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NOESISーノエシスー  作者: 月乃瀬
第四章 ー双生陰陽師編ー
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第十一話 黒龍討伐隊

黒龍の鱗は、夜になると脈を打った。


どくん。


どくん。


生き物の心臓のように。


徐福が幾重にも重ねた封印の布。その内側から、黒い瘴気が細い糸となって漏れ出し、北の空へ伸びている。


まるで。


帰るべき場所を知っているように。


「この先じゃ」


朝霧の中。


徐福は杖を止めた。


朱童と白夜。


武振熊。


三人も、その視線の先を見た。


山があった。


いや。


山であったものが、そこにあった。


木々は黒く枯れ。


岩肌は瘴気に覆われ。


頂上付近には雲とも煙ともつかぬ巨大な闇が渦巻いている。


鳥は山を避けて飛び。


獣の足跡さえ、麓で途切れていた。


山そのものが。


この世から拒絶されている。


「……あそこか」


朱童の声から、いつもの軽さが消えた。


白夜は無意識に、朱童の袖を握る。


武振熊は両剣薙刀へ手を添えた。


徐福は三人を順番に見た。


「おぬしら」


静かな声だった。


「大丈夫か?」


朱童が眉を寄せる。


「ここまで来て、帰れっていうのか」


「そうではない」


徐福は瘴気に包まれた山を見上げた。


「ここから先は、今までとは別格じゃ」


「七難のような妖とも」


「毒龍のような、呪いに堕ちた神とも違う」


懐の黒い鱗が震えた。


「妖か」


「神か」


「あるいは、そのどちらにも当てはまらぬものが出るやもしれぬ」


白夜の顔が強張る。


徐福は、そんな白夜の頭へ手を置いた。


「恐れるのは悪いことではない」


「恐れを知らぬ者から死んでいく」


次に朱童を見る。


「じゃから朱童」


「何だよ」


「勝手に突っ込むでないぞ」


「分かってるよ」


「目を逸らしたな」


「山を見てただけだ!」


武振熊が低く笑う。


ほんの僅か。


張り詰めていた空気が緩んだ。


徐福も笑い、それから杖を強く地面へ突いた。


「気を引き締めていくのじゃぞ」


四人は。


黒龍討伐隊として、山へ足を踏み入れた。



黒い瘴気は、呼吸をしていた。


濃くなり。


薄くなり。


時折、四人の身体へまとわりつく。


徐福の毒避けの札が金色に光り、それを弾く。


だが。


毒龍の瘴気とは違う。


これは身体を腐らせる毒ではない。


「嫌な感じがする」


朱童が胸を押さえた。


「腹が減ったのか?」


武振熊が問う。


「違う!」


「では何だ」


「なんか……怒りたくなる」


白夜も自分の腕を抱いた。


「私は、悲しくなります」


徐福の表情が険しくなる。


「黒龍の瘴気は、心へ入る」


「怒り、悲しみ、恐れ、欲」


「元からあるものを大きくして、その者自身を内側から喰らうのじゃ」


朱童は自分の頬を両手で叩いた。


「なら、怒らなければいい!」


「そんなに簡単なら苦労せぬ」


「でも、何もしないよりいいだろ」


徐福は少し驚き。


それから頷いた。


「そうじゃな」


歩くほど、道は険しくなった。


やがて木々の間から、家屋の屋根が見えた。


小さな村だった。


だが。


煙は上がっていない。


子供の声も。


犬の鳴き声もない。


戸は開いたまま。


畑には収穫されなかった作物が、黒く腐って残っている。


一軒の家には。


食べかけの椀が置かれていた。


人だけが消えていた。


「どこへ行ったんだ」


朱童が呟く。


誰も答えられない。


白夜は道端に落ちていた、小さな草履を拾った。


泥に汚れた、子供のものだった。


「逃げたのでしょうか」


「逃げられたならよいが」


徐福は山頂を見上げた。


黒い瘴気は。


まるで村人たちまで呑み込んだように、静かに渦巻いている。


