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NOESISーノエシスー  作者: 月乃瀬
第五章 十六氏族編
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第六話 民を守る武

東京。


地上六十階。


雲へ届こうかという高層ビルの最上階に。


神崎蓮。


月乃瀬澄華。


天城煌。


因幡剛。


そして、安倍天明はいた。


眼下には、無数のビル群。


その間を縫うように走る道路。


絶え間なく動き続ける、人と車の流れ。


「なんで十六氏族に会いに来て、会社の会議室に通されんだよ」


剛が落ち着かなさそうに周囲を見回す。


巨大な円卓。


壁一面を覆うモニター。


並べられた革張りの椅子は、見るからに高そうだった。


天明は椅子へ深く腰かける。


「あかん。ワシ、こういう場所に来ると急にちゃんと納税してるか不安になるわ」


「してないのか?」


煌が訊く。


「してるわ! 陰陽師かて確定申告くらいするんやぞ!」


剛が、隣に立つ天明を上から下まで眺めた。


黒のスリーピーススーツ。

きっちり締めたネクタイ。

そして、細い黒縁の眼鏡。


「……つーか、お前なんでスーツなんだよ」


「なんでって、今日は日本屈指の経営者との会談やで?」


天明は眼鏡の位置を直す。


「陰陽師かて、時と場所に合わせるくらいの社会性はあるわ」


「そのメガネもか?」


「これは交渉力を二割上げる法具や」


「伊達メガネだろ」


「せや」


「一気に胡散臭くなったぞ」


澄華は小さく笑い。

蓮は眼鏡を見つめたまま、静かに告げた。


「レンズに度は入っていません」


「解析せんでええねん、神崎くん」


煌が腕を組む。


「だが、普段よりはまともに見える」


「“普段よりは”いらんやろ、天城ちゃん」


剛が鼻で笑った。


「安心しろ。胡散臭さは三割増しだ」


「交渉力より増えとるやないか」


その時。


会議室の扉が開いた。


黒髪を後ろへ流し。


黒いタートルネックの上に、仕立ての良いスーツ。


細い眼鏡。


口元には、短く整えられた髭。


一人の男が入ってきた。


テレビで。


新聞で。


インターネットで。


誰もが一度は見たことのある顔だった。


世界的企業。


YAWATA GROUP。


金融。


通信。


建設。


物流。


医療。


エネルギー。


世界三十六か国に事業を展開する、日本最大級の企業連合。


その最高経営責任者。


八幡宗介。


「待たせたな」


剛が口を開けたまま固まる。


「……マジかよ」


煌も僅かに目を見開いた。


「日本屈指の経営者が、十六氏族だったのか」


「正確には」


八幡は円卓の最奥へ座った。


「八幡家が、企業を作った」


蓮の右目が青く光る。


『YAWATA GROUPを解析』


『推定総資産――算出不能』


『関連企業、三千二百八十一社』


『保有物流拠点、四百七十二か所』


『通信網、国内人口の八十二・四パーセントを網羅』


『神社仏閣への寄付総額――』


数値が一瞬、乱れた。


表向きに公開されている数字と。


実際に流れている金額が、まるで合わない。


「……匿名財団」


蓮が呟く。


「文化財保護法人。地域振興基金。山林保全団体。災害復興支援」


青い光が次々と情報を結ぶ。


「すべて、YAWATA GROUPにつながっている」


八幡は否定しなかった。


壁のモニターへ、日本地図が映し出される。


無数の光点。


北海道から沖縄まで。


山奥。


離島。


都市部。


それらは、日本全国の神社と寺院だった。


「全国二千四百六十三か所」


八幡が告げる。


「八幡家が直接、あるいは財団を通して維持している神社仏閣だ」


「なんのために?」


剛が問う。


「文化財を守るためか?」


「それもある」


八幡が画面へ触れる。


光点と光点が、細い線で結ばれていく。


日本列島を覆う。


巨大な光の網。


澄華の白銀の瞳が、静かに輝いた。


「……結界」


「ああ」


八幡は短く答えた。


「全国の霊脈上に建てられた神社仏閣は、黒龍を封じる結界の一部だ」


五人の表情が変わる。


「けれど、この光……」


澄華が胸へ手を当てる。


「術だけではありません」


「そこで祈った人々の記憶が、残っています」


「そのとおりだ」


八幡は地図を見つめる。


「神社は、建物だけでは存在できない」


「屋根は腐る。石垣は崩れる。山道は閉ざされる」


「神職がいなくなり、参拝する者が消えれば、祈りの場は失われる」


画面の一部が拡大される。


過疎化した山村。


崩れかけた社。


荒れた参道。


その隣に。


修復された社殿。


整備された道路。


小さな宿泊施設。


新たに作られた診療所が映し出された。


「社だけ直しても意味はない」


八幡は言う。


「そこに暮らす民がいなくなれば、祈りは途絶える」


「だから道路を作った」


「仕事を作った」


「通信を通し、診療所を残し、祭りを続けられるようにした」


煌が静かに問う。


「それが、八幡家の戦いか」


「そうだ」


八幡宗介は。


剣を持っていなかった。


鎧も着ていない。


霊力も。


神威も。


その身体からは、何一つ感じられない。


だが。


彼の背後では。


数十万人の社員と。


数千の企業と。


日本中を走る物流網が、今この瞬間も動いている。


「八幡神は、武の神だ」


八幡は続ける。


「ゆえに多くの者は、八幡家を戦う一族だと思っている」


「違うのか?」


剛が訊く。


「違わない」


八幡は剛を見る。


「だが、戦場で剣を振るう者だけが、武人ではない」


画面が切り替わる。


