愛の嵐
ごそり、と、何かが肌に触れる感触で目が覚めた。
(ん……あれ……? 私、また寝ちゃってた……?)
と思いながら、重い瞼を抉じ開けたところでぎょっとする。何故なら、視界が暗い。寝台に寝転んだ私の上に、大きな影が落ちているせいだ。
その影の主は──ゲイヴ。
彼はほとんど私に覆い被さる形で身を乗り出し、至近距離から見下ろしていた。
「えっ? な、あ、ゲイヴ……!? どうしてあなたがここに……!」
目が合った瞬間、脳裏を駆け巡ったのは、先刻聞かされたゾフィーの言葉。
おかげで私は瞬く間に覚醒し、体温が一気に跳ね上がるのを感じた。
が、同時にある違和感を覚える。まるで万歳でもするみたいに、枕の上に上がった両手の自由がきかないのだ。「ん?」と思って見上げてみれば、両の手首にはぐるぐる巻きにされた革のベルト。しかもそうして拘束された手を、ゲイヴの大きな手がしっかりと押さえ込んでいる。さらに彼のもう一方の手は、私のナイトドレスの胸もとを飾るリボンをするりと解いて──
「え……えっ? ゲイ、ヴ……? あ、あなた、何して……」
「すまない、リゼ……だがこれ以上は、堪え切れそうにないんだ」
「へ……? な、何、言って──」
「今すぐ君と、ひとつになりたい。俺たちは婚約者だ……なら、構わないよな?」
まったく意味が分からなかった。ゲイヴの話している言葉は間違いなく帝国語なのに、脳が理解することを全力で拒んでいる。
いや、だって、ありえないでしょ?
いくら婚約関係を結んだからって、婚前の男女が──しかも、ゲイヴが──誰よりも伝統や規律を重んじる、あのゲイヴが?
「ち……ちょっと待って、ゲイヴ。こんな冗談、全然笑えな……」
「冗談なんかじゃない。俺は本気だ、リゼ」
「だ、だ、だとしても、今じゃなくない!? ほ、ほら、私、五日もお風呂に入れてないし、まだ真っ昼間だし!? すぐにお医者さんとお母様も来るって、さっきゾフィーが……!」
「ずっと……ずっと君とこうしたいのを、耐えてきた。だからもう耐えたくないんだ──愛している、リゼ」
そして今度という今度こそ、私の頭は真っ白になった。〝愛している〟。
ゲイヴが口にしたその言葉が、がらんどうになった頭の中に反響する。
じゃあ、やっぱり、ゾフィーの言ってたことは全部本当だったってこと?
だけど、だとしても──
「んっ……ち、ちょっと……ほんとに待って、ゲイヴ!」
そこからは問答無用だった。ゲイヴは私を抱き竦めるようにして首筋に顔をうずめ、一切の躊躇なく唇を這わせてくる。指でなぞられるのとはまるで違う、生温かくて湿った感触。それが肌を滑り、かと思えばピリッと鋭い痛みが走って、私は思わず小さくうめいた。何とかゲイヴを止めようと拘束された両手で必死に抵抗してみるものの、鍛え上げられた騎士の体はびくともしない。
「い……いやっ! やめてってば、ゲイヴ──むぐっ……!」
事態は本当に、冗談では済まないところまできていた。首筋や胸もとに次々とキスマークを落としたゲイヴは、騒ぐ私の口に手を当てて強引に押さえつけてくる。そうしながらドレスの下にも手を入れて、熱く荒い吐息を吐く唇を、耳もとに──
「んっ……んんっ、んっ……!」
「暴れないでくれ、リゼ……でないと、優しくできなくなる」
(やだっ……こんなの嫌! お願い、やめて、ゲイヴ……!)
私の本心からの叫びは、ゲイヴには届かなかった。
口を塞がれ、完全にのしかかられた私には、もはや抵抗の術がない。
どうして──どうしてこんなことするの、ゲイヴ?
私のこと〝愛している〟んじゃなかったの?
だったらなんで、そんな風に乱暴に体中をまさぐるの……!?
(いや、いや……! もうやめて……っ助けて、フェルディ……!)