その日は、村で休むことにした。


黒龍の領域へ入る前に。


最後の夜を越えるために。



火を焚いた。


誰もいない家の囲炉裏へ。


朱童が薪を入れ。


白夜が鍋を見張り。


武振熊が残っていた穀物を調べる。


徐福は薬草を煎じていた。


「またその薬かよ」


朱童が嫌そうな顔をする。


「わしの薬じゃ」


「倒れたくせに、一人だけ飲むのはずるい」


「薬を羨ましがる子供は初めてじゃ」


「味見だけしてやる」


徐福は椀を差し出した。


朱童が一口飲む。


直後。


顔が盛大に歪んだ。


「毒じゃないか!」


「薬じゃ」


白夜が袖で口元を隠して笑う。


武振熊も肩を揺らした。


朱童は水を一気に飲み干した。


「こんなもの毎日飲んでるのか」


「ああ」


「爺って大変なんだな」


「今頃気づいたか」


四人は粗末な粥を囲んだ。


黒龍の山の中。


住民の消えた村。


一歩先には、何が待つかも分からない。


それなのに。


不思議と、その夜の会話は穏やかだった。


「黒龍を倒したら、どうする?」


朱童が尋ねた。


武振熊は少し考える。


「大王へ報告する」


「それだけ?」


「それが役目だ」


「つまんないな」


「では、おぬしはどうする」


朱童は胸を張る。


「もっと強い術を覚える!」


白夜が首を傾げる。


「団子を食べる、ではないのですか」


「それもする!」


「結局、いつも通りじゃな」


徐福が笑う。


白夜は膝の上で指を組んだ。


「私は」


三人が見る。


「みんなで、また旅がしたいです」


小さな願いだった。


だが。


誰もすぐには答えなかった。


明日。


四人全員が生きて山を下りられる保証などない。


だから武振熊は。


真面目な顔で頷いた。


「そうしよう」


朱童も笑う。


「次はもっと明るいところがいいな」


徐福は二人を見つめた。


「では、海でも見に行くか」


「海?」


朱童と白夜の声が重なる。


「山より、ずっと大きな水じゃ」


「本当に?」


「わしが渡ってきた海は、この国の山をすべて沈めても余る」


朱童は疑い。


白夜は目を輝かせた。


武振熊が微笑む。


未来の話だった。


まだ来ていない。


けれど。


四人が同じ場所にいる未来。


その話をしている間だけ。


黒龍の瘴気も、少し遠く感じられた。



朝。


四人は村を出た。


山頂へ向かう道には、陽の光が差さない。


空は黒く。


風は冷たい。


やがて森が途切れた。


その瞬間。


朱童が足を止める。


白夜は声を失い。


武振熊でさえ、両剣薙刀の柄を強く握った。


山頂の上空。


巨大な黒い塊があった。


煙ではない。


雲でもない。


無数の瘴気が、龍の形を成している。


長い身体は山を取り巻き。


とぐろを巻き。


頭だけでも家屋ほどの大きさがある。


全長は、三十メートルを超えていた。


鱗の代わりに。


人の顔が浮かんでは消える。


怒り。


悲しみ。


欲望。


絶望。


あらゆる負の感情が、一体の龍となっていた。


ただ見ただけで。


心臓が止まりそうになる。


立っていることすら、許されない。


そんな恐怖。


黒龍が。


ゆっくりと瞼を開いた。


赤い瞳が。


四人を見下ろす。


そして。


笑った。


声はなかった。


それでも四人の頭の中へ、確かに届いた。


――ようやく来たか。


徐福の懐で。


黒い鱗が激しく脈打った。


どくん。


どくん。


どくん。


徐福は杖を握る。


隣には朱童と白夜。


前には武振熊。


これまで共に戦った仲間たちがいる。


それでも。


初めて思った。


勝てぬかもしれない、と。


黒龍は山を覆いながら。


大きく口を開いた。


夜より暗い闇が。


その奥にあった。

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