グランド・フィナーレ
目の前で火花が散り、甲高い鉄の音があたりに響き渡った。
アシュタリゼ。俺と近衛兵の間に飛び込んだ彼女が、相手の剣を鋭く弾き返したのだ。間一髪。されど敵は怯まなかった。
すぐさま体勢を整え、軸足を踏み込み、再び剣を振り下ろしてくる。
「くっ……!」
アシュタリゼはその一撃を、頭上に剣を掲げて受け止めた。
が、劇場での怪我が原因で筋力が落ちている彼女に、現役近衛兵の腕力を支え切れるわけがない。ゆえに俺も即座に剣を抜き、使いものにならなくなった短銃は投げ捨てて、近衛兵へと斬りかかった。すると相手はすんでのところで跳びずさり、反動で押し込まれたアシュタリゼがぐらりと体勢を崩す。
そのまま背後に倒れそうになった彼女を、俺は横からとっさに支えた。
そんな俺たちの状況を、魔女はさも愉快そうに目を細めて眺めている。
「フェルディナント様……! うっ……!?」
「なるほど、第三の選択肢というわけですか。それとも今のは、王女ごと僕を撃とうとした……つまり、用済みの王女はもう要らないということですかね?」
「待て……!!」
刹那、イェルクの拘束を振りほどこうとしたアリマニカは引き戻され、いよいよ口を塞がれた。そうしてもがく彼女の白い首筋に刃があてがわれ、うっすらと走った傷から赤い血が滴り落ちる。
「そうでないのなら、殿下が自らの命を犠牲になさる選択をした、と受け取りますよ。ああ、ちなみにお察しかと思いますけど、ループの魔法は解けました。皇帝陛下のときと同じ手は使えませんので、あしからず」
「イェルク……!!」
「そんな怖い顔をなさらずとも、簡単な話じゃないですか。殿下はただ、こうおっしゃればいいんですよ。〝王女を愛している〟と──」
「……っ確かに、俺は……!」
そうだ。俺はたぶん、アリマニカのことも愛している。
愛してしまった。時間にすればアシュタリゼよりも遥かに長い年月を共に過ごし、いつも隣で支えてくれた彼女を。だから俺には、選べない。
アシュタリゼとアリマニカ、どちらかひとりだけの命など……。
「お……俺は……僕は、リゼも、アリマニカも、どちらも愛し──」
「──騙されるな、フェルディナント!! その女こそが〝魔女〟だ!!」
その、瞬間。
聖堂中の空気を震わすようなすさまじい怒号が轟き渡った。
驚愕した俺たちが、振り向いた先。半分はずれかかった入り口の扉の向こう。
そこには血の滲んだ包帯を頭に巻き、ボロボロになった体をマヌエルに支えられながら眦を決した、ホーエンベルク侯爵の──団長の、姿があった。
「おっ……お父様、お兄様!? な、何がどうなって……!?」
「リゼ、今すぐ下がりなさい! わしは……わしは、この目で確かに見たのだ。あの女が──アリマニカが悪魔を操り、ゲイヴの従騎士を皆殺しにするところを! つまり其奴こそが諸悪の根源、帝国を混沌に陥れようとした、魔女だ!」
そう言って団長がアリマニカを指差した直後、手に手に剣を携えた宮廷騎士がどっと堂内へ雪崩れ込んできた。
彼らは俺とアシュタリゼとを守るように周囲を取り巻き、また、アウグシュタの近衛兵と斬り結ぶ。結果は言うまでもなかった。数で押し込まれた近衛兵は呆気なく斬り伏せられ、騎士たちの剣は即座に壇上へと向けられる。
「こ……来ないで!!」
ところが刹那、アリマニカの絶叫が虚空を切り裂いた。
かと思えば彼女は瞬時にイェルクを盾に取り、彼を騎士たちと対峙させる。
──何故だ?
