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NOESISーノエシスー  作者: 月乃瀬
最終章 ー呪いと祈りの果てにー
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第十二話 武をおさめる

黒龍は消えた。


日本中の空を覆っていた日輪と月輪も。


役目を終えるように、静かに薄れていく。


神崎神社跡へ。


朝を待つ前の静寂が戻っていた。


徐福は。


割れた石畳の上に、両手をついていた。


漆黒だった髪は白く変わり。


張りを失った皮膚には、深い皺が刻まれている。


黒龍の力も。


不老不死の肉体も。


すでに残されてはいなかった。


二千年以上の時を失った身体は。


今にも崩れ落ちそうに震えていた。


それでも。


徐福は、顔を上げる。


「ワシが……」


掠れた声が漏れた。


「ワシがおらねば」


「日本は、どうなる……」


誰も答えなかった。


蓮も。


澄華も。


煌も。


剛も。


ただ。


一人の老人となった徐福を見つめていた。


「誰が……」


徐福は震える手を伸ばす。


「誰が、この国を正しく導くのじゃ……」


その手が。


何もない空を掴もうとする。


「ワシは」


「神となったはず……」


黒龍はいない。


その言葉に応える声もない。


「そなたらは……」


徐福の瞳に。


初めて、幼い恐怖が浮かんだ。


「神を殺す気なのか……」


蓮は静かに告げる。


「お前は神じゃない」


徐福の手が止まる。


「最後まで」


「人間だった」


その言葉を。


徐福は受け入れられなかった。


「ならぬ……」


首を振る。


「ならぬ……」


視線を彷徨わせ。


二千年間。


自らの命令に従い続けた男を探す。


「赤鬼……」


少し離れた場所に。


一人の武人が立っていた。


「赤鬼よ……」


徐福は縋るように手を伸ばした。


「こやつらを、はよう殺せ……」


「ワシを守れ……」


「いつものように」


「すべて、斬り伏せるのじゃ……」


武人は答えない。


赤い鬼の仮面は。


すでに砕け落ちていた。


そこにあるのは。


赤鬼の顔ではない。


かつて。


朝廷の命を受け。


国を守るために戦った英雄。


武振熊命の顔だった。


二千年の黒龍の呪いから解き放たれ。


その身体もまた。


終わりを迎えようとしている。


皮膚には無数の亀裂が走り。


隙間から黒い灰が零れていた。


それでも。


武振熊は倒れなかった。


刃こぼれした両剣薙刀を。


杖のように地面へ突き立てる。


一歩。


足を引きずり。


徐福へ近づく。


ずるり。


両剣薙刀が石畳を擦る。


また一歩。


二千年の時間を。


一歩ずつ戻るように。


徐福へ近づいていく。


「赤鬼……」


徐福の声が震える。


「命令じゃ……」


「こやつらを殺せ……」


武振熊は立ち止まらない。


「ワシは、お前の主じゃぞ……」


さらに一歩。


「ワシがお前へ」


「永遠の命を与えたのだ……」


武振熊の目に。


遠い記憶が浮かぶ。


朱童。


白夜。


小さな角を持った、二人の子ども。


共に村を歩いた。


団子を分けた。


妖を祓った。


人々を救った。


背中合わせで。


天と地の術を結んだ。


幼い二人。


『武振熊』


『あと少しだけ』


『守ってください』


あの日。


守れなかった。


術は守った。


国も守った。


それでも。


双子を救うことはできなかった。


そして。


自分は徐福とともに。


二千年もの間。


数え切れないほどの命を奪った。


武振熊は。


徐福の前で足を止めた。


「徐福よ」


低い声だった。


怒りでも。


憎しみでもない。


ただ。


長い戦いに疲れ果てた男の声。


「我らは」


「二千年」


「手を汚しすぎた」


徐福が目を見開く。


「何を……」


「言っておる……」


「我らは、この国を守ったのだ!」


「違う」


武振熊は静かに答えた。


「守ろうとしたものさえ」


「見失った」


両剣薙刀を握る。


刃は欠け。


柄には二千年分の血が染み込んでいる。


「我は」


「朱童と白夜を守ってやることができなかった」


「だからこそ」


「今度こそ」


両剣薙刀を持ち上げる。


その手は震えていた。


黒龍の呪いに逆らうためではない。


もう。


力が残されていなかった。


それでも。


最後の一太刀を振るうには十分だった。


「二千年の呪いよ」


武振熊は。


徐福だけではなく。


自分自身へ告げる。


赤鬼として生きた二千年。


奪った命。


終わらせることのできなかった戦。


背負い続けた後悔。


「我らを最後に」


両剣薙刀が。


夜明け前の光を受ける。


「ここで終われ」


一閃。


武振熊の両剣薙刀が。


徐福の身体を斬り抜けた。


音はなかった。


徐福の身体に。


一本の線が走る。


「ワシは……」


老人の口が動く。


「なぜ……じゃ……」


身体が、ゆっくりと崩れ始める。


白い髪が。


皮膚が。


漆黒の衣が。


黒い灰へ変わっていく。


「ワシが……」


「正しかった……はず……」


徐福は。


自らの掌を見つめた。


その指先も。


すでに崩れ始めていた。


最後に。


誰へ向けるでもなく。


一つの名を呟く。


「弥勒……」


徐福の顔に。


怒りでも。


恐怖でもない。


何かに気づいたような表情が浮かんだ。


「弥勒……め……」


その言葉を最後に。


徐福の身体は。


黒い灰となって消えた。


風が吹く。


灰が夜空へ舞い上がる。


武振熊もまた。


静かに立っていた。


二千年。


徐福とともに歩いた武人。


赤鬼と呼ばれ。


歴史から名を奪われ。


呪いの中で戦い続けた男。


武振熊は。


徐福が消えた場所を見つめる。


その表情は。


どこか穏やかだった。


「朱童」


「白夜」


声にならないほど小さく。


二人の名を呼ぶ。


「今度は」


「守れたであろうか」


その問いに。


答える者はいない。


だが。


朝を告げる風の中で。


二人の子どもが笑ったような気がした。


武振熊の身体が。


足元から灰へ変わっていく。


手が消え。


腕が消え。


疲れ果てた英雄の顔が。


最後に、僅かに笑った。


そして。


武振熊命は消えた。


両剣薙刀だけが。


地面へ突き刺さったまま残される。


やがて。


熊野の山々の向こうから。


朝日が昇った。


夜を越えた光が。


神崎神社跡を照らしていく。


崩れた鳥居。


戦い抜いた者たち。


そして。


地に突き立てられた、刃こぼれした両剣薙刀。


誰も声を上げなかった。


誰も勝利を叫ばなかった。


ただ。


静かに。


一つの時代が終わるのを見届けていた。


武振熊は。


最後の一太刀によって。


敵を討ったのではない。


二千年間。


振るい続けてきた、自らの武を収めた。


黒龍は消え。


徐福は滅び。


赤鬼と呼ばれた英雄も。


ようやく長い戦いから解放された。


二千年の日本を取り巻いていた呪いが。


夜明けとともに。


終わりを告げた。

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