ミッション・スタート
二日後の夜。私はゲイヴと揃いの衣装をまとい、バスラー伯爵家の夜会に出席した。まあ、揃いの衣装と言っても急なことだったから、ゲイヴの正装に私がドレスの色を合わせて、ペアの宝飾品を身につけただけだけど……。
それでも意外と様にはなっていて、エスコートに来てくれたゲイヴと腕を絡めたら、我ながらちゃんと婚約者同士に見える気がした。何より背が高くて引き締まった体つきのゲイヴは、何を着てもよく似合う。普通の人なら着るのに気後れしちゃいそうな真っ白なドルマンの左肩に、赫鷲騎士団を思わせる真紅のペリースを流したゲイヴの立ち姿は、古い付き合いの私でさえ見とれてしまうほどだった。
(ひゃ~……! ど、どうしよう……ゲイヴったら普通にかっこいいんだけど!)
思えば彼は社交が苦手で、イリッヒ家の嫡男でありながら、あまり夜会に顔を出しているところを見たことがなかった。
だから正装姿の彼をこんなに新鮮に感じてしまうのか、とくらくらしつつ馬車を下りれば、ゲイヴはまたすっと右腕を差し出して、
「行こう、リゼ。今夜は、俺たちの相思相愛ぶりを見せつけるんだろう?」
と、不敵に宣戦布告めいたことを口にする。
おかげで後込みしかけていた私も、自分の役を思い出せた。
「ええ、そうね。私たちは長年連れ添った恋人同士だものね。今まで人目を忍んで愛し合うしかなかった分、今夜はドンと構えていなくっちゃ」
そう。今夜の私たちに求められるのは、付き合いたての恋人同士みたいな初々しさなんかじゃない。誰もが〝噂は本当だ〟と信じざるを得ないほどの、堂々たる浮気カップルっぷりとふてぶてしさだ。
「だけどゲイヴ、たった二日でずいぶん仕上げてきたわね? 今のところ、長年の浮気相手としての振る舞いは完璧よ」
「恐れ入ります。……この二日、職務の間中、団長に睨まれていたので、失敗はできないな、と」
「あははっ! なるほど、生命の危機があなたを覚醒させたわけね」
「……。何より……い間……いい、と、思っていたので……」
「え? 何? ごめん、もう一度言って?」
「……いえ。私も、皇太子殿下のお振る舞いには思うところがありますので。お嬢様の名誉の回復のためならば、喜んで死力を尽くさせていただきます」
「でも……そのせいで今夜これから、あなたの名誉は傷つくわ。本当にごめんなさい」
「そんな顔はしなくていい。君の望みを叶えられるなら、俺の名誉や命なんてものは、どうなったって構わないのだから」
と、会場へ向かう道すがら、婚約者の顔に戻ったゲイヴに微笑まれて、私はまた赤面しそうになった。
(あ、あれ? ゲイヴって、こんな歯の浮くようなこと、サラッと言える人だったっけ……)
内心そう動揺し、ゲイヴの衣装に合わせた真っ白なグローブの下でじわりと手汗が滲むのを感じる。いやいや、取り乱しちゃダメよ、アシュタリゼ。
今夜のあなたは世間が望む〝悪役令嬢〟を演じ切らなくちゃいけないんだから!
「──ゲイヴ・フォン・イリッヒ様、アシュタリゼ・フォン・ホーエンベルク様、ご入場です!」
ほどなく、会場となる大広間に案内された私たちは、バスラー伯爵家の執事のアナウンスを聞きながら、いよいよ最初の戦場へ踏み出した。
お互いに胸を張り、まっすぐ前を見て入り口の扉をくぐれば、途端に会場の喧騒がざわりと膨らんだのが分かる。
「えっ……アシュタリゼ嬢?」
「てっきり今夜は欠席かと……」
「一昨日、殿下に婚約を破棄されたばかりなのに、よく顔を出せたわね……」
「隣の男性は誰?」
「確か、帝国騎士団の……」
──ふふ……感じる、感じるわ。
集まったゲストたちの動揺。好奇と軽蔑の眼差し。早速飛び交う嘲笑とヒソヒソ声。ここまでは全部予想どおり。なので私はゲイヴと顔を見合わせ、余裕たっぷりに──幸せそうに笑い合う。それを見た会場がまたどよめくのを後目に、私たちは今夜の会の主催者であるバスラー伯爵夫妻へ歩み寄り、恭しく挨拶をした。
「バスラー伯爵。今宵はお招きいただき、ありがとうございます」
「い、いやいや、とんでもない。こちらこそご足労感謝いたします、アシュタリゼ侯爵令嬢。ええと、お連れ様はイリッヒ伯爵家の……」
「ええ。婚約者のゲイヴ・フォン・イリッヒです。彼と一緒に参加させていただくのは、今回が初めてですわね」
と満面の笑顔で言いながら、私が絡めた腕をギュッとしつつゲイヴにぴたりとくっつけば、会場のどよめきはますます大きくなった。これには初老のバスラー伯爵夫妻も度肝を抜かれたようで、ひどく混乱し、うろたえているのが分かる。
「こ、こ、婚約者……? し、失礼ですが、侯爵令嬢は一昨日に、皇太子殿下との婚約を解消なさったばかりでは……?」
「ええ、そうです。だから新しい婚約者を連れてきたんです。じゃなきゃ未婚の子女が社交場へ、殿方を連れてくるなんてはしたない真似ができるわけないじゃありませんか。ウフフフ」
「な、なるほど……? え、ええと、ゲイヴ伯爵は以前から、お父上と共にホーエンベルク侯爵にお仕えされているのでしたな。アシュタリゼ嬢とは、そういったご縁で……?」
「はい。侯爵閣下が帝国騎士団長となられる以前から、アシュタリゼとは親しくさせてもらっていました」
と涼しい顔で答えつつ、ゲイヴも私の演技に合わせ、愛おしそうに微笑みかけてくれる。いい、いいわ、その調子よ、ゲイヴ!
