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NOESISーノエシスー  作者: 月乃瀬
第五章 十六氏族編
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第十一話 すべての祈り

山の奥から。


微かな蹄の音が聞こえていた。


一度。


また一度。


神崎蓮たちは。


玉置岩戸に教えられた道を進んでいた。


舗装された道はない。


鳥居もない。


立派な社殿もない。


ただ。


人が一人通れるほどの細い山道だけが。


森の奥へ続いている。


「ほんまに、こっちで合ってるん?」


安倍天明が尋ねる。


『周辺に霊的反応』


『ただし、既存の神道系統とは一致しません』


蓮の右目が。


青白く輝いていた。


「いる」


「この先に」


やがて。


木々の隙間から。


柔らかな光が見えた。


開けた草地。


満開の桜。


その中央に。


一頭の白馬が横たわっていた。


雪のように白い毛並み。


金色の飾り。


大きな身体は。


春の陽だまりを抱くように。


ゆっくりと呼吸している。


そして。


白馬の柔らかな腹へ頬を寄せ。


一人の少女が眠っていた。


淡い桃色の髪。


色とりどりの布を重ねた衣。


少女の胸も。


白馬の呼吸に合わせて。


ゆっくり上下している。


すう。


すう。


あまりにも気持ちよさそうに眠っていた。


「……起こすのか?」


剛が小声で言った。


「俺に聞くなよ」


煌が答える。


澄華は。


どこか嬉しそうに微笑んでいた。


「白馬のお腹は」


「きっと、温かいのでしょうね」


その時。


白馬が片目を開いた。


五人を見る。


そして。


鼻を鳴らした。


ぶるる。


「んん……」


少女の瞼が動いた。


ゆっくりと身体を起こし。


眠そうな目で五人を見つめる。


「あれえ」


「もう来たの?」


欠伸を一つ。


少女は白馬のお腹を撫でた。


「ごめんねえ」


「この子のお腹、ふかふかでさ」


「寝るつもりじゃなかったんだけど」


そう言いながら。


まだ名残惜しそうに。


もう一度だけ、白馬へ頬を寄せた。


「あなたが」


澄華が静かに尋ねる。


「オシラサマですか」


少女は顔を上げる。


「うん」


「みんなは、そう呼んでるねえ」


立ち上がっても。


神の威圧感はなかった。


畏れを抱かせる力も。


世界を震わせる霊圧もない。


近所に住む。


少し不思議な姉のように。


ふんわりと笑っている。


「岩戸ちゃんに言われて来たんでしょ」


「十六氏族だけじゃ」


「祈りが足りないって」


天明の眉が動く。


「聞いてたん?」


「聞こえるよ」


オシラサマは。


自分の胸へ手を当てた。


「お願いごとはね」


「声にしなくても、聞こえるの」


「ずっと聞いてきたから」


桜の花びらが舞う。


その一枚へ。


淡い光が宿った。


幼い子どもの声。


――お母さんの病気が治りますように。


次の花びら。


――海へ出た人が、無事に帰りますように。


次の一枚。


――今年も、お米が実りますように。


――この子が、明日も笑えますように。


――もう一度だけ、会えますように。


小さな願いが。


次々と草地を満たしていく。


神社で唱えられた祝詞ではない。


儀式で捧げられた祈りでもない。


病室で握られた手。


墓前へ供えられた花。


海へ向かって下げられた頭。


仏壇の前で交わされた朝の挨拶。


名もない祠へ。


誰かが置いていった団子。


誰にも届かないと思いながら。


それでも。


人が願わずにはいられなかったもの。


「神様の名前なんて」


「知らなくてもいいんだよ」


オシラサマは言った。


「ちゃんとした言葉じゃなくてもいい」


「助けて、でも」


「怖い、でも」


「明日も生きたい、でも」


「誰かを思った心は」


「それだけで祈りになるから」


澄華の白銀の瞳から。


一筋の涙が零れた。


八咫鏡が。


