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100回ループした悪役令嬢 VS 100日後に死ぬ氷血皇子  作者: 長谷川
Ⅶ.運命はだれのもの

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魔法が解けてから

「……ねえ、フェルディ?」

「うん?」

「確かにこの三日、劇場のときみたいな事故が起きてないことは認めるわ。あなたの言うとおり、私たちが一緒にいればあの現象は起きないのかもしれない。でも、だからって──こんなに近い必要ある?」

「ああ、ある。君とこうしていると、心なしか傷の治りが早い気がするし……」

「いやそれたぶん気のせいだし、私たちまだ婚前ですのよ、皇太子殿下!?」

「そうだな。婚前どころか、今は婚約者同士ですらないな……」

「じゃあやっぱりこれって問題あるんじゃないの!?」

「だとして、誰が文句を言えるというんだ? 陛下にかかった洗脳(まほう)を解いた僕と、身を挺して国(・)家(・)の(・)危(・)機(・)を(・)救(・)っ(・)た(・)君に……」


 と後ろから抱き竦めたまま、アシュタリゼの首筋に額を預けてそう言えば、彼女の耳がみるみる真っ赤に染まるのが見えた。ああ、そうか、ここで喋ると声が近いのだろうなと思いながら、俺はついくすくすと笑いを零す。

 ユングフラウ宮殿、二階の寝室。騒動の鎮静化から三日、俺はそこで寝台に体を起こし、腕の中にいるアシュタリゼのぬくもりに身を預けていた。

 彼女はひどく恥ずかしがっているようだが、俺としてはおよそ三十年(一〇〇ループ)ぶりに取り戻せた最愛の人を易々と手放したくはない。


 毒と刺創の影響で続いていた熱もようやく下がり、傷の痛みもかなり引いてきた頃だった。あれからユングフラウ宮殿には穏やかなときが流れ、三日前の騒乱は夢か幻だったような気さえする。が、俺が今、真に夢ではないかと疑っているのはむしろ、アシュタリゼと和解できた現実の方だ。森で無事に再会を果たし、ユングフラウへ戻った俺たちはあのあと互いの身に起きていたことを話し合い、一〇〇ループにも渡る壮大な誤解とすれちがいを知った。


 つまり俺たちは、お互いがループの記憶を保持していることを知らないまま延々婚約破棄を繰り返し、傷つけ合っていたわけだ。そして、アシュタリゼは俺からの愛を失ったと誤解し、俺は彼女がその愛を取り戻そうと躍起になっていると誤解した。さらに、この現象を終わらせるための手段(ゴール)についても、それぞれがまったく別の予想を立てていたことが、すれちがいに拍車をかけたと言っていいだろう。


「だ、だけど驚いたわ。まさかゾフィーやイェルクだけじゃなくて、皇帝陛下まで魔女に操られてしまっていたなんて……」


 とアシュタリゼが気恥ずかしさを誤魔化すように話題を振ってきたのを聞いて、俺もうん、と短く返す。三日前、母上とホーエンベルク侯爵夫人の話を聞いて、皇(ち)帝(ち)も魔女に操られている可能性に思い至った俺は、賭けに出た。

 すなわち、アシュタリゼたちを追って出動した騎士団を止めるため、騎士団そのものではなく、彼らに勅命を下した父上を攻略することにしたのだ。


 というのも、もし魔女に他人を傀儡(かいらい)とする力があるのなら、四日前の晩、侯爵夫人の命を狙って現れたアリマニカの侍女もまた、同じ魔法にかかっていた可能性が高いと予想した。侍女の動きは明らかに素人のそれではなかったし、彼女が煙幕を張るのに用いた道具も、まさに〝魔法〟という言葉でしか説明のつかないものだったからだ。しかし同時に俺はひとつ、あの晩の侍女の行動に引っかかりを覚えていた。他でもない、侯爵夫人の代わりに自害しようとした俺を彼女が止めた件だ。


 仮に侍女の中身が魔女であったなら、この不可解な現象の元凶と思われる彼女が俺の死を止める理由はない。何故なら魔女は、俺が死んでもループが繰り返されるだけだと承知しているはずなのだから。