古い絵巻。


飢饉の村へ運ばれる米俵。


焼け落ちた社を建て直す職人。


戦火から神器や古文書を運び出す人々。


「八幡家は、古くは米蔵を守った」


「街道を整え、荷を運び、戦で焼けた土地へ人と資材を送った」


「領主が変わろうと」


「幕府が滅びようと」


「国の仕組みが変わろうと」


「民が生きるための流れだけは、止めなかった」


天明が眼鏡を押し上げる。


「金と物の流れは、人の血と同じや」


「止まったら、国は死ぬ」


八幡が頷く。


「徐福も、それを知っていた」


室内の空気が変わる。


画面へ。


黒く塗り潰された企業群が映る。


「徐福は二千年をかけて、権力者へ取り入り、富を集めた」


「戦を起こし、土地を奪い、借金で人を縛り、貧しさを利用して従わせた」


「人は飢えれば、祈りより先にパンを求める」


「それは当然だ」


八幡の声に、怒りはなかった。


ただ、冷たい事実だけがあった。


「だから徐福は、民から余裕を奪った」


「今日を生きるだけで精一杯にし」


「隣人を疑わせ」


「祈りを忘れさせた」


蓮は地図を見る。


YAWATA GROUPの資金網と。


八咫烏の影響下にある企業網。


二つは、何十年も前から。


いや。


何百年も前から。


日本の水面下でぶつかり続けていた。


「あなたは、徐福と経済で戦っていたんですね」


「ああ」


「誰にも知られないまま?」


「知られる必要があるのか」


八幡は僅かに眉を上げる。


「会社は利益を出す」


「社員へ給料を払う」


「取引先を守る」


「税を納める」


「残った力で、次の百年を支える」


「それが経営だ」


剛が腕を組む。


「でもよ」


「金で神社を守るって、なんか違わねえか?」


その問いに。


八幡は怒らなかった。


「ならば訊こう」


「雨漏りする社殿を、祈りだけで直せるか?」


「……いや」


「神主の家族は、霞を食って生きられるか?」


「無理だな」


「祭りの警備。山道の整備。文化財の修復。災害後の再建」


「そこには人が必要だ」


「人が動けば、金が要る」


八幡は円卓へ両手を置く。


「金は祈りではない」


「だが」


「祈りを明日へ残すための、現実だ」


澄華が静かに目を伏せる。


「人の心を守るために」


「まず、人の暮らしを守ってきたのですね」


「心だけを救おうとする者は、時に人を見失う」


八幡は澄華を見る。


「腹が減っている者には、飯を出せ」


「凍えている者には、屋根を与えろ」


「祈りを説くのは、そのあとだ」


煌が窓の外へ視線を向ける。


地上では。


名も知らぬ人々が働き。


物を運び。


店を開き。


家族のもとへ帰ろうとしている。


「武とは、戈を止める力だと俺は思っていた」


煌が言う。


「その考えは正しい」


「だが、戈を止めたあとにも民は生きていく」


八幡の言葉が重なる。


「焼けた街を誰が直す」


「傷ついた者を誰が運ぶ」


「戦で親を失った子を、誰が育てる」


「武が戦を終わらせる力なら」


「終わったあとに、民の生活を始め直す力もまた、武だ」


沈黙が落ちた。


剣を振るわず。


雷を落とさず。


矢を放たず。


呪を唱えず。


ただ。


人が明日も生きていけるように。


金を動かし。


物を運び。


道をつなぎ。


祈る場所を残す。


それが。


八幡家の武だった。


蓮が口を開く。


「全国の黒龍を封印するには」


「このすべての神社仏閣を、結界としてつなぐ必要がある」


「できますか」


八幡は即答しなかった。


机上の端末を操作する。


通信網。


輸送経路。


発電施設。


警備会社。


医療機関。


宿泊施設。


数千の拠点が、日本地図の上でつながっていく。


『全国支援網』


『接続率、九十八・九パーセント』


蓮のNOESISが。


初めて、八幡家の全貌を捉えた。


それは企業ではなかった。


現代日本そのものを覆う。


巨大な、兵站だった。


「すでに準備は終わっている」


八幡が立ち上がる。


「十六氏族が祈りを集めるなら」


「八幡家は、その祈りが届く道を作る」


「必要な資金は?」


天明が恐る恐る訊く。


「考えるな」


「物資は?」


「こちらで揃える」


「各地へ向かう足は?」


「陸海空、すべて用意する」


「もし徐福側の企業が妨害したら?」


八幡は眼鏡を外した。


それまで冷静だった男の口元へ。


初めて。


獰猛な笑みが浮かんだ。


「正面から叩き潰す」


剛が笑う。


「やっぱり武闘派じゃねえか」


「当然だ」


八幡は五人を見る。


八幡神の血を継ぐ者。


二千年。


民の暮らしを戦場にして。


徐福とは異なる道から、日本を守り続けた男。


その声が。


大企業の最上階に響き渡る。


「金なら、いくらでも出す」


「道路を壊せば直してやる」


「ビルを吹き飛ばせば建て直してやる」


「負傷者は全員、八幡家が治療する」


「残された家族も、俺が守る」


八幡宗介は。


豪快に笑った。


「だから、お前たちは」


「何の心配もせず、暴れ回ってこい」


「徐福を――ぶっ倒せ!」


眼下では。


人々の暮らす街に、夕暮れの灯りがともり始めていた。


その一つ一つを守るために。


剣を持つ者がいる。


祈る者がいる。


そして。


戦う者たちが、迷わず前へ進めるように。


その背後に立ち。


すべてを支える者がいる。


武とは。


敵を倒す力だけではない。


民の暮らしを絶やさず。


祈りを明日へつなぎ。


戦う者を、必ず家へ帰す力。


八幡宗介の戦場は。


日本そのものだった。

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