101回目のショータイム
「あぁ~~~も~~~──いい加減にしなさいってのよ!!」
麗らかな春の陽差しが降り注ぐ、大地の月の十二日。
わたくしはそう絶叫しながら、寝台の上で飛び起きた。
苛立ちのあまり息は上がり、歯軋りと共に波打つ赤毛を掻き毟る。
もう耐えられない、耐えられない、耐えられない!
さすがに頭がどうにかなりそうだ。
何せ既に一〇一回も、同じ時間を繰り返しているのだから。
「一体何がどうなってるの……いつになったら彼はわたくしに落ちるわけ? 一〇〇回も死んどいてまだ正気を保ってるって、人として異常でしょ!? だいたい、あの女もあの女よ! いつまで悪あがきするつもり!? さっさと諦めて死になさいっての!」
と、激情のあまり掴んだ枕を寝台へ叩きつけ、羽毛が飛び出すまで暴れ散らかして、わたくしはフーッ、フーッと獣のように息をした。こんな姿を宮殿の連中に見られるわけにはいかないと分かっているのに、もはや平静を保てない。
いっそ狂ってしまえたらどんなに楽かと思いながら、ウウゥゥと頭を抱えてうめいていると、そのとき不意にくぐもった笑い声がした。
《随分苦労している様だな、魔女よ。如何だ、愈々投了するか?》
およそこの世のものとは思えない、低くぜろぜろとしたおぞましい笑い声。
それを耳にした刹那、わたくしはようやくいくばくかの正気を取り戻した。
と同時に真顔になって、振り乱した髪のまま寝台を下りる。
向かった先は、寝台の足もとに置かれた箱型収納の前だった。
鍵はいつも肌身離さず、胸のあたりに下げている。
その鍵を首からはずして屈み込み、チェストの鍵穴へと差し込んでから、わたくしは無言で豪華な装飾の蓋を持ち上げた。箱の中に収まっているのは、真っ黒な液体に満たされた鋳鉄の釜。シャモワ山脈の拠点にある大釜から分漿──釜の中身を持ち出すことだ──し、持ち込んだ小さな釜だ。魔女と聞けば誰もが真っ先に思い浮かべるだろう『魔女の大釜』。あれはこのとおり、実在する。
悪魔どもの巣くう魔界と人間界とをつなぐ〝窓〟として。
「おはよう、悪魔。今日も高みの見物とはいいご身分ね」
《ああ、御蔭様で楽しませて貰っているよ。一〇〇回も挑んで尚、目的を果たせぬ間抜けな人間共の狂宴をな》
「こっちも好きで踊っているわけじゃないのだけれど。ここまでやってもクリアできないなんて想定外だわ。ねえ、そろそろゲームの〝条件〟を変えてくれてもいいのではなくて?」
《其は出来ない相談だ。汝も知っているだろう、我等との契約は絶対だと。其処から降りたいと云うのなら、諦めて汝の魂を差し出すのだな》
〝あちら側〟で得体の知れない何かが話すたび、真っ黒な釜の水面はぴくぴくと波立つ。そうして生まれた波紋の中心から、突如ぬっと突き出た異形の手──干からびたような灰色の皮膚に、長く鋭い爪を備えた不気味な手──が、催促するように手招いた。冗談じゃない。ここまで来て、今さら諦められますかっての!
「はあ……分かったわよ。だけどこのところアシュタリゼに動きがないの。侍女を使って色々と働きかけてはいるのだけれど、何を考えているのだか、一向に屋敷から出てこなくって……おかげでフェルディナントもメンタルを持ち直してしまったし、これじゃ手の打ちようがないわ」
《左様な苦境を何とかしてみせるのが、汝の腕の見せ処だろう。演者が観客を愉しませなくて如何する》
「だから、観客参加型の余興にしようとしてるんじゃないの」
《ククク……物は言い様だな。ならば一つ、予言を呉れてやろう。令嬢は徐々動くぞ》
「え、本当? あの女、次はどんな手でくるつもり!?」
《其処までは教えられん。如何しても知りたくば、然うさな……若く見目の良い女の魂、四つと交換だ》
「はあ? あなたたちって面食いだったの?」
《いいや? 人間の美醜なんぞに興味は無い。が、汝の眼に適う容貌の女四人ともなれば、容易には集まるまい?》
「あらそう。要するに〝協力するつもりはない〟ってことね」
《何度も言わせるな。悪魔と人間の間に在るのは、取引だけだ。此度も精々足掻くが良い。汝、令嬢、皇太子……真っ先にポキリと折れるのは、果たして何奴だろうな?》
やはり薄気味の悪い、鼓膜に張りつくような笑声を響かせながら、魔界の住人はようやく手を引っ込めた。……〝悪魔と人間の間にあるのは取引だけ〟。
そんなこと、嫌というほど分かってる。
何せこいつらとも、かれこれ一〇〇年の付き合いだからね。
(はあ……だけど、こいつらの見せ物になってやるのもそろそろ限界だわ。このままじゃ冗談抜きで頭がおかしくなる……今度という今度こそアシュタリゼを殺してループを終わらせなくちゃ。それさえ叶えばあとはもう、こいつらにも用はない。わたくしは彼と……フェルディナントと最期まで添い遂げるんだから──)
釜から立ち上る腐臭を嗅ぎながら、わたくしは両手で顔を覆って立ち尽くした。
永遠の命と魔法の力で、どんな願いも叶える〝シャモワの魔女〟──そう呼ばれてきたわたくしが、まさかこんなところでつまずくなんて。
ことの発端は、そう……忘れもしない一二五年前。アウグシュタ王国の貴族の娘として生まれたわたくしは、物心ついた頃には既に、心底世界を呪っていた。
