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NOESISーノエシスー  作者: 月乃瀬
第四章 ー双生陰陽師編ー
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第十四話 黒龍封獄

黒龍の口の奥に。


世界中の絶望が集まっていた。


怒り。


悲しみ。


病。


老い。


忘却。


人が生まれてから死ぬまで、一度は抱くすべての苦しみが、黒い光へ圧縮されていく。


あれを受ければ。


身体ではない。


魂が壊れる。


朱童は、血に濡れた地面へ手をついた。


指は震えている。


炎を灯す力さえ、もうほとんど残っていなかった。


白夜も膝をつき、荒い息を吐いている。


青い瞳から光が失われかけていた。


それでも。


二人は互いを見た。


「白夜」


「……はい」


「あれを使うぞ」


白夜の顔が強張る。


「でも、徐福爺に禁じられています」


「使ったら、もう動けなくなるって」


「分かってる」


朱童は笑った。


強がる時の笑顔だった。


「一か八かだ」


「やるしかねぇよな」


白夜は少しだけ目を伏せた。


それから。


静かに頷いた。


「朱童と一緒なら」


「私も、やります」


「なら決まりだ」


徐福が地面へ伏したまま、顔を上げる。


「待て……」


声が掠れている。


「その術はならぬ」


「おぬしらの器では、全呪力を使い果たす」


「命さえ――」


「爺」


朱童が振り返った。


その顔は。


いつもの子供の顔だった。


団子を奪い。


白夜をからかい。


徐福へ生意気を言っていた、ただの童。


「ほかにあるのかよ」


徐福は答えられない。


なかった。


黒龍を止める手段は。


もう、それしか残されていなかった。


朱童は武振熊を見る。


「詠唱に時間がかかる」


「少しでいい」


「時間を稼いでくれ」


武振熊は立ち上がった。


左腕は垂れ下がり。


両剣薙刀の片方は折れ。


身体のあちこちから血を流している。


立てる状態ではない。


それでも。


「相分かった」


武振熊は答えた。


「おぬしらが術を成すまで」


「何人たりとも、ここは通さぬ」


黒龍の光が放たれた。


武振熊は前へ出る。


折れた両剣薙刀を横へ構え。


正面から受けた。


黒い奔流が山頂を削る。


武振熊の足元が崩れ。


皮膚が裂け。


骨が軋む。


心の中へ、無数の悲鳴が流れ込んでくる。


――神殺し。


――人殺し。


――お前の武は、誰を守った。


「黙れ……!」


武振熊は一歩も退かない。


精神を燃やす。


命そのものを薪にする。


刃で受け。


柄で払い。


身体で止めた。


「武とは……」


血を吐きながら。


それでも前を見る。


「最後まで」


「守るために振るうものだ!」


その背後で。


朱童と白夜は背中を合わせた。


赤と白。


炎と水。


太陽と月。


二人の足元へ、巨大な陰陽の術式が広がっていく。


「陽は天へ」


朱童の声が響く。


赤い光が空へ昇る。


「陰は地へ」


白夜が続く。


白い光が大地へ沈む。


「日と月」


「相反する力を」


二人の声が重なる。


「一つの環となせ」


空に太陽。


地に月。


天と地が反転し。


巨大な光輪となって回転を始める。


朱童の角から血が流れた。


白夜の髪が、呪力の奔流に舞い上がる。


徐福は、その姿を見ていた。


教えたことのすべて。


いや。


教えられなかったものまで。


二人は自らの力で辿り着いていた。


「鬼道陰陽術――」


朱童が叫ぶ。


「究極秘術奥義――」


白夜が手印を結ぶ。


「黒龍封獄!」


天と地から伸びた二本の光が。


黒龍の巨体へ絡みついた。


太陽の輪が首を縛り。


月の輪が胴を締め。


無数の陰陽の鎖が、とぐろを巻く身体へ食い込んでいく。


黒龍が咆哮した。


――痛い。


――苦しい。


――動けぬ。


巨体が山頂へ叩きつけられる。


黒い瘴気が暴れ。


空が裂け。


大地が沈む。


それでも。


双子の輪は離れなかった。


――この鬼の双子め!


――何という呪力を持っておる!


