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100回ループした悪役令嬢 VS 100日後に死ぬ氷血皇子  作者: 長谷川
Ⅵ.メルヒェンは微笑まない

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音なき戦場にて③

 アリマニカの侍女が投げた短剣は、俺の左の脇腹に刺さって止まった。


 あのまままっすぐに飛んでいれば、恐らく、ソファに座った侯爵夫人の胸もとに命中していたに違いない。つまり、明確な殺意を乗せた一撃だったということだ。


 一体何故、アリマニカの侍女が夫人を狙うのかは分からない。

 そもそもただの侍女に、こんな芸当ができるものなのかも。だが、視界を覆っていた白煙が徐々に薄れていく中で、俺は考えるよりも先に短剣(けん)を掴み、肉の中から引き抜いた。今の俺には、戦(・)う(・)た(・)め(・)の(・)得(・)物(・)がこれしかなかったからだ。


「フェルディナント……!!」


 と、背後で母上が叫ぶのを聞きながら、俺は自身の血で濡れた短剣を思い切り振り抜いた。次の瞬間、甲高い鉄の音(ね)が響き、侯爵夫人目がけて走り寄ろうとしていた侍女が俺の攻撃を受け止める。どうやら用意周到に、二本目の得物も用意していたようだ。いかにも衣服の中に隠しやすそうな、小型の鎧通し(スティレット)。


 俺の狙いは侍女の手からその得物を弾き飛ばすことだったのだが、不覚にもうまくいかなかった。もとからの体調不良と傷の痛みのために、踏ん張りがきかなかったのかもしれない。


(くそっ……だが、リゼの母君を──奪わせはしない……!)


 脇腹から血が噴き出すのを感じながら、それでも俺はもう一歩踏み込み、改めて短剣を振るった。すると侍女はひらりと背後へ跳んで、切っ先を躱(かわ)しつつ距離を取る。熟練の暗殺者じみた動きだった。彼女は本当にあのアリマニカの侍女なのか?

 とてもこれまで見てきた彼女と同一人物とは思えない。

 アウグシュタ王国から来た侍女が、かの国を征服したホーエンベルクの人間に憎悪を募らせる、ということはありえるのかもしれないが──


「殿下……! おいっ、やつを引っ捕らえろ!」


 ほどなく、煙が完全に晴れたことでようやく状況を把握したらしい騎士たちが、泡を食って侍女へ襲いかかった。


 が、剣を手に迫り来る彼らに対し、彼女は、


「──来ないで!」


 と一喝するなり、どこからともなく取り出した小瓶を突きつける。果たして何の瓶なのか、分からないながらに騎士たちは怯んだ。その隙に、侍女はなおも叫ぶ。


「それ以上近づいたら、この瓶を叩き割るわ。そうなったが最後、皇太子の命はないわよ!」

「何……!? どういうことだ──」


 と聞き返す、騎士の怒号が響いた直後だった。

 不意に体から力が抜けて、俺はガクンと片膝をつく。

 両の手足が、末端から痺れるような感じがした。と同時に少しずつ呼吸が苦しくなり、ひどく酒に酔ったときのように、ゆっくりと視界が回り出す。


「フェルディナント……! フェルディナント、しっかりして! ああ、誰か早く、お医者様を……!」


 治まったと思った強い吐き気が、またぶり返してきた。

 ゆえに口もとを押さえ、倒れ込みそうになった俺を母上がとっさに抱き留める。

 侯爵夫人もすぐに走り寄ってきて、俺の傍らにしゃがみ込んだ。

 が、彼女はそこですぐさま、俺の異様な発汗と手足の震えに気がついたようだ。


「まさか……フェルディ、あなた、毒を受けたの? 傷口をお見せなさい! 誰か、清潔な布と水を持ってきて!」


 耳もとで叫ぶ夫人の声が、遠く聞こえる。

 まるで深い水の中にいるようだ。息が苦しい。視界が回る。

 だが、今、この状況で、意識を失うわけにはいかない──


「馬鹿な、毒だと……!? では、その瓶は……!」

「ええ、そうよ。解毒剤よ。これがなければ皇太子は助からないわ。だからそれ以上近寄らないで」

「貴様……! 一体何のつもりだ!? こうも堂々と殿下のお命を狙うとは……!」

「はあ? 違うわよ。私の狙いは、そこにいるホーエンベルク夫人だもの。だのに皇太子が余計な邪魔を……」

「何……!? アウグシュタの侍女が何故、侯爵夫人を……!」


 ……やはり、やつの狙いは夫人だった。これには夫人も驚いたのか、目を見張って固まっている。そんな夫人の様子に一瞥(いちべつ)をくれた侍女はハッと酷薄な笑みを浮かべて、手にした鎧通しの切っ先を、まっすぐ彼女へと突きつけた。


「というわけで、時間がないわ、侯爵夫人。皇子を助けたければ、あなた、今すぐ自害しなさい」

「なっ……」

「そうすれば、解毒剤を渡してあげる。たかが侯爵の妻と一国の皇太子、どちらの命が優先されるべきかは、誰の目にも明らかよね?」

(あの女……何を……)


 切れ切れになる呼吸の下から、ふざけるな、と吐き捨てたかった。

 俺を生かすために侯爵夫人が死ぬ?

