在りし日の泣き虫皇子
今でこそ『氷血皇子』なんて呼ばれているフェルディナントだけど、彼も昔は、皇太子という肩書きを除けば何とも頼りない、泣き虫の男の子だった。
「フェルディ! またそんなところで泣いてるの?」
「り……リゼ……」
あれは確か、私がまだ七歳かそれくらいの頃だったと思う。
フェルディナントは私より三つ年上だから、当時はたぶん十歳くらい。
実を言うとフェルディナントは、七歳の頃から我がホーエンベルク領に騎士修行に来ていて、私たちは同じ屋敷で寝食を共にする幼馴染みだった。
ビュロン帝国の皇子は代々、十八歳で成人するまで、一人前の騎士となるための修行に出されるのが一般的だ。そこで戦い方を学びながら、信頼できる人材を見つけて交流を深めたり、地方の暮らしや庶民の様子を身近に感じたり……と、将来の皇帝として必要な知見を深め、基盤を固めるのが目的だとか。
フェルディナントの修行先にホーエンベルクの誇る赫鷲騎士団が選ばれたのは、当時のお父様が既に負けなしの騎士として名を馳せていたためだろう。
もちろんその分、赫鷲騎士団での修行というのはとても苛烈で──当然と言うべきか、幼い皇子のフェルディナントにも、お父様はまるで容赦をしなかった。
「我が騎士団に身を置く間は、それがしはあなた様を皇子ではなく、他の見習い騎士と同様に扱います。容易に折れぬ剣とは、何度も火に入れて鍛えねば生み出せぬもの。あなた様には将来、ビュロンを導く立派な皇帝となっていただかねばなりません。そのためにもどうか、御身に流れる尊き血のことは、ここではしばしお忘れください」
と。結果、七歳まで宮廷で蝶よ花よと大切に育てられてきたフェルディナントは騎士団の修行についてゆけず、よく物陰に隠れて泣いていた。
それを見つけ出して居館まで手を引いてゆくのが、当時の私の役目だったのだ。
「まったくもう。あなた、最近、ますます隠れるのがうまくなったわね? 剣の使い方はぜんぜん上手にならないのに」
「う……うるさいな! 放っておいてよ……!」
「うふふっ。さっきイェルクから聞いたわ。今日もお父さまにこてんぱんにされたんでしょ? でも、いいなあ。あたしはうらやましいけどな。お父さまに直接剣を教えてもらえるなんて」
言いながら、私はホーエンベルク城の中でも特に日の当たらない、暗くてじめじめした倉庫の陰に腰を下ろした。ビュロン皇家の象徴でもあるフェルディナントの銀髪は、そんな薄暗い日陰でも、星屑みたいにキラキラしていたのを覚えている。
何でも彼は生来、筋肉がつきにくい体質だとかで、どんなに鍛練しても体の線は細いまま。おかげで当時のフェルディナントは、遠くから見ると、華奢で儚げな女の子のようだった。幼い頃から野山を駆け回り、お兄様から「この野生児め」と何度も叱られていた私とは裏腹に。
「フェルディ。あなたは気づいてないかもしれないけどね、うちの騎士団で、お父さまにつきっきりで剣を教えてもらえるって、とってもすごいことなのよ。お父さまは、自分が認めた相手にしか剣を教えないんだから」
「……それは僕が皇子だからだろ。団長は僕を認めたわけじゃない。父上の命令だから仕方なく聞いてるんだ」
「まあ。そうだとしても、ビュロンで一番の剣の達人に教えてもらえるなんて、やっぱりすごいと思うけど。そんなにイヤなら、あたしがかわってあげたいくらい」
「……リゼは騎士になりたいの? お兄さんから、最近、こっそり剣を習ってるって聞いたよ」
「うん……ほんとはね。あたし、男の子に生まれたかったんだあ。そうしたら、お父さまやお兄さまといっしょに戦えたもの」
「……戦争に行きたいの? 殺されるかもしれないんだよ?」
「わかってるよ。でも……あんなに強いお父さまでもね。戦争に行くと、ケガをして帰ってくることがあるの。あたし、それがすごくこわくて……だいすきなお父さまが、つぎの戦争では死んじゃうかもしれないって思うと、すごくこわくて。そういうきもちのまま、お父さまが帰ってくるのをずーっと待ってるときが、あたし、世界で一番きらい」
「……そうか。リゼは、自分も騎士になって団長を守りたいのか」
「うん……だから、フェルディのことが、すっごくうらやましいなって。お父さまは、あたしにはぜったい剣を教えてくれないもん。むしろ剣を触っただけで怒られるし……」
「それは団長が……いや、団長もリゼのことが大事だからだろ?」
「そう……なのかな?」
「そうだよ。団長は、リゼには安全なところで、平和に暮らしててほしいんだよ」
「けど、お母さまは〝淑女が男の人のマネをするなんてはしたないからだ〟って」
「あははっ。それも確かにそうだけど、リゼにレディになれなんて、そもそも無理な話じゃないか」
「ちょっ、どういう意味よ、失礼ね!」
私がそう言って拳を振り上げると、フェルディナントは頭をかばう素振りをしながら「ほら、そういうとこだよ」と笑った。私はそんな彼の反応がますます腹立たしかったけど──でも、さっきまでめそめそ泣いていたはずのフェルディナントがいつの間にか笑っているのを見たら、何だかほっとしたりもして。
なんていうか、同じ年頃の見習い騎士は他にもたくさんいたけれど、フェルディナントは私にとって特別な存在だった。弱くて泣き虫なくせに、口を開けば妙に理知的で落ち着きがあって、他の見習い騎士とはどこか違ったというか……。
実際、フェルディナントは、武芸の方はからきしでも頭はよくて、一度教えられたことはすぐ覚えた。それを周りに教えたり、応用したりするのもすごく得意で、私はフェルディナントが同年代の男の子たちに囲まれて、穏やかに勉強を教えているところを眺めるのが好きだった。宮廷仕込みの上品な話し方は聞いていて心地よかったし、彼が教本に目を落とすたび、長い睫毛がそっと影を落とすさまは、絵画にして残したいくらいきれいだったし。
──フェルディはきっと将来、立派な皇帝になるんだろうな。
幼心に、そう思っていた。だけどそんな彼が『氷血皇子』なんて呼ばれて恐れられるようになったのは、十二歳の夏。
私が敵国のスパイに攫われた、あの事件がきっかけだった。




