『氷血』とうぬぼれや
その夏もホーエンベルク城の麓では、毎年恒例の収穫祭が開かれていた。祭の時期は赫鷲騎士団にも休暇が与えられ、騎士も使用人も、みんなで城下に下りて祭を楽しむ。雨季が来る前に一斉に小麦を刈り入れて、今年の豊穣を女神マータに感謝するためのお祭りだ。私は子どもの頃からこのお祭りが大好きで、十二歳の年もフェルディナントたちと一緒に丘を駆け下り、出店や演し物を心ゆくまで楽しんだ。
「フェルディ、フェルディ、来て!」
そしてホーエンベルクの収穫祭には、ひとつ、こんな言い伝えがある。収穫の時期、野山に咲き乱れるラクリマータの花は、女神マータの涙から生まれた花。
その花で編んだ花冠を被って女神を笑わせることができれば、来年も豊穣と幸運が約束される、というものだ。だから毎年、祭の時期にはみんなが野に出てラクリマータの花を摘み、手作りの花冠を大切な人に贈り合う。どうかあなたに幸運が訪れますように、という願いを込めた願掛けというか、おまじないみたいなものだ。
風に揺れるラクリマータの花が野原に咲き乱れているさまは、まるで地上に空が落ちてきたかのよう。私はそこで、雫型の四枚の花びらがなるべくきれいに色づいているラクリマータの花を集めて、せっせと作った花冠を、呼び寄せたフェルディの頭にそっと捧げた。
「どう? 今年の花冠は、去年より上手にできたでしょ?」
「うん……そうだね。少なくとも、花冠の形はしているね」
「き、去年のはほら、踊ってる途中でバラバラになっちゃったから、今年は途中でほどけないように、すっごく丁寧に作ったのよ!」
「まあ、確かに、不器用なリゼにしては頑張った方かな」
「……ねえ、それって褒めてるのよね?」
と野原に座り込んだ私が半眼になって尋ねると、茎がところどころから飛び出した花冠を被ったフェルディナントはおかしそうに笑い出した。
私は昔から裁縫とか楽器とか、そういうのはてんでダメで、ひとつのところにじっとして繊細な作業をするというのに向いてない。それでも私なりに一生懸命、フェルディナントを想って頑張ったのに……とむくれていると、そのとき、私の頭にもポン、と、爽やかな野花の香りのする重みが乗せられたのが分かった。
フェルディナントが作ってくれた、花冠だ。
「ごめんごめん、冗談だよ、リゼ。君が今日のために、一ヶ月も前から城の女中に頼み込んで、花の編み方を猛特訓してたこと、ちゃんと知ってるよ」
「え!? な、なんで知ってるの!? みんなには内緒にしてって言ったのに……!」
「だって、城中の花という花が日に日になくなっていくんだもの。あれで気づくなっていう方が無理なんじゃないかな」
「う、うあああ! それは盲点だった……横着しないで、ちゃんと外から練習用の花を摘んでくるんだった!」
「ふふっ……君は昔から、肝心なところで詰めが甘いからなあ。でも──ありがとう、リゼ。嬉しいよ」
言いながら、目を細めて笑ってくれたフェルディナントの顔があまりにまぶしすぎて、私は柄にもなく、頬が熱を帯びるのを感じた。
当時十五歳になっていたフェルディナントには、物陰に隠れて泣いてばかりいた子どもの頃の面影は既になく、身長もぐんぐん伸びて少しずつ男の子らしさみたいなものが出てきていたというか。そう、ちょうど美少年と美青年の中間くらいの、ほんの一瞬しか咲かない花の儚さと危うさに似たものが漂っていたから、私はその香りに当てられて、しょっちゅうくらくらしていたのだった。
「わ……私も、ありがとう。花冠、作ってくれて……」
「うん。すごく似合ってるよ、リゼ」
「う……ふ、フェルディも、似合ってる……って言いたいところだけど、来年、もう一回リベンジさせて。今度こそ見た目と強度を兼ね備えた花冠を作ってみせるから……!」
「それは楽しみだな。リゼの花冠作りの腕は毎年上達してるから、来年はきっともっとうまくできるはずだよ」
「そ、そうだといいんだけど──」
「──お嬢様。アシュタリゼお嬢様!」
ところが、花冠を贈り合う人々で賑わう野原に突然、私を呼ぶ声が響き渡った。見れば見覚えのある中年男性がひとり、きょろきょろとあたりを見回しながら私の名を呼んでいる。あれは城で馬たちの世話をしてくれている馬丁のフィーリプだ。