イェルクはどうして大人しくそれに従う? さっきまで魔女の手先として、アリマニカを拘束していたはずのイェルクが……。
「どういうことよ……これは一体どういうことよ!?」
俺たちが混乱するうち、アリマニカは祭壇の上で自らの赤毛を掻き毟り始めた。
両手に巻かれていたはずの縄も、いつの間にか解けている。
「答えなさい、悪魔! 私はちゃんと言ったじゃない! 〝あの男たちの息の根を確実に止めろ〟と……! なのに、どうして侯爵が生きてるのよ!?」
聞いたことのない金切り声を上げ、アリマニカは、誰もいない天に向かって叫んだ。が、そんな彼女の絶叫に答えるように、どこからともなく、地の底から響くような笑い声が轟き始める。
《嗚呼、嗚呼、惜しかったな、魔女よ! あとほんのひと押しで、皇子の口から勝利の条件を引き出せたものを……!》
「うるさい!! 笑ってないで、質問に答えなさいよ!!」
《然うさな、汝は確かに云った。あの者共の息の根を確実に止めよ、と。だが我等も云った筈だ。騎士十人の魂と引きかえでは、少々足りんとな!》
「何ですって……!!」
《故に我等は、贄の数に見合うだけの働きをしたまでよ。舞台がより面白くなる程度にな。侯爵が生き残るかどうかは賭けであったが、結果、奴は死の淵より馳せ戻り、間に合い果せた! 此の遊戯、最後の最後に抜かった汝の敗けだ、魔女よ!》
「あぁ……ああ……あぁああぁああッ!!!!!!」
もはや獣の咆吼にも似たアリマニカの叫びが、俺の思考を真っ白に漂白した。
あれはどこからどう見ても、俺の知る彼女じゃない。
しかし、何故? アリマニカこそが魔女だった?
いつからだ? 何のために?
それもまた、アシュタリゼに課した〝試練〟の一環だったから?
だったらどうして、侯爵家との仲を取り持とうとした?
すべては俺に取り入るため? だとすれば彼女が今まで注いでくれた笑顔も、優しさも、全部嘘だったということか? 最初から……?
「あ……アリマニカ……嘘だ……嘘だと、言ってくれ……」
「フェルディ……!」
「君が魔女だなんて……ずっと俺を騙していたなんて、何かの間違いだろう? だって君は、俺のことを、本気で──」
「──そうよ……愛していたわ。心の底から、あなたのその顔面を」
「は……?」
「だからどんな手を使っても、わたくしのものにしたかったのよ。そう、わたくしだけのものに……なのにいつまでもいつまでも、そんな美しくも何ともない女のことなんか引き摺って、最後の最後まで〝選べない〟とか甲斐性なしなこと抜かしやがって……ッふざけんのも大概にしなさいよ、このヘタレ皇子!!」
「あ……アリマニカ──」
「もういいわ!! どうあってもわたくしのものにならないのなら、せめてここで死んでちょうだい!! 一〇〇年に一度の顔面は誰にも渡さない……!! 渡さないんだから!!」
もはや気が狂れてしまったとしか思えぬ絶叫が、俺たちの眼前に、この世ならざるものを呼び出した。祭壇に佇む女神像。聖母のごとき微笑みを湛えたその像の背後から、灰色に干からびた木の枝のようなものが何本も飛び出し、女神像を禍々しい複腕の化け物へと変える。節足生物の脚のようにうねうねと蠢く木の枝は、よく見ると先端に五本の指と、黒く、長く、鋭く伸びた爪がついていた。
あれが団長の言っていた〝悪魔〟……なのか?
