こんにちは、恋心
それは、今から三年前の冬。小雪舞うユングフラウ宮殿の庭園は熱狂に包まれ、わたくしもまた大勢の観衆に混じって、内心、歓喜の絶叫を上げていた。
(あ、あれがビュロンの次の皇太子……ああ、なんて……なんて顔がいいの~~~~~!?!?!?)
忘れもしない、民衆の月の十八日。
その日はビュロン帝国の皇太子フェルディナントの誕生日であり、成人を迎えた彼が騎士の叙任を受けて、初めて市民の前に姿を現した記念すべき一日だった。当日は一般市民も宮殿の敷地内に入ることを許され、滅多にお目にかかることのできない皇族たちがバルコニーに現れるのを仰ぎ見ることができたのだ。そこには青と白の騎士服に身を包んだ皇太子が佇み、群衆の歓呼に応えて手を振っていた。彼こそが次代の帝国を担う皇太子だと、人々の記憶と網膜に灼きつけるかのように。
(間違いない……彼こそわたくしが探し求めていた運命の相手だわ! まさに一〇〇年に一人の美男子……たまたま男あさりに来たユングフラウで、あんな奇跡の顔面と出逢えるなんて……!)
皇家の血の証である、冬の朝日のような銀髪に切れ長の青い瞳。
その瞳は遠くからでも分かるほど長く反り返った睫毛に縁取られ、目もとだけ見れば美しく物憂い貴婦人のよう。けれども全体の顔つきは精悍で、しっかりとした男らしさを感じるのに、どこか中性的でもある。
男性にしてはやや長い髪や、淡く色づいた唇がそう思わせるのだろうか。騎士修行を終えて戻ったばかりという引き締まった体つきは、無駄なものが削ぎ落とされた結果、儚げにさえ見えるという稀有なバランスを体現していて……。
あれこそ、真なる神の被造物だ。苦節一〇〇年、女神の存在なんてとっくに信じなくなっていたわたくしが、有神論者へと立ち返った瞬間だった。だが、彼の伴侶となるためには、いくつかの大きな障害があった。何せ相手は一国の皇太子。
ただ見目が麗しいだけでは、彼の心は掴めても、血統という名の現実を乗り越えるのは難しい。わたくしももとはアウグシュタ王国のさる貴族の娘とはいえ、歴史上はとっくに死んだことになっていたし……何より最大の障害として立ち塞がったのが、彼の隣に立って手を振るひとりの女──アシュタリゼ・フォン・ホーエンベルクの存在だ。
(成人した皇太子と一緒に婚約者までお披露目なんて……あれじゃわたくしの入り込む隙がないじゃない。だけど大して美しくもないあんな女に、フェルディナントを取られるなんて許せない……!)
爪を噛み、バルコニーの上のアシュタリゼを睨んで憎悪を燃やしたわたくしは、そこからすぐに行動に出た。まずは適当な貴族の愛人となって、ビュロンの宮廷事情やアシュタリゼの情報を掻き集め、ホーエンベルクの台頭に不満を持つ諸侯を扇動。そうしてフェルディナントの婚約者の座から彼女を追い落とそうとしたのだけれど、結果は失敗。ホーエンベルクに反旗を翻した連中は呆気なく、フェルディナント主導の粛清によって文字どおり首を飛ばされてしまった。
ならばと次に仕掛けたのが、アウグシュタ王家の一員となってフェルディナントに接近する作戦だ。これは意外とすんなり運んだ。何故なら当代のアウグシュタ国王は、ある悩みを抱えていたから。それは二年前、ビュロン帝国に白旗を上げたことに端を発する国内の分断と、彼の娘──本物のアリマニカ・アウグシュタがいつかのわたくしと同じ、醜く生まれた王女であることだった。
「はあ……王国の安泰のため、帝国への恭順を示そうにも、娘があの出来では容易に嫁がせることもできん。かと言って、我が国の主立った公爵家はみな独立派……娘を養子にくれと言ったところで、聞く耳を持つわけがない。ああ、一体どうしたものか……」
というアウグシュタ王の嘆きを『魔女の大釜』を通じて知ったわたくしは「これだ」と思った。幸いなことに、娘の不出来を嘆いたアウグシュタ王は、彼女を「生まれつき病弱のため」と偽って離宮に閉じ込め、人目に触れぬよう育てていた。
わたくしはそこにつけ込んだのだ。王女が十五の誕生日を迎えたことで、そろそろ帝立学院に入学させろ、と帝国からせっつかれていた王へ擦り寄り、
「病弱な王女殿下の身代わりとして、わたくしが帝国へ留学し、かの国とアウグシュタの架け橋となりますわ」
と囁いて。そんなことが可能だったのは、これまた幸いなことに、当代のアウグシュタ王の妃がわたくしの生家の血筋の者だったから。悪魔と交渉し、肉体年齢を王女と同じ年齢まで巻き戻したわたくしの容姿は妃の若かりし頃にそっくりで、これならば身代わりと気づかれまいと、王も俄然乗り気になった。
かくして血筋の問題を解決したわたくしは、王女が十六歳を迎えた春、満を持して帝国へ渡り、学院の生徒となった。同じ学院に身を置くアウグシュタ貴族の子弟は、ただの一度も公の場に現れたことのない王女の顔など知るはずもなく、当然のようにわたくしを彼女と信じ、受け入れた。こうなれば、あとは寄留先となったユングフラウ宮殿でフェルディナントへ接近し、彼をわたくしに惚れさせるだけ。
邪魔者の婚約者は──悪魔に支払わなければならない代償が大きすぎて後込みしていたけれど──魔法の力でさっさと呪い殺してしまえばいい。
すべては順調だ。そう思っていた。
初対面を迎えたフェルディナントがどういうわけか、わたくしの美貌に見向きもしないという現実を知るまでは。
「ちょっと、これは一体どういうこと!?」
と、初対面の場で彼から社交辞令以上の言葉を引き出せず、関心すら向けてもらうことができなかったわたくしは、自室へ戻るなり、箱型収納に隠して持ち込んだ子釜に当たり散らした。
「わたくしは一〇〇年前、確かに願ったはずよね? 〝誰もがひと目で虜になるような美しい女にして〟と!」
《ああ。なれど今の汝は時を遡った女子の姿だ。若返ると云う事は、即ち退化すると云う事。嘗て汝が願った姿は、肉体が成長した暁に甦る。が、其までは其の姿で我慢せよ。汝が幾星霜も掛けて探し求めた〝運命の相手〟とやらが、ひと目視線を交わしただけで手に入ってしまっては、全く興が乗らぬであろう?》
ああ──そうだった。悪魔とはこういう連中だ。
魔法には常に対価を求め、こちらの願いを「面白いか、面白くないか」の二択で選別する。やつらにとって、人間とはただの見せ物。
魔界の退屈を紛らわせるために存在する踊り子に過ぎないのだ。
だから、どんな願いもこちらの願ったとおりに叶えてくれるとは限らない。
彼らは彼らにとって面白くなるように演出を決める。アシュタリゼの呪殺に、前例がないほどたくさんの生け贄を求められたのもこれが理由だろう。既に「美しくなりたい」という願いを叶えたわたくしが、他の願いまでぽんぽんと、たやすく叶えてしまってはつまらない。それがこの舞台の総監督である、悪魔たちの判断だ。
「……いいわ。なら、とっておきの愛憎劇を見せてやろうじゃない」
ゆえにわたくしは次なる行動を開始した。アシュタリゼに想いを寄せる若き騎士──ゲイヴ・フォン・イリッヒを傀儡とするために。