(つまり魔女は何らかの理由で、今、俺に死なれては困る……のか? 俺の死の運命が、ループの始点から一〇〇日後で固定されていることと何か関係があるのかもしれないが……ともかく、この予想が当たっているとすれば、話は簡単だ。魔女を黙らせるには、俺(・)が(・)俺(・)を(・)人(・)質(・)に(・)取(・)っ(・)て(・)し(・)ま(・)え(・)ば(・)い(・)い(・)──)


 そう閃いた俺はあのあと、すぐさま身支度を整えて父上のもとへ急行した。

 フランツ・マンフレート・フォン・ビュロンライヒ──齢(よわい)七歳で即位し、以後四十年に渡ってビュロン帝国に君臨してきた無二の皇帝。

 その父上と謁見の間で相対したとき、俺は身の竦むような思いがした。

 もしも父上が魔女の手に落ちた、という根底の仮説が間違っていたとしたら、果たして俺は、この人を止められるのだろうかと。


 けれども、すべては杞憂だった。改めて対話に臨んだ父上は、俺の知る稀代の賢君とはまるで別人だった。何せ、ホーエンベルクの謀叛に対する証拠を何ひとつ提示しないどころか、彼らを擁護しようとする俺を、問答無用で騎士たちに拘束させようとしたのだ。だが俺の父は、こんな愚かな真似をする人ではない。


 権謀術数渦巻く宮廷を今日まで生き延び、肥大化した帝国を飢えさせることなく束ね上げ、誰もが「愚昧」と嗤(わら)った母上を愛し守り抜いてきた人が、建国以来の忠臣たるホーエンベルクを、このような形で切り捨てるわけがない。ゆえに、俺は、


「今すぐ父上の体から出ていけ、魔女よ。ついでに騎士団長代理(ゴルドン)の体からもだ。そしてホーエンベルクに対する不当な迫害をただちにやめると、今ここで神に誓え。さもなくば、俺は俺の首を切る。おかげさまで、死ぬのには慣れているのでな」


 と、廷臣が固唾(かたず)を飲んで見守る中で自らの首に刃を当て、玉座の上の父上を──シャモワの魔女を脅迫した。結果はご覧のとおりだ。すべては不確定な推測に基づいた分の悪い賭けであったにもかかわらず、俺はその賭けに勝利した。

 それは翻(ひるがえ)って、俺たちの予想がいずれも的中していたことを裏づけた。


 つまり今日まで起きたあらゆる出来事は、魔女によって仕組まれたものだった、ということだ。現に俺との交渉の途中で突如意識を失った父上は、次に目を覚ましたとき、ここひと月ほどの出来事を何ひとつ覚えていなかった。ホーエンベルク侯爵夫人の話によれば、侯爵邸でアシュタリゼを騙した侍女(ゾフィー)も同じ症状を呈していたらしく、これでふたりが魔女に操られていたことはほぼ確実となった。


「どうりで婚約破棄の撤回を求めても、陛下がお気持ちを変えてくださらなかったはずよね。私はてっきり、帝国の利害とあなたの気持ちが一致しちゃったものだから、陛下もあなたの味方をなさってるんだとばかり思ってたけど……」

「ああ……僕がもっと早くに、おかしいと気づくべきだったんだ。君との婚約を祝福してくださっていた父上が、いくら国益のためとはいえ、僕たちに何の相談もなく心変わりするはずがないと……今の今まで、まんまと騙されていた自分が情けない。そのせいで君をどれだけ傷つけてしまったことか……」

「ち、違うわ、フェルディ。そもそもシャモワの魔女が実在してるなんて、私でさえ思ってなかったもの。だったらそんなの、気づけるわけない。第一、陛下が魔女に乗っ取られてしまったのだって、私のせいだわ。私が魔女と契約なんかしたせいで……あなたに死ぬよりつらい思いをさせてしまった。一〇〇回死んでも死ねないなんて、地獄以外の何ものでもなかったでしょう。それに比べたら私の苦しみなんて……本当にごめんなさい、フェルディ。ごめんなさ──」