 そんなことはあってはならない。無論、この階級社会では、命の価値に軽重があるのは分かっている。しかし理解していることと、受け入れられるかどうかは別問題だ。俺はこれ以上、ホーエンベルクから何も奪いたくない。


 もう二度と、アシュタリゼを泣かせたくない──


「……。皇妃陛下。少々、お足もとを失礼いたします」

「えっ……?」


 刹那、身を屈めた侯爵夫人が、床に座り込んだ母上の足もとへ手を伸ばした。

 そこには俺が左手に握ったままの、短剣がある。


「──なりません、侯爵夫人」


 そして伸ばされた夫人の手が、短剣の柄に触れようとした瞬間、俺は遠のきかけていた意識を無理矢理引き戻して彼女を止めた。震える指先から力が抜けてしまわないように、気力を振り絞って夫人の手を握る。はっと顔を上げた夫人の紅眼(ひとみ)の上では、死人のような顔色をした俺の姿が揺れていた。


「いいえ、殿下……ここは彼女の言葉に従わなくては。あなたはビュロンの未来を担う、最も尊(たっと)きお方です。ですからどうか、お手を」

「なりません。命惜しさに、あのような者の言葉に屈するなど……皇家の威信に、傷がつきます。何より、彼女には……リゼにはまだ、あなたが必要です」

「殿下」

「どうか、私を……これ以上……あなた方(ホーエンベルク)から受けた恩を仇で返す、薄情者にさせないでください。私なら……大丈夫です。ここで死んでも……もう一度……やり直せばいいだけのこと──」


 ──そうだ。どのみち俺は、死んでも死ねない。今までのループでは、俺が死ぬのは決まって起点から一〇〇日後だった。それより早く命を落とした場合、どうなるのかは分からないが、一〇〇回繰り返しても逃れられなかった運命だ。ならば今回も同じように、ふっと命の灯火が消えた途端、またあ(・)の(・)朝(・)を迎えるに違いない。


 ……そう考えれば、いっそ死んでしまった方が話が早いんじゃないか?


 俺が死ねば時間は巻き戻る。今回の騒動もなかったことになる。

 ならばそれこそが、確実に侯爵家を守れる方法であるはずだ。

 このままさらに事態が悪化し、アシュタリゼや夫人に万一のことがあってからでは遅い。もしもそこでループが終わってしまったら、取り返しのつかないことになる。今、最も命の価値が軽いのは、死んでもやり直せる可能性が高い俺だ。


 朦朧(もうろう)とする頭がそう答えを弾き出したとき、覚悟は決まった。

 ゆえに最後の力を振り絞り、夫人をドンと突き飛ばす。不意を衝(つ)かれた夫人は後ろに向かってよろめき、倒れ込んだ。これで彼女に邪魔はされない。

 その隙に俺は短剣を振り上げ、迷わず自らの心臓を狙って──


「──ダメよ!!」


 瞬間、部屋中に響き渡ったアリマニカの侍女の絶叫が消えかけの意識を劈(つんざ)いた。


 おかげでびくりと体が震え、俺の意思とは関係なく、振り下ろしかけていた両手が、止まる。


「今だ、確保……!!」


 が、隙を晒したのはアリマニカの侍女も同じだった。自害しようとした俺に彼女が気を取られた一瞬の隙に、騎士たちが一斉に飛びかかり、素早く侍女を取り押さえる。と同時に俺の手もまた、止められた。瞳いっぱいに涙を溜めた母上が、短剣を握った俺の腕を抱くようにして止めている。ああ──そうだったな。


 俺はやはり、一〇〇日後でなければ死ねないんだ。

 過去にもこのループに嫌気がさして、一〇〇日後を迎える前に死んでしまおうとしたことが何度かあった。しかし、いずれも必ず邪魔が入って失敗し、俺はうまく死ねなかった。そしてどうやら今回も、その法則に助けられたようだ。


「フェルディナント。わたくしは、許しません。息子であるあなたがわたくしより先に死ぬなんて、絶対に許しませんからね……!」

「母上……申し訳……ありま……せ……」


 苦笑と共に絞り出そうとした謝罪の言葉は、最後まで紡(つむ)ぐことができなかった。

 脅威が去った安堵のためか、たちまち気が遠のいて、ぐらりと体が傾(かし)いでいく。

 そうして床に倒れ込んだ俺の名を、母上や侯爵夫人が口々に叫(よ)ぶのが聞こえた。

 されどより深い深い水底(みなそこ)へ沈み込んでいくように、どんどん声が遠くなる。


(ああ、くそ……今は、早く……リゼを助けにいかないと……いけないのに──)


 内心、そんな悪態をついたのを最後に、俺の意識は真っ黒く塗り潰された。


 いつか遠い日に見た、アシュタリゼの笑顔の記憶ごと。



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