今や衆目は私たちに釘づけ。ここで撒けるだけ餌を撒いておけば、あとはまた勝手に噂に尾鰭がつき、背鰭がつき、勢いよく泳ぎ出す。今回は事前にお母様が流しておいてくれた噂もあるし、今のゲイヴの発言を〝ふたりは侯爵夫妻の黙認の下、ひそかに付き合っていた〟と解釈する人間は、決して少なくないだろう。
「ほ、ほう。さ、左様でしたか……では、ゲイヴ伯爵、アシュタリゼ侯爵令嬢。ささやかな宴ではありますが、当家でのひとときを、心ゆくまでお楽しみください」
「ええ、ありがとうございます、バスラー伯爵。さ、行きましょう、ゲイヴ。お父様とお母様も先にご到着されているはずだわ」
「ああ。やっと君との婚約を認めていただけたんだ。団長には改めてお礼を申し上げないとな」
と言いながら、なんとゲイヴは観衆に、私の額へキスをするという特大サービスまで見せつけた。
おかげで、会場のどよめきは爆発寸前。ついでに私の頭も湯気を噴いて爆発寸前──だったけど、ダメダメ、今は〝こんなのは日常茶飯事〟って顔をしなきゃ。
堅物で不器用なゲイヴに、ここまで役者の才能があったなんて驚きだけどね!
「お父様、お母様、到着が遅れてごめんなさい」
ほどなく、先に会場入りしていた両親と合流した私たちは次に〝ふたりの関係は侯爵夫妻公認で家族円満です〟という劇を演じることにした。が、何もかも事前の打ち合わせどおりのはずなのに、お父様は今にもゲイヴを睨み殺しそうな顔をしている。……どうやらさっきの〝額にキス〟は、さすがにやりすぎだったみたい。
「あら、無事に着いたのね、アシュタリゼ。馬車の調子が悪いと聞いたけれど、大丈夫だったの?」
と、そこでお母様がすかさずお父様の脇腹に肘鉄を入れながら、扇を広げて調子を合わせてくれる。さすがは『百勝公』の妻として、長年社交界に君臨してきたお母様だ。場慣れしていて頼もしい。
「ええ、車輪の軸がダメになってたみたい。結局代えの馬車に乗り替えてきたわ」
「それは災難だったわね。誰かがあなたたちの仲に嫉妬して、行かせまいと細工でもしたのかしら。やはり真実の愛に障害はつきものね」
「まあ、いやだわ、お母様ったら。そんな風に言われると、恥ずかしい……」
「オホホ、何を恥ずかしがることがありますか。これであなたたちもようやく、大手を振って日の下を歩けるのよ。今まで家のために我慢をさせてしまったわね、アシュタリゼ」
「うふふ、気にしないで、お母様。離れていたって、私とゲイヴの気持ちはいつもひとつだったもの。何よりフェルディナントも、私と婚約しながらアウグシュタのお姫様とよろしくやっていたみたいだし、そこはお互い様じゃない?」
「そうね。よりにもよって六年前、あなたをあんな目に遭わせたアウグシュタ人の姫と通じるだなんて、殿下にはほとほと失望したわ。ゲイヴ、あなたはどうか私たちをがっかりさせないでちょうだいね」
「もちろんです、夫人。リゼのことは必ず、私が幸せにいたします」
そう言って、ゲイヴは私の肩に手を回し、さりげなく、かつ優しく抱き寄せてくれた。今夜の衣装は悪女っぽさを出すために露出多めのドレスにしたから、ゲイヴの手のぬくもりが直接肌に触れてくすぐったい。
でも、同時に……何だか安心できるかも。なんでかな。
ああ、そうか。たぶん私は、フェルディナントと一緒のときは、騎士の娘である私が彼を守らなきゃって、どこかでずっと気負ってた。
だけどゲイヴは、私に守られる必要なんてないくらい強くて頼もしくて、逆に私を守ろうとしてくれる。いつ、どのループだって必ず味方でいてくれて、寄りかからせてくれて、何度フェルディナントに突き放されたって、私はひとりじゃない、と思わせてくれて……。
(……でも、それってたぶん、私が主君の娘だからよね)
イリッヒ家の──特にゲイヴの侯爵家に対する忠誠心はホーエンベルク随一だ。
だから私もこの役を最も信頼できる彼に任せたわけで、さみしい、なんて思うのはお門違いよね。そもそもフェルディナントだって、私のことを愛してくれてなんかいなかったのだし、王侯貴族の結婚なんてそんなものだ。
互いに想い想われなんてのは、所詮、物語の中だけの話……。
(こんな気持ちになるなんて、ちょっとロマンス小説を読みすぎたわね。今度はもう、うぬぼれないようにしなくっちゃ……)
そう。今の私の目的は、次の恋を探すことじゃなく、このループを終わらせること。なら、余計なことを考えるのは後回しだ。
さあ、フェルディ。
今夜の顛末を聞いて、あなたはどう出るのかしらね?




