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NOESISーノエシスー  作者: 月乃瀬
最終章 ー呪いと祈りの果てにー
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第十六話 祈りと呪い

白い世界が。


音もなく割れた。


砕けた空間の向こうに。


無数の光景が浮かび上がる。


生まれたばかりの子を抱き。


その健やかな成長を願う母。


戦場へ向かう者の無事を祈る家族。


雨を求めて。


天へ手を合わせる農民。


病床で。


明日も目を覚ませるようにと願う者。


その隣には。


別の光景があった。


他人の幸福を妬む者。


奪われたものを憎む者。


自分を裏切った人間へ。


不幸を願う者。


失うことを恐れ。


手に入れたものへ執着し。


誰かを支配しようとする者。


祈り。


願い。


嫉妬。


憎悪。


愛情。


執着。


相反するはずの感情が。


幾重にも重なり。


白と黒の光となって、世界を巡っていた。


蓮は。


その光景を見上げる。


「これは……」


「人の歴史だ」


弥勒が答えた。


閉じられた瞳。


穏やかな声。


その姿は動いていない。


だが。


世界そのものが。


弥勒の言葉に従って変化していた。


「余は」


「そなたらが神と呼ぶものの先にある」


白い光が。


弥勒の右手へ集まる。


「人が神へ祈り」


「救いを求め」


「未来を願う心」


次に。


黒い光が左手へ集まった。


「人が他者を呪い」


「その幸福を妬み」


「失うことを恐れ」


「己のものへ執着する心」


二つの光が。


弥勒の胸元で重なる。


白と黒。


祈りと呪い。


交じり合いながら。


一つの円環を作り出した。


「余は」


「それらの概念そのものだ」


三人は言葉を失う。


弥勒は神ではない。


少なくとも。


人が神社へ祀り。


名を与えた神とは違う。


人が初めて空へ祈った時。


人が初めて他者を呪った時。


その瞬間から。


存在していたもの。


「人が願う限り」


「余は存在する」


「人が呪う限り」


「余は消えぬ」


蓮の右目が青く光る。


『対象の定義を更新』


『生命体――否定』


『霊的存在――否定』


『概念構造――解析不能』


NOESISの文字が乱れる。


それでも。


蓮は観測を止めなかった。


「どれくらい」


「僕たちを見てきた」


弥勒は。


僅かに顔を上げる。


「永遠に近い時を」


その言葉とともに。


景色が流れた。


石器を握り。


炎を囲む人々。


太陽を神と呼び。


月へ死者の魂を祈った時代。


国が生まれ。


王が立ち。


神の名によって戦争が始まる。


寺院が建ち。


神社が建ち。


人々は救いを求めて手を合わせた。


だが。


祈りの裏では。


数え切れない呪いが生まれていた。


奪われた国。


殺された家族。


捨てられた者。


忘れられた者。


声を上げることすら許されなかった者。


その感情が。


黒い流れとなり。


時代の底へ沈んでいく。


「人は」


弥勒が語る。


「祈りながら、呪う」


「愛しながら、憎む」


「救いを望みながら」


「他者の救いを妬む」


澄華の白銀の瞳に。


涙が浮かんだ。


彼女には。


その一つ一つが。


人の魂として感じられていた。


「だから」


澄華は尋ねる。


「黒龍が生まれたのですか」


「そうだ」


弥勒の背後に。


巨大な黒龍の姿が浮かぶ。


人の負の感情が。


数千年をかけて形を得た災厄。


欲望。


恐怖。


嫉妬。


絶望。


執着。


そのすべてを喰らい。


肥大化した呪い。


「黒龍は」


「人が生み出した影」


「徐福は」


「その影へ自らの弱さを差し出した」


黒龍の中に。


ありし日の徐福が映る。


老いを恐れ。


死を恐れ。


忘れられることを恐れた男。


やがて。


黒龍へ飲み込まれ。


自分が支配していると思い込みながら。


二千年を生き続けた老人。


煌は弥勒を睨む。


「お前は」


「最初から全部知っていたのか」


「知っていた」


「なら」


草薙剣の柄を握る。


「なぜ止めなかった」


白い世界が。


静かになった。


弥勒は。


閉じた瞳を煌へ向ける。


「余が止めることに」


「何の意味がある」


煌の眉が動く。


「余にとって」


「徐福も」


「黒龍も」


「取るに足らぬ」


その言葉と同時に。


空間へ浮かんでいた黒龍が。


弥勒の指先一つで消えた。


爆発も。


抵抗もない。


初めから存在しなかったように。


ただ。


消えた。


「余が望めば」


「黒龍という概念を」


「人の世から切り離すこともできた」


「徐福の二千年を」


「一度も起こらなかった歴史へ戻すこともできた」


蓮の表情が強張る。


時空間そのもの。


弥勒にとって。


徐福戦は戦いですらない。


だが。


弥勒は続けた。


「しかし」


白い空間に。


熊野の戦場が映る。


十六氏族。


空海。


天明。


オシラサマ。


三大怨霊。


そして。


日本中の人々。


名も知らぬ者たちが捧げた。


無数の祈り。


それらが。


日輪と月輪を作り。


黒龍を縛り上げていく。


「そなたらは」


「大きくなりすぎた呪いを」


「祈りによって押し返した」


因幡剛が。


雷切を掲げる。


天から。


人々の祈りが白い雷となって落ちる。


その一太刀が。


徐福と黒龍の接続を断ち切った。


「神へ願い」


「救ってもらったのではない」


弥勒の声が。


僅かに柔らかくなる。


「人が祈りを集め」


「人が覚悟を決め」


「最後には」


「人の手で呪いを断った」


蓮は。


剛の背中を見つめる。


神器を持たない。


神の血も持たない。


ただ。


努力し続けた一人の人間。


「それを」


弥勒は言う。


「余は見届けたかった」


「神であるあなたには」


蓮が問う。


「できないことなのか」


弥勒は。


静かに笑った。


「できる」


「だが」


「余が行えば」


「人は再び、神へ祈るだけだ」


救ってください。


倒してください。


正しい道へ導いてください。


神が応え続ける限り。


人は。


自ら立つ必要を失っていく。


「神が呪いを消せば」


「人はまた呪いを生む」


「神が誤りを正せば」


「人は己で考えることをやめる」


「それでは」


弥勒の額の目が。


淡く輝く。


「いつまでも」


「人の世は始まらぬ」


澄華が胸へ手を当てる。


「では」


「私たちが黒龍を退けたことは」


「人が」


「神から離れるための証明だったのですか」


弥勒は答えない。


ただ。


三人を見つめる。


知。


魂。


武。


神より神器を預けられ。


それでも。


人として答えへ辿り着いた三人。


「そなたらは」


「一つの答えを示した」


「呪いは」


「祈りによって押し返すことができる」


「祈りは」


「神へ縋るためだけのものではない」


弥勒は一歩進む。


それだけで。


白い空間に無数の波紋が広がった。


「ならば」


「次を示せ」


三種の神器が。


同時に震える。


「神の力を失っても」


「人は」


「同じ答えを選べるのか」


蓮。


澄華。


煌。


三人の前に。


手が差し出される。


「三種の神器を」


弥勒は告げた。


「余へ返せ」


白い世界が。


静かに軋み始めた。


それは命令ではない。


脅しでもない。


神代そのものが。


役目の終わりを告げる音だった。

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