「──リゼ」


 と、腕の中でうなだれた彼女のうなじを見つめて、俺はそう呼びかけた。

 アシュタリゼは、顔を上げない。両の手で顔を覆った彼女の肩は小刻みに震え、そこにのしかかった罪の意識の重さを物語っている。けれども、俺は、


「言っただろう。頼むからもう謝らないでくれ。君が魔女に願ってくれなければ、僕はとっくに死んでいたんだ。僕が今、こうしてここにいられるのは、他の誰でもない君のおかげ……」

「でも……っそのせいで、あなたは……!」

「僕はね、リゼ。このループで思い知ったんだ。この世で一番の苦しみは、一〇〇回死ぬことじゃない。二度と君に触れられないことだ。なら、どうして君を憎めるというんだ? 自分のすべてを擲(なげう)って、永遠の苦しみから僕を救い出してくれた君を……」


 そう言って覗き込んだ先で、俺を見つめたアシュタリゼの紅い瞳が揺れていた。

 今にも泣き出しそうにくしゃりと顔を歪めた彼女は俺の知る、遠い記憶のままのアシュタリゼだ。ああ、こんな奇跡があるのだろうか。あれほどひどい仕打ちを繰り返してきた俺を、それでもまだ彼女は想い、変わらずにいてくれただなんて。


「だから、改めて言おう。愛している、リゼ」

「フェルディ……っ」

「もう二度と、君と離れたくない。愛してる。愛してる、リゼ──」


 ついに決壊した涙をぽろぽろと零す彼女に俺は笑いかけ、そして、口づけた。

 今はもう婚約者ではない相手と唇を重ねるなんて、本来、許されないことは分かっている。しかし溢れ出した想いを止めることなど、できるはずもなかった。

 何せ俺たちは一〇〇ループもの間、自分の本心を堰(せ)き止(と)めていたのだから。


「は……っフェルディ……私も──」


 何度も何度も口づけを交わし、切れ切れになる吐息の下でアシュタリゼが言う。

 そんな風にされた上、震えながら胸にしがみつかれたら、さすがの俺も抑えが効かない。ゆえに一段と深く口づけ、呼吸を奪い、そのたびに腕の中で、彼女の肩が跳ねるのに甘く痺れた。そうしてひとしきり想いを確かめ合ったのち、俺は改めてアシュタリゼを抱き締める。もう離さない。どこにも行かせない。


 心の中で、そう誓った。俺の首に腕を回し、ぎゅうと抱き締め返してくれた彼女への愛しさで、胸がいっぱいになりながら。


「はあ……今すぐ太陽が沈んでくれればな……」

「なっ……ば、バカ言わないで! 私たち、まだ婚前だって言ってるでしょ!? そもそも婚約だってし直さないとだし……!」

「ああ……そのためには、早く団長に帰ってきてもらわないと……廷臣たちもみんな、あの人の帰りを待ち侘びてる。今や侯爵家(きみたち)は、魔女と結託したアウグシュタ人の陰謀から祖国を救った英雄だからな」

「う、うん。とりあえず、そういう方向で話が丸く収まったのはよかったけど……でも、私が皇室と対立しないよう例の噂を逆手に取って、ゲイヴを婚約者に立てつつ裏でアウグシュタの尻尾を掴もうとしてた、なんて嘘八百、よくとっさに思いついたわね?」

「別に丸きり嘘というわけでもないだろう? 散々に傷つけられた君の名誉を回復するためには、これくらいのことはしないと」

「だけど、本当にアウグシュタが噛んでるかどうかはまだ分からないのに……アリマニカ王女だって、本気で私たちの仲を取り持とうとしてくれてたんでしょ?」

「ああ。彼女はどのループでも僕の話を信じて、一緒に解決の道を探してくれた。怪しい動きを見せたことなんて、ただの一度もなかったんだ。だから僕は、彼女は魔女の件を知らなかったか、知っていたとしても、独立派に対抗するために動いてくれていたんじゃないかと思ってるんだが……」


 実を言えばあれから三日、アリマニカの行方は未だに分かっていない。

 父上と同じく魔女に操られ、ゲイヴを襲って逃げたというイェルクも、そのイェルクを追って消息を断ったホーエンベルク侯爵もだ。今は帝国騎士団が総出で捜索に当たっているものの、足取りは掴めていない。同時に、アウグシュタ王国の動向を探る密偵も動き出しているから、何かしら手がかりが見つかるといいのだが。