刹那、脳裏にフラッシュバックしたのは、夕焼けの古城で誘拐犯のアウグシュタ人に殴られ、跨がられた六年前の記憶。
だけどあの日、私を救ってくれたフェルディナントはもういない。
どこにもいない。結局私は、この世界でひとりきり──
「何を、してるんだ──おまえはッ!」
ところが私が絶望のあまり、現実を遮断してしまおうときつく目を閉じた、瞬間だった。突然首根っ子を掴まれ、私から引き剥がされたゲイヴはそのまま、拳で頬を打たれて吹き飛ばされる。
「リゼ! 無事か!?」
「ま……マヌエルお兄様……!?」
直後に私の名前を呼び、助け起こしてくれたのは、お父様譲りの茶髪をうなじで細い三つ編みにした、いつもの姿のマヌエルお兄様だった。領地にいるはずのお兄様がどうしてここに、とか、ゲイヴの様子がおかしくて、とか、言いたいことはたくさんあったけど、体も唇もひどく震えて、何ひとつ言葉にならない。
「お、お兄様……わ、私……私……っ」
「大丈夫だ、リゼ。兄様を見ろ。深呼吸するんだ。落ち着いて、ゆっくり……」
動揺しすぎて過呼吸になりつつある私を宥めるために、お兄様は穏やかに言いながら、何度も背中を摩ってくれた。
が、次の瞬間、何かに気づいてはっと身を翻すや、いきなり私を突き飛ばす。
そこには殴られた衝撃から立ち直ったゲイヴがいて、別人みたいに血走った目でお兄様を見下ろすなり、一も二もなく掴みかかった。お兄様はそのまま寝台に押し倒され、さながら取っ組み合いの喧嘩のようになる。
「お、お兄様……!!」
「くっ……ちょっと会わないうちに血迷ったか、ゲイヴ!? おまえほどの男が、何故……!」
「黙れ。俺たちの邪魔をするな」
「ハッ……そんな目の据わった顔で言われても、説得力ないって──の!」
言うが早いか、お兄様は仰向けにされた体勢から鋭い蹴りを繰り出して、再びゲイヴを吹き飛ばした。そうして彼に締め上げられた首もとを押さえ、ゲホッとひとつ咳き込んでから、叫ぶ。
「リゼ、こいつは俺が何とかする! おまえは誰か呼んでくるんだ!」
「で、でも、お兄様……!」
「いいから、早く行け! 今のこいつは正気じゃない。複数人で押さえ込まないと、何をしでかすか分からないぞ!」
──正気じゃない。確かにお兄様の言うとおりだった。
イェルクがフェルディナントと兄弟同然に育ったように、ゲイヴもまたお兄様の親友と言っていい。そのゲイヴが私だけでなく、お兄様にまで襲いかかるなんて明らかな異常事態だ。何よりこのままじゃ、お兄様にまで危害が及んでしまう。
そう思った私は転げるように寝台を下り、扉へ走った。
五日も寝たきりだったせいで体はうまく動かず、両手も拘束されたまま。
なので〝走った〟というよりはつまずいて床を転がったと形容した方が正しいけれど、それでも何とか部屋から這い出し、廊下に向かって声の限りに、叫ぶ。
「だ、誰か……っ誰か助けて! ゲイヴとお兄様が……!」
相変わらず震えが止まらない体から絞り出すように、私は必死で助けを求めた。
そうしながらずりずりと両足を引き摺り、より人のいそうな階段の方角──下りた先は玄関ホールだ──へ向かう。するとほどなくドタドタと慌ただしい足音が階段を駆け上がってきて、二、三人の従僕が廊下の先から顔を覗かせた。彼らは廊下にへたり込んでいる私を見るや面食らった様子で、慌てて駆け寄ってくる。
「あ、アシュタリゼお嬢様、どうされました!?」
「お、お願い、みんな、力を貸して! 私の寝室で今、ゲイヴが暴れてるの! このままじゃ、お兄様が──」
と私が懸命に状況を伝えようとしたときだった。
とにもかくにも、まずは主家の娘を助け起こそうとしたのだろう、膝をついた従僕たちの目の色が突然変わる。彼らの視線はベルトが巻かれた私の両手へ向かい、次いでドレスがはだけてしまった胸もとへ。
かと思えばいきなり従僕のひとりに押し倒されて、私の天地は逆転した。
「なっ……!? ち、ちょっと、あなたたち、何して……!」
と、悲鳴を上げる間もなかった。腰に跨がられた私はまたも口を塞がれ、今度は三人がかりで床に押さえつけられる。暴れようにも、まったく手足の自由がきかない。そのまま私の上に乗った従僕の両手が胸もとへかかり──一抹の容赦もなく、脱げかけていたナイトドレスを引き裂いた。
「んっ……!? んんんん、んんっ……!!」
本日二度目の辱しめを受けた私は、首を振って従僕たちを拒絶しようとする。
が、相手は三人、しかも男だ。日夜騎士としての鍛練を欠かさないゲイヴほどではないにしろ、病み上がりの女ひとりでどうにかできる状況じゃない。
だけど、どうして。どうしてこんなことに……!