「フィーリプ、私ならここよ! どうしたの?」
「おお、お嬢様。お楽しみ中のところ申し訳ございません。実は奥様から、お嬢様を見かけたら城へ呼び戻すよう仰せつかりまして、皆で探しておりました」
「お母様が? もうすぐ山車行列が始まるのに……何の用事かおっしゃってた?」
「いえ、それが……」
私の姿を見つけるなり、さっと鍔つき帽を下ろしたフィーリプは、何だか気まずそうな顔色で目を泳がせた。そうしながら手に持った帽子で口もとを覆うと、周囲を憚るように耳打ちしてくる。
「我々も詳しいことは分からんのですが、どうも出征中の旦那様のことで、お話があるようで……」
「……! 分かった、行くわ。ごめん、フェルディ。私、ちょっと行ってくる」
「僕も行こうか?」
「ううん。すぐ行って戻ってくるから、フェルディは先にお祭りを楽しんでて。あなたがお祭りに参加する機会は、今年を入れてあと三回しかないんだから」
「では、城まではあっしがお供いたしましょう」
フィーリプはちょっとくたびれた顔で、へ、へ、と笑うと、フェルディナントにも一礼して歩き出した。仕事ぶりは悪くはないのだけれど、フィーリプは無類の酒好きで、給金もすぐ酒代に使ってしまうから、当時、既に多額の借金を背負っていたと聞いている。けれど私が何故、そんな一介の使用人の身の上話を知っているかというと──まあ、早い話が、このあと私は敵国のスパイに攫われ、彼らを手引きした罪で、フィーリプが首を刎ねられたことを後日になって知ったからだ。
「収穫祭の時期には、ホーエンベルクにも余所から大勢の人間が流れてくる。その人波に乗じて『赫鷲』の娘を攫う。あの娘が祭のために城を離れる隙を狙って、人気のない場所へ誘い込め。おまえの仕事はそれだけだ」
フィーリプは敵国のスパイにそう囁かれて、彼らの誘いに乗ったらしい。
すなわち、借金を肩代わりしてもらう代わりに、主君の娘を売ったわけだ。
が、まさかそんな裏取引があろうとは露知らず、
「お嬢様、表通りは人混みがひどいですから、今日はこっちから行きやしょう。なあに、城までの近道ですよ。ついてきてください」
というフィーリプの言葉にまんまと騙された私は、薄暗い裏路地で複数人の男に囲まれ、あっという間に馬車に詰め込まれてしまった。そこから先は目隠しと猿轡をされ、がっちり拘束されて狭い箱の中に押し込められたから、自分を乗せた馬車がどこへ向かっているのかさえ、私には分からなかった。
ところが、そんな私の異変に真っ先に気づいてくれたのが、フェルディナントだったのだ。彼は騎士団の仲間と合流したところで、同じく皆を見つけてやってきたマヌエルお兄様と行き合った。そこでフィーリプの話を思い出し、
「マヌエル、君は城へ戻らなくていいのか? リゼはさっき夫人に呼ばれていったよ。何でも、団長のことで急ぎの話があるとかで……」
と気にかけると、お兄様は不思議そうな顔をして、
「え? 母上ならさっきまで一緒にいたけど……父上の話って、何のことだ?」
と、のんきに目をぱちくりさせたのだという。
途端に何かがおかしいと察し、フェルディナントは大急ぎで私を探してくれた。
その後ほどなく、私が攫われた現場に落ちていた花冠を見つけて、即座に状況を推理し、理解した。私が抵抗したときに落とした花冠はフェルディナントが作ってくれたものだったから、他人のものと見間違えるはずもなかったのだ。
かくして、私が拉致されたことにいち早く気づいたフェルディナントは騎士団に掛け合い、ただちに捜索に移ってくれた。私を敵国へ売り飛ばし、祭の会場で上機嫌に酒を飲んでいたというフィーリプもあっという間に拘束され、尋問にかけられた。私が私を攫った連中に何かされる前に解放されたのは、他でもないフェルディナントのおかげだ。彼は明晰な頭脳を駆使して馬車の行方を推理し、痕跡を探し、迅速にあとを追ってきてくれた。そして──
「──ぎゃあああッ! て……てめえ、何しやが──ぐあッ……!?」
当時はまだ敵国だった、アウグシュタ王国との国境付近。
そこに打ち捨てられた古い砦の廃墟で逃げようと抵抗し、打ち据えられ、それでもなお暴れたせいで慰みものにされようとしていた私を、駆けつけたフェルディナントが救ってくれた。彼は共に捜索に出ていた仲間を置き去りにして単身砦へ殴り込み、私の誘拐に関与したアウグシュタ人をひとり残らず鏖殺した。
