発目には少し重いと思う」
「でもレオンさんとノアさんがいるなら」
「それに俺もいる」
ガルドが言う。
フィンが見る。
「ガルドさんも?」
「暇だ」
ミレイが即座に言う。
「嘘。明日の採取護衛断ったでしょう」
「細けえな」
「受付だからね」
ノアが笑う。
ガルドはフィンを見る。
「復帰一発目で山の魔物。運がいいな」
フィンが警戒する。
「悪いですよね?」
「気づいたか」
「最近分かってきました」
レオンは依頼書をもう一度読む。
「近隣の地図は」
ミレイが出す。
「これ」
レオンは広げた。
一か月前の依頼、今回の村、近隣二村、少し離れた街道、さらに別方向の森林地帯。
完全に同じ場所ではない。むしろ散らばっている。
地図の上には、麦、井戸、枯れ木、獣、魔物という別々の情報が並んでいた。
レオンは紙を閉じた。
「片道二日だったな」
「そう」
ミレイが答える。
「受ける?」
「その前に一度戻る」
フィンが言う。
「どこへ?」
「用事だ」
ノアが横で笑った。
「忙しいんだよ、レオンは」
「何の用事です?」
「色々」
「またそれ」
レオンは依頼書の写しを受け取った。
「昼過ぎに戻る」
◇
王城の執務室。
オルフェンは依頼書の写しを読んでいた。
最後まで目を通す。
もう一度最初へ戻る。
「今度は山ですか」
「山だ」
「市場の次は山」
「仕事だ」
オルフェンが眼鏡越しに見る。
「どちらの?」
「両方だ」
「でしょうね」
紙を机へ置く。
レオンハルトは地図の前に立った。
「北部の麦」
指を置く。
「王都近郊の井戸」
別の場所。
「別の森で見た枯れ木」
さらに移す。
「街道へ出てきた獣」
「そして今回の山間部」
オルフェンが地図を見る。
「広すぎます」
「ああ」
「一つの原因だと考えるには」
「分かってる」
「まだ言っていません」
「顔で分かる」
オルフェンは小さく息を吐く。
「似てはいます」
「だろう」
「ですが、似ていることと、同じ原因であることは別です」
「それも分かってる」
「灰化という言葉を先に置けば、すべてを灰化に見立て始めます」
レオンハルトは地図を見る。
「だから見に行く」
「冒険者として?」
「それもある」
「国王として?」
「それもある」
オルフェンは黙った。
少しして、
「何泊です」
「二日で着く。調査に一日。戻り二日」
「五日」
「最短でな」
「また増える言い方を」
「減るかもしれん」
「今まで減ったことが?」
「……あまりない」
「正直で結構です」
オルフェンは別の紙を取った。
「では、その間の決裁をこちらへ回してください」
「急ぎだけでいい」
「全部急ぎになります」
「なら全部見ろ」
「そう言うと思いました」
レオンハルトが笑う。
オルフェンは笑わない。
「一つだけ」
「何だ」
「調査するために、調査対象へ突っ込まないでください」
「何の話だ」
「陛下の話です」
「分かってる」
「本当に?」
「……分かってる」
◇
その夜。
食卓で、レオンハルトは明朝から数日城を空けると伝えた。
リゼットが先に反応する。
「またレオンさんですか」
「ああ」
エリオットが聞く。
「今度は何を倒すんですか」
「まだ分からん」
「討伐なのに?」
「調査もある」
エリオットは少し不満そうだった。
「じゃあ戦わないかもしれないんですか」
「その方がいい」
「でも冒険者なら」
「戦わず終わるなら、それが一番だ」
エリオットは少し考える。
まだ完全には納得していない顔だった。
リゼットが言う。
「今度はお風呂の時間まで計算して帰ってきてくださいね」
レオンハルトが娘を見る。
「お前まで言うのか」
「実績がありますから」
セシリアが紅茶を置く。
「何日ですか」
「五日前後」
「前後」
「長くなる可能性はある」
「では、予定より遅れる場合は伝令を」
「ああ」
「必ず」
「ああ」
「返事が軽いですね」
「分かってる」
「その言葉、最近信用できなくなってきました」
リゼットが笑う。
「母上、それも実績ですか?」
セシリアが少しだけ笑った。
「ええ」
レオンハルトだけが納得していなかった。