(イェルクが、一体いつから魔女に乗っ取られていたのかは分からないが……俺はあいつにも、団長にも、アリマニカにも何も返せていない。何度も死に戻る中で、俺がギリギリ壊れずに踏み留まれたのは、イェルクやアリマニカのおかげだというのに……とはいえまだループにも、完全に決着がついたとは言えないんだが……)


 今日まで俺たちを苦しめ続けたループ現象が、俺の甦(よみがえ)りを懸け、魔女がアシュタリゼに課した試練だった、という話は聞いた。アシュタリゼが俺を救おうとするたび不幸に見舞われたのも、魔女が人々を操り、俺たちを引き離そうと動いていたのも、すべては死の運命を覆すための〝試練〟だったということだろう。


 ならば、あらゆる妨害を乗り越えてアシュタリゼと和解できた今、俺の死の運命は書き換えられた……のだろうと思われる。とすればアシュタリゼがこれ以上不幸(しれん)に襲われることもないし、俺たちがループを繰り返すこともなくなった、と推定されるものの、いまいち確証が持てなかった。なので俺は再会を果たしてからというもの、片時もアシュタリゼの傍を離れずにいる。もしも魔女が〝ループの起点から一〇〇日後に死亡する〟という俺の運命を変えることができないのなら、俺が彼女と共にいる限り、死の危険が及ぶような不幸は起こせないだろうと踏んだからだ。


 そもそも、未だ解けない謎が残ったままであることも、不安を拭えない一因となっている。たとえば俺たちの最初の人生での、ゲイヴの不可解な行動がそれだ。


(……この事件の発端は、俺がゲイヴに殺されたことにある。リゼの話によればあの日、ゲイヴはリゼを森に呼び出して襲おうとしたらしい。ゲイヴは昔からリゼに気があったというイェルクの話が事実なら、俺との結婚を目前に控えたリゼを手籠めにして、婚約を白紙に戻そうとした可能性もゼロではない……が、マヌエルは、ゲイヴがそんな狼藉を働くなんて天地が逆転してもありえないと言うし……)


 実際、幼い頃から共に育った俺もまた、ゲイヴがそのような凶行に及ぶ人物だとは思えなかった。しかし一方で『魔女の香水《メッツェン・パフューム》』なる惚れ薬に当てられた彼が、今回のループでもアシュタリゼを襲おうとしたという話も聞いている。

 ならば最初の人生でも、アシュタリゼが知らぬ間に惚れ薬を使うか浴びせられるかしたのではとも思ったが、彼女は記憶にないらしく……。


「……なあ、リゼ」

「何?」

「最初の人生で僕を殺したあとのゲイヴは、容疑を否認していたんだよな? だが現場の状況と君の証言から、間違いなく皇太子殺しの犯人だという判決が下って処刑された……」

「うん。正確には否認っていうより、本当に自分がやったのかどうか分からない、みたいな証言をしてたと思うけど……ごめんなさい。私、あの頃の記憶がほとんどなくて……あなたを失ったショックで、何ヶ月も放心して過ごしてたから……」

「いや。僕の方こそ、つらい記憶を思い出させてすまない。しかしどうしても、最初の事件が腑に落ちなくて……」

「……私もよ。ゲイヴがあんなことをするなんて、やっぱり信じられない。お兄様の話を聞いたあとだとなおさら……この間あなたが言ってたみたいに、私が知らないうちに惚れ薬を使ってたんじゃ? って考えた方がしっくりくるくらい」

「うーん……とはいえ、試練(ループ)が始まる前に魔女の干渉があったとは思えないし、仮にあったとしても動機が不明だからな……君がシャモワの魔女に辿(たど)り着(つ)いたのは、あくまで偶然だったんだろう?」

