表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
NOESISーノエシスー  作者: 月乃瀬
第四章 ー双生陰陽師編ー
PR
61/91

第十二話 痛みの幻

黒龍が、笑った。


声ではなかった。


山が軋み。


空が震え。


四人の頭蓋の内側へ、直接その意思が流れ込んでくる。


――人間どもよ。


山頂を覆う黒い瘴気が、ゆっくりと渦を巻いた。


三十メートルを超える龍の輪郭。その身体には鱗がない。


泣き叫ぶ顔。


怒りに歪む顔。


何かを欲し、手を伸ばす顔。


数え切れない人間の負の感情が絡まり合い、黒龍という一つの形を成していた。


――来たか。


赤い眼が開く。


たったそれだけで、朱童の足が地面へ縫いつけられた。


白夜は息を忘れ。


武振熊の握る両剣薙刀が、微かに震えた。


徐福だけが、杖を地面へ突き立てる。


「目を合わせるでない」


低い声だった。


「奴を見ようとするな。己の内側を見られるぞ」


黒龍の顔が、笑みの形へ歪む。


――遅い。


――お前たちのことは、ずっと見ていた。


瘴気が四人の周囲を這う。


――知っている。


――何もかも。


朱童の耳元で、子供たちの声がした。


鬼だ。


化け物だ。


人のふりをしている。


白夜の背後では、誰かが泣いている。


ひとりにしないで。


置いていかないで。


武振熊の視界には、龍神の首を断った瞬間が何度も映った。


徐福の胸の奥では。


咳が鳴った。


老いた身体。


震える指。


自分より先へ進んでいく双子の背中。


「戯れ言を!」


武振熊が吠えた。


恐怖を振り払うように。


「このような悪の言葉に、耳を貸してはならん!」


両剣薙刀を構える。


「行くぞ!」


「待て、武振熊!」


徐福の制止よりも早く。


武振熊は地を蹴った。


巨体が岩場を駆ける。


その一歩ごとに地面が砕け、両剣薙刀が黒龍の首へ向けて振り抜かれた。


白銀の軌跡。


確かな手応え。


黒龍の首が大きく抉れ、黒い瘴気が血のように噴き出す。


――痛い。


黒龍の口から、幼い声が漏れた。


――痛い。


――どうして、そんなことをする。


武振熊の動きが、ほんの一瞬だけ鈍る。


「惑わされるな!」


朱童が叫んだ。


両手で印を結ぶ。


「火行――爆炎童子!」


赤い呪符が舞い。


黒龍の胴へ巨大な火柱が炸裂した。


白夜も続く。


「水行――氷華千針!」


無数の氷針が、炎の隙間を縫う。


黒龍の身体へ突き刺さり、瘴気ごと凍りつかせた。


炎。


氷。


武。


三つの攻撃が黒龍を削っていく。


黒龍はもがいた。


――痛い。


――苦しい。


人の声が重なる。


女。


老人。


子供。


戦で死んだ者。


病に倒れた者。


見捨てられた者。


誰にも届かなかった痛みが、黒龍の口を借りて泣き叫ぶ。


――助けて。


――なぜ、誰も助けてくれない。


朱童の炎が揺らいだ。


白夜の指先が震える。


だが。


武振熊は止まらなかった。


「これは奴の術だ!」


両剣薙刀を返し、黒龍の胴へ二撃目を叩き込む。


「情けをかければ、より多くの者が苦しむ!」


黒龍の身体が裂けた。


黒い腕のような瘴気が武振熊を掴もうと伸びる。


それを朱童の炎が焼き払い。


白夜の氷が凍らせた。


攻撃は通っている。


そう見えた。


「押し切れる!」


朱童が叫ぶ。


徐福は杖を握り締めた。


違う。


あまりにも。


うまくいきすぎている。


黒龍ほどの存在が。


七難や毒龍を支配したものが。


ただ攻撃を受け続けている。


「焦るでない!」


徐福の声が飛ぶ。


だが。


三人の耳には届かなかった。


黒龍の泣き声が。


あまりにも大きすぎた。


――痛い。


――痛い。


――もっと痛くして。


――お前たちも、同じになるまで。


武振熊が両剣薙刀を水平に構えた。


「朱童! 白夜!」


双子が振り返る。


「あの技で行くぞ!」


七難を倒した連携。


三人の力を、一つの武へ集めた奥義。


朱童が即座に右側へ回る。


「火行――炎宿!」


赤い炎が右の刃へ宿る。


白夜が左側で手印を結ぶ。


「水行――氷宿!」


青白い氷が、もう一方の刃を覆った。


両剣薙刀の左右へ。


火と氷。


相反する力が灯る。


武振熊の霊力が、その二つを一本の軸で結びつけた。


両剣薙刀が回転する。


赤と青の輪が生まれ。


山頂の瘴気を切り裂いていく。


「火氷双刃――!」


武振熊が一気に踏み込んだ。


「陰陽破斬!」


火と氷の輪が、黒龍の胴へ走る。


直撃。


黒龍の身体が。


真っ二つにちぎれ飛んだ。


山を覆っていた長い胴が分かれ。


上半身と下半身が空中で大きく離れていく。


――ぎゃああああああッ!