何故ならわたくしは、生まれつき醜かったから。
美しく整った容姿に生まれることが、神の祝福を受けた貴族の血の証──今も昔もそう信じられている貴族社会で、生まれつき顔が醜いというのはそれだけで罪だった。貴族の血を引きながら醜く生まれるということは、親が盗みや不貞などの悪行を働いたがゆえの天罰か、あるいは誰かから呪いを受けたか、そのどちらかというのが通説だ。
おかげでわたくしは両親から忌み嫌われ、兄姉にも馬鹿にされ、社交界では常に笑い者だった。あげくの果てには屋敷の使用人にさえも見下され、何度枕を濡らしたか分からない。
(今後一生、こんな思いをして生きるくらいなら、死んでしまった方がマシだわ)
やがてそう思い詰めるようになった頃、わたくしはある一冊の書物と出会った。
当時、屋敷に出入りしていた古物商が並べた商品の中に紛れていた、奇怪で禍々しい装丁の醜い書物。これは何、と尋ねると、古物商は慌てた様子でそれを隠し、
「こちらはとある一家のご依頼で取り寄せた東国の品でして、お嬢様がお手を触れてよいものではございません。何せ本書はほら、このとおり──表紙が人間の皮でできているのですから」
と、ちょっとおどかすような、あるいはからかうような、いびつな笑みを浮かべて言った。途端、本能が魂の底から「欲しい」と叫んだあの衝動を、人は〝運命〟と呼ぶのかもしれない。世にも珍しい人皮装丁本にひと目で恋をしたわたくしは、渋る古物商を大金で黙らせ、本来の注文客から奪う形で手に入れた。
大金と言っても、当時のわたくしはまだ十六か十七で、家の財産を自由にする権利などなかったから、宝物庫で埃を被っていた先祖伝来の品々や、家族の宝飾品をくすねて何とか工面した。
わたくしがそうまでして書物を手に入れたいと思った理由は、今となっては分からない。ただ人の皮で飾られた、自分よりも醜くおぞましい書物には一体何が書かれているのか、それを突き止めたかったのかもしれない。ところがいざ家族に隠れて開いてみた書物の中身は、当然と言うべきか、まったく知らない東の国の古い言葉で綴られていて、わたくしは以後数年を解読に費やした。
そうしてついに翻訳できた書物の中身が、魔術の解説書だったのもまた〝運命〟に違いない。擦り切れた古紙の上には、この世の裏側にあるという魔界の存在、悪魔の呼び出し方、契約の方法などが記されていて、灰色だったわたくしの世界はたちまち鮮やかに色づいた。
そこから屋敷を飛び出して、魔女になるためにさらに数年。
『魔女の大釜』を再現すべく、入手困難な材料や生け贄を求めて東奔西走し、わたくしはついに魔界との交信に成功した。
大釜の中でぐつぐつ煮込んだあらゆる生き物の血と肉の底から響いた声は、彼らの望むものを釜へと放れば、どんな願いも叶えてくれると言った。
《汝等が〝魔界〟と呼ぶ此の場所は存外退屈でな。故に、我等は昔から汝等人間との戯れを娯楽としてきたのだ。人間とは実に愚かで、滑稽で、見ていて飽きる事がない……汝は久方ぶりの踊り子だ。そら、存分に踊っておくれ》
──悪魔と契約した者は永遠の命を得るが、その命を終えるときには、自らの魂を魔界へ譲り渡さねばならない。
人の皮でできた魔術書にそう記されていたとおり、わたくしは永遠の命を得る代わりに本名を失った。名前とは、魂と固く結びついた細長い緒のようなもの。
それを悪魔に握られるということは、決して逃れることのできない鎖で魔界につながれるのと同義だった。けれどわたくしは構わなかった。
魔界に渡った魂が、向こうでどんな最期を迎えるのかは知らない。
魔術書には〝悪魔の供物にされる〟とか〝「殺してくれ」と哀願するまで慰みものにされる〟とか書かれていたけれど、結局のところ、答えは魔界側へ行ってみなければ分からない。当時のわたくしはそんな死後の世界のことよりも、醜く生まれた現実の方が恐ろしかった。一度捨てた命なら、悪魔にくれてやるのも惜しくなかった。だから過去を捨ててこう願った。
「どうかわたくしを、世界で一番美しい女にして。誰もがひと目で虜になるような、美しい女に──」
と。
果たして、悪魔は願いを叶えてくれた。
わたくしは国中の男たちを魅了する美貌を手に入れ、かつてわたくしを嘲笑った連中の顔が屈辱に歪むさまを楽しんだ。そこからしばらくは、新しい人生を存分に謳歌していたと思う。けれども二〇年、三〇年とときが経つにつれ、わたくしは次第にある悩みを抱え始めた。というのも、寄ってくる男は掃いて捨てるほどいるというのに、わたくしの美しさに見合う男がどこにも存在しないのだ。
「せっかくこんな美しい容姿を手に入れたのだもの。わたくしの伴侶も同じくらい美しい男でなければ釣り合わないわ」
かくして理想の伴侶を求め、わたくしは世界を飛び回った。
されど探せども探せども、運命の相手と呼ぶべき男は見つからない。そうこうしながら、数十年──不老のために世を忍ばねばならなくなったわたくしは、滅多に人の寄りつかないシャモワ山脈を拠点としつつ、なおも世界をさまよい歩いた。
そしてついに見つけたのだ。
フェルディナント・マンフレート・フォン・ビュロンライヒ。
わたくしがこれまで出逢った男たちの中で、最も美しい彼と。