◇
翌朝。
王都の門を出た時、フィンは明らかに機嫌が良かった。
歩幅も大きい。
荷物も自分で持っている。
昼前。
レオンが横を見る。
「足は」
「痛くないです」
「庇ってないな」
「だから大丈夫ですって」
ノアが笑う。
「親みたいだな」
「違う」
ガルドが言う。
「子ども二人いるんだろ?」
フィンが顔を上げる。
「そうだった!」
レオンが二人を見る。
「余計な話をするな」
ガルドが楽しそうに笑う。
「何歳なんだ?」
「言わん」
「男と女だったよな?」
「それ以上聞くな」
フィンが横から言う。
「奥さん大変そうですね」
「何故そうなる」
ノアが口を挟む。
「そこは俺も同意する」
レオンが見る。
「お前まで何なんだ」
ノアは笑うだけだった。
そのまま一日目の道は穏やかだった。
昼を過ぎるまでは。
◇
森沿いの街道で、ノアが手を上げた。
全員が止まる。
「何だ」
レオンが聞く。
ノアは道端へしゃがむ。
土。
足跡。
「鹿」
「何頭?」
「少なくとも五」
フィンが見る。
「多いですか?」
「この場所ならな」
ガルドも周囲を見る。
「狩りでもされたか?」
ノアは首を振る。
「なら散る」
少し先を見る。
別の跡。
「猪もいる」
フィンがしゃがむ。
「同じ方向?」
「ああ」
道の外。
森側から街道近くへ。
さらに、人の生活圏へ近づく方向へ続いている。
ノアが立つ。
「変だな」
「何が」
「種類が混じってる」
鹿。
猪。
小動物。
少し離れた泥には、小型魔物らしい爪跡もあった。
レオンが森を見る。
緑は多い。
一見すれば普通の森だ。
だが。
奥。
葉のない木が一本。
さらに向こうにも。
白っぽい枝。
フィンが言う。
「レオンさん」
「ああ」
二人とも、牙鼠を追った森で見た白く乾いた枝を思い出していた。
ガルドが見る。
「何かあったか?」
レオンは答える。
「前にも似た木を見た」
「同じ場所か?」
「いや。別の森だ」
ガルドが森を見る。
「離れた場所でも同じか」
「だから見たい」
ノアは足跡をもう一度確認した。
「先へ行くか」
「ああ」
レオンは答えた。
◇
その夜は、小さな宿場に泊まった。
食事は豆と野菜の煮込み。
少しだけ干し肉。
フィンは二杯目の煮込みを食べていた。
ガルドが見る。
「よく食うな」
「この数日、軽い仕事ばっかりだったんです。今日はちゃんと歩いたから必要なんです」
「理屈は立派だな」
「ガルドさんよりは少ないです」
ガルドの前には空の皿が三枚あった。
「俺は身体がでかい」
「便利ですね、その理由」
ノアが笑う。
レオンは宿の主人と話していた。
「最近、夜に獣を見るか」
主人が顎を掻く。
「見るねえ」
「どんな」
「鹿。狐。猪」
「前から?」
「鹿くらいならな」
主人は鍋を混ぜながら言う。
「でも最近は道まで出る」
「人を避けない?」
「昔よりはな」
主人が肩をすくめる。
「雨が少ないからだろ」
「水場は?」
「細くなってるって聞くな」
「ここも?」
「井戸はまだ平気だ」
奥から妻らしい女性が口を挟む。
「でも洗い場の小川は浅くなったよ」
主人が言う。
「今年はそういう年なんだろ」
それ以上の意味はない。
ただ天気の話をするような口調だった。
レオンは頷いた。
「そうか」
◇
二日目。
山へ入るにつれ、道が細くなった。
左側を川が流れている。
フィンが橋の上で足を止めた。
「水、少なくないですか」
レオンたちも見る。
川底の石が大きく露出している。
ガルドが言う。
「雨が少ないなら、こんなもんじゃねえか」
ノアが橋から少し下りた。
岸にしゃがむ。
苔。
泥の色。
「ここまで水があった跡がある」
今の水面よりかなり高い。
フィンが言う。
「いつ頃?」
「分からん」
少し離れた浅瀬。
魚が一匹、横になっていた。
白い腹を見せている。
フィンが近づく。
「死んでる」
レオンは見るだけだった。
死んでいるのは一匹だけだ。病気かもしれないし、水温のせいかもしれない。偶然という可能性もある。
これだけでは、まだ判断材料にならない。
「行くぞ」
レオンは言った。