あの弱くて泣いてばかりいた泣き虫王子が、いつの間にこんな冷たい顔で剣を振るい、何の躊躇もなく人を殺せるようになったのだろう。
そう唖然とするくらい呆気なく、彼は砦を血の海にした。
あのときのフェルディナントは、本当に人が変わったようだった。
「ふ……フェルディ……?」
と崩れかけの外壁から差し込む夕暮れの逆光の中、影みたいに真っ黒になって佇むフェルディナントを呼んだときの声の震えを、私は今も覚えている。
全身から返り血を滴らせ、手負いの獣を思わせる眼差しでこちらを向いたその人が、間違いなくフェルディナントだと確かめたくて──同時に否定してほしくて、情けなく喉が震えた。けれど次に私の前に膝をついたとき、フェルディナントはふっと憑きものが落ちたようになって、
「リゼ」
と、いつもの優しい声で私を呼んだ。
そうして、まるで壊れものにでも触れるみたいに私に触れて、血で真っ赤になったきれいな顔を、泣き出しそうにくしゃりと歪めた。
「ごめん。遅くなった。君に……怖い思いをさせてしまった」
そう言いながら、殴られた頬を包んでくれたフェルディナントの掌も、やっぱり優しくて。
「髪を……切られたのか。やつら、どうしてこんな仕打ちを……」
「わ……私の髪、を、戦場にいる、お父様のところへ持っていく、って……そうすれば誘拐が本当だと、お父様も信じざるを得ないからって……ねえ、フェルディ。さっき、私の髪入りの脅迫状を持ったやつが、砦を発ってしまったの。このままじゃ、お父様が──」
「大丈夫。赫鷲騎士団の早馬を使えば、団長が間違った決断をしてしまう前に、君の無事を知らせることができる。団長も必ず助けるよ。だからもう、大丈夫」
そう言って微笑んでくれたフェルディナントの顔を見たら、私はようやく安心して、子どもみたいに泣いてしまった。いや、実際私は子どもだったし、直前まで感じていたはずの恐怖が彼の笑顔ひとつで溶けてなくなってしまうくらいには単純だった。けれど遅れて駆けつけたお兄様たちは、私ほど単純ではなかったようだ。
彼らは砦内の惨状と、泣いている私と、全身が真っ赤に染まったフェルディナントを見るなり、青ざめていた。
「ふ……フェルディナント。こいつらを全部、おまえひとりでやったのか?」
「……ああ。不意を衝いて奇襲したから、存外、ひとりでも何とかできた」
「だとしても……やりすぎだ。これじゃまるで……」
そこから先の言葉を、お兄様は私の泣き顔をちらと見て飲み込んだようだった。
あとから聞いた話だけれど、私を拉致した連中の情報を聞き出すためにフィーリプを尋問──もとい拷問したのも、フェルディナントだったらしい。彼は至極淡々と、声を荒らげるでもなくフィーリプを問い質し、相手が口を閉ざすたびに一本ずつ、指を切り落としていったそうだ。顔色ひとつ、変えることなく。
「なあ。ひょっとしてあっちの方が、あいつの本性だったりするんじゃないか?」
「いやいや、どんな手を使ってもお嬢様を助けたかっただけだろ?」
「けどそれだって、帝国最強の赫鷲騎士団を──ホーエンベルクを味方につけたいという打算かもしれない」
「あんな恐ろしいことを平気な顔してやってのけるようなやつが、将来の皇帝なんて……」
そうして、いつしか人々は、フェルディナントのことを『氷血皇子』なんて名前で呼んで、陰で噂するようになった。噂にはあっという間に尾鰭がつき、背鰭がつき、増殖しながら姿を変えて、帝国の隅々まで……。
けれど私は知っている。フェルディナントは私を救い出すために、名誉も恐怖も、命さえも投げ出して助けにきてくれたんだって。
だから翌年、戦場から戻ったお父様が、私とフェルディナントの婚約を皇帝陛下に打診してくれたときは、本当に嬉しかった。これからは私が、フェルディナントに救われた命で彼を守り、傍で支えていくのだと、女神に剣を捧げて誓った。
(……だけどやっぱり、みんなの言うとおりだったのかしら。氷血があなたの本性だったの、フェルディ?)
だとしたら「恋は盲目」とはよく言ったものだわ。
私はあなたのその本性すらも愛だと信じて、疑おうとしなかったの。
まったく、とんだうぬぼれやよね?