悲鳴が世界を揺らした。


朱童は耳を塞ぐ。


白夜は膝をつく。


それでも黒龍の声は、頭の中から響き続ける。


――痛い。


――苦しい。


――悲しい。


――悲しい。


――どうして。


――どうして、わたしばかり。


武振熊は荒い息を吐いた。


「終わった……」


朱童も火を消す。


「倒したのか?」


白夜は黒龍の二つに裂けた身体を見上げる。


黒い瘴気が、空へ溶けていく。


それなのに。


徐福だけが。


三人を見ていた。


「武振熊よ」


その声は低く。


震えていた。


「朱童」


「白夜」


三人が振り返る。


徐福の顔には。


勝利の喜びなどなかった。


「おぬしらは」


杖の先が、地面を指す。


「何をしておるのじゃ」


朱童が眉を寄せる。


「何って、黒龍を――」


徐福が印を結んだ。


「明々たる天光よ」


杖の先に、白い光が集まる。


「虚ろを裂き」


「偽りを祓え」


地面へ光の円が広がった。


「破幻!」


光が爆発する。


世界が。


割れた。


黒龍の裂けた身体。


飛び散った瘴気。


抉れた山肌。


そのすべてに亀裂が走り。


薄い硝子のように砕け散る。


次の瞬間。


三人は。


何もない空を斬っていた。


武振熊の両剣薙刀は岩へ深く突き刺さり。


朱童の炎は空へ放たれ。


白夜の氷は、枯れ木を覆っている。


黒龍は。


傷一つ負わず。


最初の場所でとぐろを巻いていた。


赤い眼で。


四人を見下ろしている。


「な……」


武振熊が息を呑む。


「生きている?」


朱童が黒龍と、自分の両手を交互に見る。


「確かに、斬ったはずだ!」


白夜の顔から血の気が引く。


「私たちは……何を攻撃していたのですか」


「幻影じゃ」


徐福は荒く息を吐いた。


破幻の術だけで、体力を大きく削られている。


「奴は、おぬしらの中にある勝ちたいという焦りを使った」


「攻撃が通っていると見せ」


「泣き声で心を揺らし」


「自ら、幻の奥へ進ませたのじゃ」


武振熊は両剣薙刀を岩から抜いた。


「最初から、すべて……?」


「奴は一歩も動いておらぬ」


沈黙。


三人の背筋を。


遅れて恐怖が走った。


七難には術の仕組みがあった。


毒龍には病と呪いの核があった。


だが黒龍は。


戦いが始まった瞬間から。


現実そのものを奪っていた。


――見事。


黒龍が嗤う。


――実に見事な攻撃であった。


――空に当てるには、惜しいほどにな。


朱童が牙を剥く。


「ふざけやがって!」


「怒るな!」


徐福が即座に止める。


「怒りも餌じゃ!」


朱童は歯を食いしばり、炎を消した。


白夜は両手を胸元へ戻し、呼吸を整える。


武振熊も目を閉じ。


一度だけ深く息を吐いた。


黒龍の赤い眼が、細くなる。


――さて。


巨大な身体が動く。


山頂の空が。


黒いとぐろに覆われていく。


――その程度の脆弱な心で。


――我の攻撃を受け切れるかな。


瘴気の中から。


無数の声が響いた。


――痛いぞ。


――痛いぞ。


――苦しいぞ。


――苦しいぞ。


四人は構えた。


武振熊が前へ。


朱童と白夜が左右へ。


徐福は杖を握り。


三人の背後へ立つ。


先ほどまでとは違う。


勝つために、敵を見るのではない。


自分を見失わぬために。


互いの存在を確かめる。


「朱童」


「いる」


「白夜」


「ここにいます」


「武振熊」


「いつでも」


徐福は頷いた。


黒龍の口が大きく開く。


その奥には。


闇ではなく。


無数の人間の記憶が渦巻いていた。


「来るぞ!」


徐福が叫ぶ。


黒龍が咆哮した。


音はなかった。


代わりに。


世界中の痛みが。


四人へ向かって押し寄せた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