あまりにもおぞましく、まさに異形と言う他ない人外の腕。それは想像を絶する光景に怯んだ騎士たちを──彼らに守られる俺たちを見た、ような気がした。
「……! リゼ……!!」
けたたましく鳴り響いた本能の警鐘が、とっさに俺の体を動かす。
愕然と立ち尽くすアシュタリゼを押しのけて背にかばい、盾となった刹那、見計らったように異形の手がすっ飛んできた。
さながら黒き矢衾のごとく降り注いだ、それは。
次の瞬間、あらゆる方位から、魔女の体を貫いた。
「……は……?」
何が起きたのか分からない、と言いたげな顔をした魔女の口から血が噴き出す。
無数の悪魔の爪に串刺しにされ、穴だらけになった彼女の体はあっという間に赤く染まった。それでも魔女はまだ信じられないという風に、女神像を──その後ろから長く伸びる、悪魔の腕を顧みる。
「あ……なた、たち……何……して……?」
《云ったであろう。汝の敗けだ、魔女よ。故に一〇〇年遊ばせた其の魂、愈々、我等が貰い受ける》
「ふ……ざけ……な……」
《遊戯は終いだ。次は魔界で、我等と愉しく戯れようではないか。汝の良く熟れた魂は、実に、嬲り甲斐がありそうだ》
「い……や、よ……死に……たく、な……やめて……お願い……助けて……!!」
文字どおり血を吐くような哀願も虚しく、魔女の体は天への捧げもののようにゆっくり、ゆっくりと掲げられた。
かと思えば、直後、まるで魔神がふっと息でも吸い込んだかのような勢いで、悪魔の腕と魔女の体とが女神像の裏へと引き込まれていく。最後に残ったのは魔女の絶叫の余韻と、祭壇の上に滴った大量の血痕だけだった。と同時に、騎士たちを威圧していたイェルクの体が突如、糸の切れたように倒れ込む。
「イェルク……!」
俺たちは急いで駆け寄った。唖然と立ち尽くしている騎士たちを押しのけ、うつぶせに倒れたイェルクを抱き起こす。呼びかけても返事はないが、温かい。息がある。やや青ざめ、悪夢に魘されるような顔はしているものの、生きている。
「魔法が……解けたんだわ」
「え?」
「魔女が……〝悪魔と契約した者〟が、いなくなったから。そうすればすべての魔法は解ける。イェルクを操っていた魔法も、私たちを遠ざけていた不幸の魔法も、ループの魔法も」
「なら……全部、終わったのか? 本当に、全部……?」
「ええ……ええ、そうよ、フェルディ。私たち、ついにやったのよ! 試練に──魔女に勝ったんだわ! 運命は書き換えられた! これでもう、離れ離れにならなくて済むのよ……!」
そう言って、歓喜に目を潤ませたアシュタリゼが抱きついてきた瞬間、俺もようやく理解した。終わった。やっと、終わったんだ。
もう二度と、時間が巻き戻ることはない。
アシュタリゼと傷つけ合うこともない。
俺たちは勝った。魔女にも悪魔にも、女神にも。
「リゼ、フェルディナント! 怪我はないか……!?」
ほどなく団長を連れたマヌエルも駆けつけ、アシュタリゼは涙ながらに団長にも抱きついた。団長は見るからに満身創痍で、アシュタリゼが無事なのを確かめるや否やおいおいと、男泣きに泣き出した。崩れた天井から、なおも斜めに陽が注ぐ。
まるで俺たちの道行きを照らす、祝福のように。
「ね、お父様! 今までどこで何してたのか、詳しい話はあとでじっくり聞かせてもらうけど、ひとつだけ訊いてもいい!?」
「おお、何だ、愛しい娘よ。おまえの願いなら父様は何だって……」
「私、フェルディともう一度婚約したい! だから今ここで、誓いのキスをしてもいい!?」
「なっ……なん……だと……」
「ね、いいでしょう、お父様! ちょうど女神の像もあるし……!」
「お、おぉ……おぉ、いかん……ッ! 胸の傷が開いてッ──」
「ああ、もういいよ、キスでも何でも好きにしろ。父上はこのありさまだし、当主代理として俺が許す。ゲイヴのことも、あとで俺が慰めておくから」
「マヌエル、貴様ァッ!」
「まあ、ありがとう、お兄様! お父様も、大好きよ!」
言うが早いか、アシュタリゼは団長とマヌエルの頬にキスをして、すぐさま俺に向き直った。そうしてほんの少し照れたように、されど心の底から嬉しそうに咲いた彼女の笑顔は、太陽のようで。ああ、本当に取り戻せたんだな。
俺にとっての真実の女神──『ホーエンベルクの紅玉』を。
「ねえ、フェルディ! おかえりなさい……!」
それは奇しくもあの日、別々の席から眺めたとある歌劇の最後の歌と同じ台詞。
その言葉を口ずさんで、笑いながら泣き出した彼女を、俺は想いの限り抱き締めた。長い長い、旅の終わり。
グランド・フィナーレは、誓いのキスで幕を閉じる。