「ええ。魔女が最初から契約を持ちかけるつもりだったなら、私が伝承を辿るのなんか待たずに、向こうから接触してくればよかっただけの話よね……」


 と、蟀谷(こめかみ)を俺の胸に預けながら、アシュタリゼは複雑な顔をしている。

 彼女もゲイヴが自らの意思であの事件を起こしたとは信じたくないのだろうが、同時に、完全には否定し切れずにいるのだろう。

 だからだろうか、昏睡していたゲイヴが無事峠(とうげ)を越え、先頃目を覚ましたと聞かされても、アシュタリゼは会いに行くのを躊躇(ちゅうちょ)しているようだった。

 侯爵の不在で進展が止まっている今、彼女の婚約者はまだゲイヴだというのに。


(……それを心のどこかで〝嬉しい〟と思ってしまっている自分が嫌になるな。リゼだって本当はゲイヴを信じたいだろうに……)


 しかし一度彼に殺されている上、最愛の人を二度も襲われている以上、俺もどんな顔をして会いに行けばいいのか分からない。

 俺にとってのアリマニカのように、ループ中、何度もアシュタリゼを支えてくれたというゲイヴには、感謝したい気持ちも山々なのだが──


「──おい、フェルディナント!」


 ところがそんな思いを抱えながら、俺が依然、腕の中で不安げにしているアシュタリゼの額へキスを落とした瞬間だった。いきなり寝室の扉がぶち開けられ、俺たちは揃って跳び上がる。ノックもなしに襲来したのは、マヌエルだ。

 突然の闖入者(ちんにゅうしゃ)に、俺たちは寝台の上で身を寄せ合ったまま固まった。

 よほど急ぎの用件で来たのだろう、息を切らせて部屋へ駆け込んできたマヌエルもそれを見るなり硬直し、やがてわなわなと震え出す。


「ふ……フェルディナント……おまえ……父上が戻らないのをいいことに、人の妹に何を……!」

「い、いや、違うんだ、マヌエル……! こ、これは、リゼがまた事故に巻き込まれないようにするための措置であって──」

「じゃあ今、なんでキスした!? 今すぐ妹から離れろ!」

「お、お兄様、落ち着いて! ほら、暴れると傷が開くから! そ、そ、それよりどうしたの、何かすごく急いでるみたいだったけど!?」


 今にも殴りかからんばかりの勢いで迫ってきたマヌエルを押し留めて、顔を真っ赤にしたアシュタリゼは寝台から滑り下りた。

 彼女がそうして止めてくれなければ、俺は、本気でマヌエルに殴られていたと思う。ループの間、西の領地にいることが多かったマヌエルとはずいぶん長く会っていなかったから、彼も存外家族(いもうと)想いで、怒らせると侯爵以上に恐ろしいのを忘れていた。何せ彼には侯爵の血だけでなく、あ(・)の(・)夫人の血まで流れているからな……。


「ああ、そうだ、今、ゲイヴが目を覚ましたのを知らせにイリッヒ邸へ行ってきたんだが、そしたら執事(ヨハン)がこんなものを……!」

「な……何、これ? 手紙?」

「今朝、屋敷のメイドが、玄関扉の下に置かれてたのを見つけたらしい。イェルクからの手紙だ!」


 マヌエルが告げたひと言は、俺たちを驚愕させた。

 イェルク──やはり、生きていたのか。安堵と焦燥が一気に湧き上がり、思わず寝台から身を乗り出そうとする。すると気づいたアシュタリゼが、手紙を手にまた寄り添ってくれた。俺の腹の傷を気遣ってのことだろう。


「これってイェルクの筆跡よね?」

「ああ、間違いない。しかしあいつは何故屋敷に直接顔を出さず、手紙なんて置いていったんだ?」

「それが……中身を見てくれ。どうやら事件は、まだ終わってないらしい」


 と、悔しげに顔を歪めたマヌエルの反応を見て、嫌な予感がした。

 それはアシュタリゼも同じだったようで、俺と顔を見合わせるなり急いで封筒の中身を取り出す。出てきたのは、折りたたまれた便箋一枚。

 そこにはやはり流麗なイェルクの字で、こう書かれていた。


『親愛なる我が君、フェルディナント皇太子殿下へ。アリマニカ王女の御身をお預かりしております。もし彼女の救出をお望みであれば、アシュタリゼ侯爵令嬢とふたりだけで、旧市街の聖モーリッツ教会跡地までおいでください。お待ちしております。あなたの剣(つるぎ)、イェルクより』



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