「──あなたたち、そこで何をしているの!?」
今度という今度こそ、もうダメだ。
私がそう諦めかけた刹那、空気を切り裂くような叱声が響き渡った。
お母様だ。どうやらたった今、教会から戻ったらしいお母様が階段を上がった先で立ち尽くし、隣ではこの惨状を目にした侍女が甲高い悲鳴を上げている。
「ああ……お帰りなさいませ、奥様。申し訳ございませんが、我々は只今、取り込み中で──」
ところが従僕のひとりがとろんとした表情で口を開くや否や、足早につかつかと歩み寄ってきたお母様が、いきなり彼の頬を張り飛ばした。次いで私の両腕を押さえ込んでいたもうひとりの顔面を蹴り飛ばし、直後に足もとにいた三人目の両目めがけて、刀剣を振るうかのごとく閉じた扇の親骨を叩き込む。
「うぼぁっ!? 目が……っ、目がぁっ!」
と、最後のひとりが両目を押さえてひっくり返るのを憤怒の形相で見下ろしたお母様は、最初に張り飛ばされたひとりが起き上がろうとするのを思いきり踏みつけつつ、すかさず私を助け起こした。対する私はあまりの手並みに唖然とする他なかったのだけど、お母様はその隙に脱いだ外套で私をくるみ、悲鳴を聞いて駆けつけた執事やメイドたちに向かって号令する。
「おまえたち。この者どもは娘に手を上げました。今すぐ捕らえて地下へ放り込みなさい」
「そ、そんな、奥様、何かの間違いでは……」
「いいえ。わたくしが確かに目にしたものを疑うと言うのですか?」
「い、いえ、申し訳ございません! 左様なつもりは……」
鬼気迫るお母様の眼光に気圧された使用人一同は、慌てて号令に従おうとした。
が、そのとき、がしっと私の足首を掴んだ者がいる。
お母様に顔面を踏み潰され、床に這いつくばったあの従僕だ。
「はあ、はあ……お、お待ちください、お嬢様……私は以前から、お嬢様をお慕いし──おぶぅっ!?」
みなまで言わせず、今度はお母様の右足が従僕の後頭部を踏みつけた。それきり彼はぴくりとも動かない。ところが他のふたりはなおも私へ手を伸ばし、救いを求める物乞いのごとく「お嬢様ぁ」と這い寄ってくる。い……一体何なの、これは?
ゲイヴといい彼らといい、絶対に何かがおかしい……!
「……リゼ? あなた……」
刹那、私をかばうように抱き寄せたお母様が、不意にスン、と鼻を鳴らした。
かと思えば、何かに気づいた様子で眉をひそめ、唐突に傍にあった扉を開く。
そこはお父様の寝室とつながる化粧室だ。
「あなたはしばらくここにいなさい。わたくしがいいと言うまで、出てきてはダメよ」
「えっ……!? ま、待ってお母様、まだゲイヴとお兄様が……!」
という私の言葉を遮って、お母様はぴしゃりと扉を閉ざした。
慌てた私は必死にお母様を呼んだけれど、向こうから押さえられているのか、扉は押しても引いてもびくともしない。
「ほ……ほんとに、何がどうなってるの……?」
もはや事態についていけなくなった私はそのまま、へなへなと扉に縋って座り込んだ。廊下ではまだ、使用人たちの悲鳴や怒声が交錯している。
もう何が何だか、ちっとも分からない──




