6.衝動
ざくざくとじゅりさんはいちごタルトの牙城を崩していく。
堅牢なように見えていたそれが、瞬く間に吸血鬼のお腹に収まっていく。
「男の人って自分のプライドが一番大切なのよね。だから小娘のわたしに血を吸われていいようにされた、なんて絶対に口が裂けても言わないわ。言えないの」
そういうもの、なのだろうか。
私がこっそり首を傾げたら、じゅりさんはお皿にあしらわれたベリーのソースを人差し指で拭った。
そんなちょっとした仕草にさえ、ひどく色気がある。
「ベッドの失敗は二人の間にだけある秘密だもの。秘密を共有した男女は特別。みーんなわたしのお友達よ」
そこで、じゅりさんは小首を傾げて上目遣いに私を見つめた。
「ね?」
それは同性の私でさえ、虜になってしまうほどの笑みだった。
なんというか、強すぎる。どうやっても普通の男子大学生がこの魔性に抗えるとは思えない。
けれど、もやもやは残る。これは控えめに言って「弄んでいる」のではないだろうか。じゅりさんと同じサークルの皆さんに同情を禁じ得ない。
「あんまりいいことだとは、思えないですけど」
「あらそうかしら? わたしは何も悪いことだとは思わないけど」
私がそう言っても、じゅりさんはしたたかな笑みを崩さない。じゅりさんはうっとりとテーブル上に並べられたスイーツを見つめる。その中には私の頼んだものもある。
「千夏ちゃんは、ショートケーキとモンブランとどっちが優れていると思う?」
「別に、どっちかどっちとかはないと思います」
どっちもおいしいし、どっちも好きだ。その時々で、どっちが好きとかはあるけれど。
「そうね。わたしもそう思うわ」
じゅりさんはチーズケーキの載せられた皿を手に取った。
「その時目の前にあるおいしそうなケーキを、ぜーんぶ食べてみたいと思うのはいけないことかしら? だってショートケーキにはショートケーキの良さがあって、モンブランにはモンブランの良さがあるんだもの。比べることなんてできないわ」
そう言ってじゅりさんは、ぱくりとチーズケーキを頬張る。満足げに頬を押さえる姿を見て、私は何も言えなくなってしまった。
そうだ。欲しいと思う心は何も悪くはない。
そして、じゅりさんはそちら側なのだ。
私を文字通り食べてしまえる人。
それを止める手立ては、多分どこにもない。
けれど、だとしたら、一つ疑問が湧いてきてしまう。
「みっちゃんは、どうだったんですか?」
少なくともじゅりさんは「男の人の血は」みっちゃんしか飲まないと決めたのだ。それは、ここまで聞いたこのこの人の思想からは一番遠いところにある気がする。
何を思って、何があって、じゅりさんはそう決めたのだろう。私はそれがひどく気になってしまった。
「ああ、みっちゃんはね」
じゅりさんがふっと眉を下げた。青い目が遠くを見るように細められる。
「はじめてだったの。わたしのこと断ったの」
するとどうだろう。さっきまでこの世の全てを統べる女王様のようだったのに、幼い少女のようなはじらいさえある。
「何度話しかけても、目も合わせてくれなかったわ。大体ぷいってそっぽ向かれるの。取り付く島もないのよ」
「それって……」
じゅりさんほどモテを極めたわけではない私でも、すぐに分かる。
「みっちゃん、じゅりさんのこと大好きじゃないですか」
好きな女の子には素直になれないとか、そういうやつ。
ツンデレのど真ん中である。小学生の男の子みたいでなんだか微笑ましくさえなってしまう。
私がそう答えるとじゅりさんは目を丸くした。
「あら、別にすっごい鈍いってわけでもないのね、千夏ちゃん」
「どういう意味です?」
「大丈夫。こっちの話よ」
なんの話なのだろう。また笑顔ではぐらかされてしまった。
ただ、それよりなにより気になるのはみっちゃんである。
「でもね、なんだか悔しいじゃない。絶対に振り向かせてやるって付きまとってやったの」
ここで心が折れないところが、さすがじゅりさんである。
「そしたらみっちゃんってばある時、『ぼく以外他の男の血を飲まないって約束してくれるなら、この血を全部飲まれたって構わない』って言ったのよ」
「わあっ」
思わず私は口元を押さえてしまった。「それってもう愛の告白じゃないですか」
ほかの誰にも渡したくないぐらい好きだって公言しているのも同然だ。
みっちゃん、私の想像よりもえらく積極的だ。
「それで、どうなったんですか?」
「あら、それだけよ。その後みっちゃんと付き合ったから、それからわたしは他の男の人の血を飲んだことはないわ」
論理が飛躍してないだろうか。
「だって、みっちゃんのお願いを受け入れたら、もう他の人の血飲めないんですよ。これからもうたった一つのケーキしか食べられないのに、未練とかなかったんですか?」
じゅりさんは頬に人差し指を当てて天井を仰ぐ。
「なかったわね」
「じゅりさんをそこまで駆り立てたのは、なんなんです?」
他のものに目移りしなくなるほど、魅力的に見えたもの。光輝く何か。私はそれが気になって仕方がない。
「そんな大層なことじゃないわよぉ。ただね」
チーズケーキを食べ終えたじゅりさんは、目の前にあったガラスの器に盛られた白いプリンのようなお菓子を見つめる。
「だって、まだ食べたことなかったんだもの」
それを捧げもののように恭しく掲げてみせる。
ラウンジの大きな窓から差し込んだ光に、ガラスの器は本物のダイヤモンドかのように輝いて見えた。
「だからね、これがどうしても食べたい、って思っちゃったのよ」
それは湧き上がってくる衝動で、衝動であるがゆえに留める方法がない。
彼女はそれに、ただ素直に従ったのだ。