「まだだ!」


朱童が叫ぶ。


「白夜!」


「はい!」


最後の呪力が。


二人の身体から抜けていく。


陰陽の輪が収縮した。


黒龍の動きが完全に止まる。


そして。


朱童と白夜は同時に膝をついた。


術式が消える。


二人は背中を合わせたまま、地面へ倒れた。


指一本。


もう動かせない。


「徐福……爺」


朱童が掠れた声を出す。


「倒すことは……できなかった」


白夜も、僅かに顔を上げた。


「じいさま……」


「封の術で」


「この山へ、封じてください」


徐福は杖へ手を伸ばした。


腕が動かない。


身体の奥が。


もう限界を告げている。


武振熊も。


黒龍の攻撃を受け続けたまま。


折れた両剣薙刀へ身体を預け、立っていた。


立っているだけだった。


意識は遠い。


呼吸も。


ほとんど残っていない。


それでも。


双子を守る壁であり続けていた。


黒龍が。


徐福を見た。


――おい。


――そこの、じじい。


徐福の指が止まる。


黒龍は光の鎖に締めつけられながら。


苦しげに。


哀れに。


声を震わせた。


――我を、助けてはくれぬか。


――頼む。


――痛い。


――苦しい。


徐福は目を閉じた。


「騙されぬぞ……」


――ならば、礼をしよう。


黒龍の声が。


優しくなる。


――若さをやる。


――永遠の命をやる。


徐福の胸が。


大きく脈打った。


――悪い話ではない。


――お前は誰より強い。


――誰より賢い。


――誰より偉い。


――皆から尊敬され。


――この日本になくてはならぬ存在だ。


「黙れ……」


――お前が主となれ。


――我が力で、この国の未来を守ればよい。


徐福の脳裏に。


長い旅が蘇る。


始皇帝の命。


不老不死の霊薬。


海を越えた日。


何年探しても。


何十年探しても。


見つからなかった。


やがて故郷へ戻ることを諦め。


この国に骨を埋めると決めた。


「わしは……」


声が震える。


「この国に、恩を返したかった」


薬を伝えた。


鉄を伝えた。


術を教えた。


そして。


老い果てた頃に。


朱童と白夜へ出会った。


「この子らに……」


「すべてを教えた」


黒龍が笑う。


――そうだ。


――お前は、この双子へ日本の未来を託した。


――だが徐福よ。


――本当に、それでよいのか。


徐福の目が揺れた。


――お前がいなくなっても。


――この国の未来は、大丈夫なのか。


朱童と白夜が。


地面へ倒れている。


あまりにも幼い。


あまりにも脆い。


――余命いくばくもない身体で。


――この鬼の子らに託すのか。


――どうせ、お前のことなどすぐに忘れる。


「忘れぬ……」


徐福は呟いた。


「この子らは……」


――本当に?


