5.怪異の女王
「なにやってんだろ、私」
一人暮らしの部屋で呟いてみても、返事があるわけもない。昔地元の水族館で買ったシャチのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる。むぎゅっと、私の腕の中でシャチが潰れる。
あの後、私は隣の自分の家に戻った。だからじゅりさんと田上さんがどんな話をしたのかは知らない。
息子が偽装までしてお見合いを拒みたかったということが分かれば、母の態度も少しは変わったかもしれないが。
けれど結局のところ、私は少しも田上さんの役に立てなかった。むしろ余計ややこしくしたと言っていい。勿論、彼はそんなことは言わないだろうけど。
偽装彼女だなんて、言い出さなければよかった。
そうすれば、少なくとも普通のおとなりさんではいられたのに、今はどんな風に連絡していいのかも分からない。
そろそろじゅりさんは実家に帰る頃だろうか。なんてことを考えていたら、ぴょこんとメッセージアプリの通知が来た。
『ねえ、千夏ちゃん。今日お時間あるかしら?』
知らないアカウントだ。けれど、表示名は【JULI】でアイコンは組んだ手の上に顎を乗せてにっこりと微笑む美貌の女性だった。
こんなきれいな人は、この世に二人といないだろう。間違いなくじゅりさんだ。
『スイーツはお好き?』
続いて送られてきたのは、都内のとあるホテルの住所。ここは通年でスイーツバイキングをやっていて、とても有名だ。
どうやってじゅりさんが私の連絡先を知っているかについては、置いておいて。
ここに来い、ということだろうか。
あそこまでは、ここからだと一時間ぐらいかかる。
私は寝転んでいたソファから、そそくさと体を起こした。
示されたホテルに辿り着いたら、スイーツバイキングをやっているラウンジの一席にじゅりさんが座っていた。私の姿を認めると、じゅりさんはひらひらと手を振る。
「あら、早かったじゃない」
めちゃくちゃ急いだ。クローゼットからまともな服を引っ張り出して、それなりに見えるように身支度を整えた。大変だった。
「さあさ、せっかくだもの。たーんと、召し上がれ」
じゅりさんの前には、もう沢山のスイーツが載ったお皿がある。
私も向かいの席に腰を下ろす。
「ご注文は何になさいますか」
ウエイターさんが静かに尋ねる。
ここのスイーツバイキングは、頼んだ分のスイーツをウエイターさんが持ってきてくれる。盛り付ける時に崩れることを気にしなくていい。
「ショートケーキ、モンブラン、ティラミスにフルーツタルトでお願いします」
もやもやした時はスイーツに限る。糖分はこの世の全ての悩みの大半を解決してくれる。
「さっすが、わたしが見込んだだけのことはあるわ。惚れ惚れするようなオーダーね」
じゅりさんの言葉を尻目に、私はぐっとフォークを握りしめた。
なんというか、戦闘開始的な意味で。
「あの、どうやって私の連絡先を」
「るーちゃんってアプリにパスワードとかかけないのよねぇ。迂闊っていうか純情っていうか」
そう言って、じゅりさんは情け容赦なくいちごタルトの一番上の苺にフォークを突き刺した。
まるで血のように真っ赤な苺だ。そのまま、彼女はぱくりとその苺を頬張る。
なるほど、大方田上さんの目を盗んで、先日交換したあのメッセージアプリから私のアカウントを追加したのだろう。
怪異の女王はやり手である。おそらく田上さんは私がこうやってじゅりさんに会っていることも知らないだろう。
というか、多分知ったら卒倒する。
「にしても、一体誰に似たのかしらね~。るーちゃんのあの奥手」
この方は見るからに見るからになので。だとしたらもう、
「みっちゃんじゃないですかね」
人様の父親を「ちゃん付け」で呼ぶのもどうかと思うけれど、ここはこうだろう。
「あら、気が合うわね。ちょうどわたしもそう思ってたのよ」
じゅりさんがにっこり微笑んだところで、私の前にお皿が置かれる。
一つ一つが宝石のように輝くスイーツ。ただのおとなりさんのお母さんとテーブルを共にしているというこんな奇妙な状況だというのに、びっくりするぐらいおいしそうだ。
私はそっとショートケーキにフォークを刺し入れてから、じゅりさんに尋ねた。
「そのみっちゃんとはどこで出会ったんですか?」
本当はこういうことを私が聞かれるはずだったんだけれども。
「みっちゃんは大学のサークルの一個上の先輩なのよ」
驚いた。四分の一吸血鬼とその夫の出会いとしては、至って普通だ。普通過ぎるぐらいに。
「あの頃わたし、手当たり次第サークルの男の子の血を飲ませてもらってたんだけどね」
「待ってください! じゃあ、みんなじゅりさんのこと吸血鬼だって知ってたってことですか?」
新ジャンルのサークルの姫の誕生である。そんな物理的に食い散らかすみたいなことをして無事でいられるのだろうか。田上さんは、怪異であることをひた隠しにしているようなのに。
「ねえ、千夏ちゃん」
じゅりさんは紅茶を一口飲んで、またにっこりと笑った。その青い目がすっと私を見る。
まるで私の考えなんて全部お見通しみたいに。
「いきなり『わたし吸血鬼なの。あなたの血をちょっとくれない?』って言われて、信じられる?」
「信じられ、ないですね」
田上さんがえらく真面目な調子で言うので反論はしなかったけれど、私だって、あの絆創膏の一件までは半信半疑だった。
「そう。だからたとえそれを大声で言いふらしたってちょっとした不思議ちゃんで通るのよ。それに、自分で言うのもなんだけど、あの頃のわたしすっごい可愛かったし」
それは、そうでしょう。
今もこの美貌だし、じゅりさんには人を惹きつけてやまない華と影が不思議と共存している。
「だから、声を掛けたらみんなほいほいついてきてくれるの」
「でも、血を飲まれたって言いふらされたりしないんですか? あいつ危ない女だぞ、とか」
「ならないわよ」




