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NOESISーノエシスー  作者: 月乃瀬
NOESIS覚醒編
6/18

第六話  月花鏡は内側を見る


六月。


雨上がりの風が、月乃瀬神社の石畳を静かに撫でていた。


鳥居の向こうでは、紫陽花が咲いている。


世界は穏やかだった。


少なくとも――

神崎蓮の目にはそう映っていた。



「神崎くん、将棋は好き?」


昼休み。


校内に貼られた一枚のポスターを見上げていると、不意に声がかかった。


月乃瀬澄華だった。


制服姿の彼女は、いつものように穏やかに微笑んでいる。



【月乃瀬神社 将棋奨励会】


特別講師


白河智史 三冠



「将棋?」


蓮は首を傾げる。


「ルールも知らない」


「なら丁度いいかもしれないね」


澄華は楽しそうに言った。


「初心者歓迎だから」



その隣で。


因幡剛がポスターを覗き込む。


「将棋かぁ」


腕を組みながら唸る。


「親父に何回か教わったことあるぜ」


「勝てたの?」


「一回もねぇ」


「そう」


「でも今回は違う」


剛は不敵に笑った。


「俺、こういう天才って奴に一回勝ってみたかったんだよな」



その言葉を聞きながら。


蓮はポスターの写真を見る。


銀縁眼鏡。


七三分け。


端正な顔立ち。


高校三年生にして将棋三冠。


今世紀最大の天才棋士。


白河智史。



(将棋か)



その瞬間。


右目の奥で微かに何かが脈打った。




当日。


月乃瀬神社には三十人近い参加者が集まっていた。


老人。


会社員。


学生。


子供。


皆の目的は一つ。


白河智史を見ること。


そして。


可能ならば一局でも指すこと。



「月乃瀬さん」


柔らかな声が響く。


「本日もよろしくお願いします」



現れた白河智史は、

テレビで見るままの姿だった。


礼儀正しい。


物腰も柔らかい。


だが。


その奥にある。


絶対的な自負。



自分は負けない。



そう確信している者だけが持つ空気。



「では始めましょう」


白河が微笑む。


「今日は三十面指しです」



場内がどよめいた。



飛車角落ち。


三十人同時。


それでも。


誰一人として勝てると思っていない。



それが白河智史という存在だった。




対局開始。



白河が歩く。


指す。


歩く。


指す。



速い。



あまりにも速い。



一秒もかからない。


盤面を見る。


指す。


終わり。



まるで。


既に全ての局面を知っているかのように。



「参りました」


最初の脱落者が出る。


十分後。


二人目。


三人目。



人数は減り続けた。



「因幡くん」


白河が立ち止まる。


「やあ」


銀縁眼鏡を押し上げる。


「君は有名人だね」



剛が笑う。


「悪い意味でな」



「将棋は喧嘩とは違う」


白河は微笑む。


「しっかり学んでいきなさい」



次の瞬間。


一手。



剛の顔色が変わる。



「げっ」



白河はもう次へ歩いている。




そして。


神崎蓮の盤へ。



白河は盤面を見る。


一瞬だけ。


眉が動く。



初心者。



配置。


思考。


駒運び。


全てが素人だった。



「将棋は初めてかな?」


「うん」


蓮は答えた。


「今日覚えた」



白河が笑う。



「それは良かった」



教師が生徒を見る目だった。



「楽しんでいくといい」



一手。



白河は次の盤へ向かう。



蓮は静かに駒を見る。



(なるほど)



右目が微かに熱を帯びる。



(これが将棋)



盤面。


駒。


価値。


交換。


配置。


流れ。


定跡。


戦術。


戦略。


思想。


歴史。



情報が流れ込む。



NOESIS起動。


対象解析開始。


将棋。


推定成立年代。


戦略構造。


勝率理論。


棋譜解析。


最適化開始。



(面白いな)



蓮は初めてそう思った。




その様子を。


月乃瀬澄華は遠くから見ていた。



お茶を配りながら。


静かに。



八咫鏡の感応。


月花鏡読心術。



瞳が白銀に輝く。



そして。


次の瞬間。



澄華の手が止まった。



(え……?)



神崎蓮の心を読もうとして。


理解できなかった。



思考ではない。



情報だった。



膨大。


無限。


濁流。



盤面一つに対して。


数千。


数万。


数十万。



未来が展開している。



(何……これ……)



冷たい汗が流れる。



(神崎くん……)



(将棋を覚えてるんじゃない)



(解析してる)




三十分後。



「参りました」


「参りました」


「参りました」



脱落者が続く。



三十人いた参加者は。


五人になっていた。



「いやぁ」


初老の男性が笑う。


「さすが白河先生だ」



「隙がまったくない」



皆が頷く。



それほどまでに。


白河智史は強かった。




「因幡くん」



白河が立ち止まる。



「君は思ったより粘るね」



一手。



静かに駒が置かれる。



剛が盤面を見る。



数秒。



十秒。



二十秒。



そして。


豪快に笑った。



「あーっ!!」



頭を掻く。



「そこかよ!!」



「参った!!」



白河は満足そうに頷く。



「良い将棋だったよ」



剛は立ち上がる。



「大したもんだぜ」



振り返る。



「なぁ蓮?」



神崎蓮は盤面を見ていた。



白河智史も。


初めて足を止める。



蓮の盤面だけが。


まだ終わっていない。



静寂。



「そうだな」



蓮は言う。



「名人というのは――」



右目が微かに青く光る。



「本当に大したものだ」



その言葉を聞きながら。


月乃瀬澄華は震えていた。



彼女だけが知っていた。



神崎蓮が。


負け筋ではなく。



勝ち筋を見ていることを。



(まさか……)



(神崎くん……)



(あなた……本当に将棋初心者なの……?)



神社の外で。


風鈴が鳴った。



静かに。


盤上の戦争が始まろうとしていた。

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