ミッション・スタート
八四ループ目。
わたくしは、全身汗だくのまま寝台から飛び起きた。
「悪魔! 今日は何月の何日……!? わたくしたちは、あれからどうなったの!?」
侍女が起こしに来るよりも、まだずっと早い時間。窓にカーテンが下りたままの薄暗い部屋の中で、わたくしは閉じた箱型収納に向かってそう叫んだ。
《落ち着け、魔女よ。此処は大地の月の十二日──円環の始点だ。汝は又、戻ったのだよ。皇子の死を無かった事にする為に》
「戻、った……いつもどおりに……?」
──ということは、フェルディナントもまた生き返った。
そう理解したわたくしは、震える両手を胸に押し当て、身を折って嘆息した。
この一〇〇年、何人もの生け贄の心臓を抉り出したときには何も感じなかったのに、フェルディナントの胸を刺した感触はじっとりと掌に残って、しばらくの間、生きた心地がしなかった。おかげでフェルディナントは八三回目のループの記憶をすっぽりと失い、アシュタリゼがもたらした情報も忘れてくれたものの、これで同じ手は使えなくなった。彼女が再びループの件を暴露したなら、今度はもう、フェルディナントを止めるのは難しいだろう。
そこからはより注意深く、わたくしはアシュタリゼの行動を監視するようになった。と同時に、どうにかして彼女をさっさと自殺へ追い込めないかと、作戦を練り始めた。勝利条件は満たせなくとも、わたくしとアシュタリゼ、どちらかがループ中に命を落とせば悪魔のゲームは終わるからだ。
わたくしは確かに不老の存在ではあるけれど、不死ではない。
普通の人間と同じように、斬られたり焼かれたりすれば当然、死ぬ。だから自分の身を守ることには細心の注意を払っていた一方で、アシュタリゼは放っておいても、そのうち勝手に諦めて自死を選ぶだろうと甘く見ていた。が、結果、わたくしは監視の目を擦り抜けられ、危うくゲームに負けてしまうところだったのだ。
ならばこれ以上、アシュタリゼを野放しにはしておけない。
ではどうやって殺そうかと考え込んでいるうちに、彼女は突如屋敷に籠もって出てこなくなり、そんな状態が一〇ループほども続いて──
「末永くお幸せに、フェルディナント殿下。どうかくれぐれもお体にはお気をつけて、ね」
──かくして迎えた、一〇一回目。
アシュタリゼはもはや毎度恒例となった婚約破棄をあっさりと受け入れ、直後に新たな婚約者を作るという暴挙に出た。
しかもその婚約者というのが、何の因果か、ゲイヴ・フォン・イリッヒ。
それを知った瞬間、わたくしは思わず笑ってしまった。
ああ、あなたの考えなんてお見通しよ、アシュタリゼ。
今回はそうやってフェルディナントの気を引くことにしたのね?
なら、喜んで乗ってあげましょう。
自分から間男を傍に置いてくれるなんて、わたくしとしても好都合だからね。
《成程、令嬢も智恵を絞ってきたな。然し魔女よ。皇子も徐々、令嬢も又、同じ時を巡っている事に勘づき始めておるのであろう? ならば、此処から如何する?》
「簡単よ。まずはしばらく接触を絶っていたふたりを、わざと引き合わせるの。できれば、アシュタリゼとゲイヴが一緒にいるところを狙いたいわね。そうすれば、アシュタリゼにかかった呪いとゲイヴへの憎悪とで、フェルディナントを二重に揺さぶれるでしょう? アシュタリゼもアシュタリゼで、フェルディナントに拒絶される痛みを思い出すでしょうし……」
《ほう。確かに然しもの皇子も、一〇〇度も死を繰り返した事で、大分精神が磨耗しておる様だからな。完全な崩壊まで、もうひと押しと云った処か》
「ええ。そうなればあとはこちらのもの……同時に今回で、アシュタリゼにもトドメを刺してあげましょう。最後に勝つのは、このわたくしよ」
言いながら、わたくしはここぞというときのために取っておいた、美しい玻璃の小瓶にキスをした。菫の彫刻が施された硝子の中に、薄桃色の液体を閉じ込めたそれは──『魔女の香水』。
アシュタリゼを絶望の底へ叩き落とすための、切り札だ。
(本当はわたくしがフェルディナントに使うつもりで持ってきたのだけれど、それでは面白くない、と悪魔に禁止されてしまったからね。だったら、別の使い道を与えるだけだわ。奇しくもあなたが忘れてしまった、最初の人生のやり直しになりそうね、アシュタリゼ──)
一度使えば警戒されてしまい、二度は使えないだろう奥の手。
ゆえに大事に大事に、今日まで残してきた甲斐があった。
アシュタリゼとゲイヴの距離が未だかつてないほどに接近した今なら使える。
彼には存分にその欲望を吐き出してもらいましょう。
愛するアシュタリゼが死を望むほど熱烈に、ね。
「ああ、長かった! これでやっと、やっと終わるのね……!」
あの女さえいなくなれば、今度こそフェルディナントはわたくしのもの。
世界一美しい男と結ばれるという夢がついに叶うの。
さあ、アシュタリゼ。
最期の瞬間、あなたはどんな顔で哭いてくれるのかしらね?