人々の声を映し始める。


天城煌は。


亡き家族を思った。


因幡剛は。


雷切を託した父を思った。


天明は。


千年もの間。


何かを待ち続けてきた記憶へ手を伸ばす。


そして蓮は。


母を思った。


神崎マリア。


すべてを失いながら。


最後まで。


未来へ勾玉を託した人。


「母さんの祈りも」


「聞こえていたの?」


オシラサマは。


蓮を見つめた。


穏やかに。


姉が弟へ話しかけるように。


「うん」


「ずっと聞こえてたよ」


「泣きながら」


「それでも、あの子は願ってた」


「自分を助けてほしいんじゃない」


「蓮が生きてくれますようにって」



「祈りってね」


オシラサマは続ける。


「叶ったものだけが残るんじゃないの」


「届かなかった願いも」


「守れなかった約束も」


「言えなかった、ありがとうも」


「みんな、消えずに残ってる」


彼女は白馬へ身を預けた。


白馬がゆっくりと立ち上がる。


その蹄の下から。


白い光が広がった。


山奥の祠。


道端の地蔵。


村の鎮守。


名もなき墓。


忘れ去られた神。


日本中に残された。


無数の小さな祈りが。


一つ。


また一つ。


目を覚ましていく。


十六氏族がつないだ。


神々の大きな道。


立里家が守り続けた。


仏と人を結ぶ道。


そして。


そのどちらにも届かなかった。


名もなき人々の祈り。


三つの光が。


大地の下で重なった。


『霊的接続領域を再構築』


『推定接続数――算出不能』


『日本列島規模の祈念網を確認』


NOESISの解析が。


初めて。


数を示すことを諦めた。


「これが」


蓮が呟く。


「すべての祈り」


「ううん」


オシラサマは。


柔らかく首を振った。


「まだ、すべてじゃないよ」


「祈りはね」


「誰かが生きている限り」


「これからも増えていくから」


彼女は白馬の首を撫でる。


「でも」


「道はつながった」


「あとは、みんなが連れていって」


「この国に生きる人たちの心を」


「始まりの場所まで」


蓮は頷いた。


「神崎神社へ」


「母さんの故郷へ」


桜が舞い上がる。


白い光は。


紀伊の山々を越え。


熊野大斎原へ向かって流れ始めた。


それは。


二千年もの間。


黒龍に奪われてきた大地を。


人々の祈りが取り戻し始めた瞬間だった。


         ◇


同じ頃。


深い闇の中で。


巨大な何かが目を開いた。


どくん。


どくん。


神崎神社跡の地下。


黒龍の鼓動が。


日本中から近づく光を感じ取っていた。


その前に。


徐福が立っている。


漆黒の衣。


二千年の時を生きた男は。


懐かしいものを見るように。


静かに笑った。


「いよいよ」


「時が来たようじゃの」


背後には。


鬼の仮面をつけた巨躯。


両剣薙刀を携える。


赤鬼。


その隣には。


巨大な弓を持つ。


青鬼。


さらに。


闇の向こうから。


無数の足音が響いてくる。


妖怪。


怨霊。


鬼。


異形。


徐福が二千年をかけて集めた。


百鬼夜行。


黒い軍勢が。


一斉に頭を垂れた。


徐福は。


熊野の方角へ顔を向ける。


「神崎の勾玉」


「八咫鏡」


「草薙の剣」


「十六氏族」


「そして」


「この国に残る、すべての祈りか」


笑みが。


深くなる。


「ならば」


「こちらも、すべてを連れてゆこう」


徐福が歩き出す。


赤鬼が続く。


青鬼が続く。


百鬼夜行が。


大地を黒く染めながら動き始める。


向かう先は。


熊野大斎原。


神崎神社跡。


二千年前。


人の祈りが奪われた場所。


二千年後。


すべての因縁を終わらせる場所。


祈りと呪い。


人と黒龍。


そして。


徐福とNOESIS。


最後の戦いが。


いま。


始まろうとしていた。

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