幻が見えた。


成長した朱童と白夜。


多くの人に囲まれ。


英雄と呼ばれている。


その世界に。


徐福はいない。


二人は笑っている。


徐福のことなど。


最初から知らなかったように。


――お前自身が不老不死となればよい。


――我が力を使い。


――日本を守り続ければよい。


黒い瘴気が。


徐福の手へ触れた。


身体の痛みが消えた。


胸の苦しさが。


咳が。


骨の軋みが。


すべて遠ざかる。


――老いるのは嫌であろう。


――辛かろう。


――動けぬのは嫌であろう。


――忘れられるのは、もっと嫌であろう。


徐福の口から。


呻き声が漏れた。


――長く生きれば。


――まだ智慧を学べる。


――まだ多くの命を救える。


――お前は尊敬され続ける。


「嫌じゃ……」


徐福の目から涙が落ちる。


「わしは……」


否定しようとした。


だが。


心の奥に隠してきたものが。


堰を切った。


「老いるのは、もう嫌じゃ……」


朱童の目が開いた。


「爺……?」


「もっと生きたい」


徐福は泣いていた。


「もっと智慧を得たい」


「力強く、生きたい」


「世の人々に……」


「尊敬されたい……!」


黒龍の赤い瞳が細くなる。


――では。


――その双子を殺せ。


山が。


静まり返った。


――そやつらは、もう虫の息だ。


――その首を断ち。


――我が封印を解け。


――そうすれば我は、お前の一部となってやろう。


徐福の顔が歪む。


「わしが……」


「おぬしを取り込むだけじゃ」


「おぬしの自由にはさせぬ」


――よかろう。


黒龍は笑った。


――契約成立だ。


徐福は立ち上がった。


不思議なほど。


身体が動いた。


倒れている双子へ近づく。


朱童は。


徐福の顔を見上げた。


恐れではなく。


信じようとする顔だった。


「徐福爺」


声が掠れる。


「嘘だよな」


白夜は。


弱々しく微笑んだ。


「じいさま……」


「私は、信じています」


その言葉が。


徐福の胸を抉った。


二人の首へ。


手を伸ばす。


何度も。


その手で頭を撫でた。


薬を塗った。


団子を渡した。


眠る二人へ布団を掛けた。


その手が。


今。


二人の細い首を掴んでいる。


「すまぬ」


徐福の目から。


血のように赤い涙が流れた。


「すまぬ」


指に力が入る。


「すまぬ……」


朱童は抵抗しなかった。


抵抗する力がなかったのではない。


最後まで。


徐福を信じたかった。


「爺……」


「オレたち……」


「また、海を見に……」


声が途切れる。


白夜の手が。


徐福の袖を掴んだ。


かつて眠る時に。


離れまいと握っていたように。


「じいさま……」


「痛い、です……」


徐福の指が震える。


緩めようとした。


その瞬間。


黒龍の声が囁く。


――老いるぞ。


――死ぬぞ。


――忘れられるぞ。


徐福は目を閉じた。


そして。


全力で締めた。


朱童の手が。


地面へ落ちた。


白夜の指も。


徐福の袖から離れた。


二人は動かなくなった。


赤と白。


太陽と月。


日本の未来を照らすはずだった光が。


同時に消えた。


徐福は。


自分の手を見た。


汚れていた。


血ではない。


もっと落ちないものに。


染まっていた。


「あ……」


声にならない。


口を大きく開き。


喉を震わせる。


悲しみで顔が歪み。


それなのに。


口元だけが。


笑っているように吊り上がった。


「黒龍よ……」


徐福は両手を広げた。


「わしの中で生きよ」


「そして」


「わしを不老不死にするのじゃ」


双子が命を削って作った封印が。


崩れていく。


光の輪が砕け。


黒龍の身体が自由になる。


赤い瞳が。


笑顔のように歪んだ。


――お前と共に。


――永遠に生きよう。


黒い瘴気が。


徐福の口へ。


目へ。


胸へ。


雪崩れ込んでいく。


老いた身体が反り返る。


皺が消え。


白かった髪に黒さが戻る。


しかし。


その瞳の奥には。


人ではない赤い光が宿っていた。


地面に伏した武振熊が。


僅かに顔を上げる。


「徐福……」


ほとんど声にならない。


「お前だけは……」


血の混じった息を吐く。


「許さん……」


「必ず」


「殺してやる……!」


徐福が振り返った。


その顔には。


もう優しい旅人の面影はなかった。


「ほう」


ゆっくりと歩み寄る。


「わしを殺すとな」


武振熊の瞳には。


怒り。


悲しみ。


絶望。


双子を守れなかった悔しさ。


巨大な恨みが渦巻いている。


徐福は笑った。


「なんたる恨みの力じゃ」


「武振熊よ」


「喜べ」


倒れた武人の前へしゃがむ。


「おぬしを鬼退治の英雄にしてやろう」


「栄誉が好きであろう?」


「違……う……」


「そして」


徐福の指が。


武振熊の額へ触れた。


「おぬしは、もうすぐ命尽きる」


「ならば」


「わしの人形となり」


「手足となって働くのじゃ」


黒龍の邪気に傷つけられた身体。


死の直前まで弱った魂。


そこへ入り込むことは。


あまりにも容易だった。


黒い紋様が。


武振熊の額から全身へ広がっていく。


角が生え。


皮膚が赤黒く染まり。


折れた両剣薙刀へ、禍々しい刃が再生する。


武振熊の目から。


涙が流れた。


怒りに満ちた。


恨みに満ちた。


最後の人間の涙。


「徐福……!」


「必ず……」


「必ず……!」


声が低く濁る。


言葉が失われる。


徐福は立ち上がり。


赤鬼へ変わっていく英雄を見下ろした。


「おぬしは今日より」


「赤鬼じゃ」


山頂に。


黒龍の笑い声が響いた。


その足元には。


朱童と白夜が、寄り添うように倒れている。


まるで。


眠っているだけのように。


徐福は。


二人を見なかった。


見れば。


永遠に進めなくなると知っていたから。


こうして。


日本を守るために集まった四人は。


その日。


日本最古の呪いとなった。

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