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NOESISーノエシスー  作者: 月乃瀬
第四章 ー双生陰陽師編ー
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第九話 両面宿儺

毒龍の爪が、空を裂いた。


武振熊は両剣薙刀を横へ構え、その一撃を受け止める。


轟音。


足元の岩盤が砕けた。


「ぐっ……!」


長い鉤爪が刃を滑り、武振熊の左腕を深く抉る。


黒い装束が裂け、鮮血が散った。


武振熊は歯を食いしばり、後方へ跳ぶ。


左腕が動かない。


それでも両剣薙刀を右手一本で支え、毒龍の前へ立ち続けた。


「武振熊!」


朱童が叫ぶ。


毒龍は苦しげに咆哮した。


翼が羽ばたくたび、毒の瘴気が嵐となって吹き荒れる。


滝の水は腐り。


岩肌は溶け。


徐福の毒避けの札も、すでに黒く焦げ始めていた。


「長くは保たぬ!」


徐福は杖を地面へ突き立てた。


毒龍の傷は、何度斬っても塞がる。


朱童の炎も。


白夜の氷も。


武振熊の刃も。


黒龍の呪いが、そのすべてを塗り潰していく。


徐福は目を閉じた。


迷いは、一瞬だった。


「……これでは、仕方あるまい」


その言葉を聞き。


朱童と白夜の表情が変わる。


徐福は二人を見た。


「朱童」


「白夜」


「背を合わせよ」


朱童が息を呑む。


「爺、本当にやるのか」


「あれは、まだ完成していないのでは?」


白夜も不安げに問う。


「完成した術など、この世にはない」


徐福は笑った。


「あるのは、使うべき時に使えるかどうかじゃ」


毒龍が再び口を開く。


毒々しい緑の光が集まっていく。


「急げ!」


朱童と白夜は走った。


互いに背を向け。


背中を重ねる。


朱童の身体から赤い炎が立ち上り。


白夜の足元には、淡い水の輪が広がった。


二人は同時に手印を結ぶ。


徐福の声が響く。


「天よ」


朱童が唱える。


「地よ」


白夜が続く。


「光よ」


「闇よ」


赤と白。


二つの呪力が、双子の周囲を巡り始める。


「陽は日に」


「陰は月に」


朱童の背後へ、燃える太陽が浮かぶ。


白夜の背後には、冷たい月が現れた。


火と水。


光と闇。


天と地。


決して交わらぬものが。


双子の背中を境に、一つの輪へ変わっていく。


「鬼道陰陽術奥義――」


二人の声が重なった。


「両面宿儺・陰陽反転術!」


太陽と月が回転する。


赤と白の陰陽輪が巨大化し。


滝壺全体を覆った。


毒龍が毒の奔流を吐き出す。


だが。


陰陽の輪は、それを受け止めるのではない。


反転させた。


毒は薬へ。


怒りは悲しみへ。


呪いは祈りへ。


黒龍の力によってねじ曲げられたものを、本来あるべき姿へ戻していく。


「やめろ……!」


毒龍が翼を振り回す。


巨大な爪で輪を引き裂こうとする。


しかし陰陽輪は形を変え、幾重もの光の帯となってその身体へ絡みついた。


黒い瘴気が、鱗の隙間から引き剥がされていく。


毒龍は吠えた。


怒りではない。


何百年もの苦痛を吐き出すような声だった。


やがて。


黒緑色だった鱗から毒が消え。


腐り落ちた翼に、青白い光が戻る。


濁っていた瞳が澄んでいく。


そこに現れたのは。


毒龍ではなかった。


滝と水を守り続けた。


一柱の龍神だった。


龍神は静かに双子を見た。


「……我を、戻したか」


朱童と白夜は術を解き、その場へ膝をついた。


二人とも、立っている力さえ残っていない。


龍神は自らの身体を見下ろした。


毒は消えた。


だが。


黒龍に操られていたとはいえ。


多くの命を奪った事実までは消えない。


「我は罪を犯した」


龍神は言った。


「この身は、あまりに穢れた」


徐福が前へ出る。


「龍神よ」


「黒龍に侵されたゆえのことじゃ」


「それでも」


龍神は首を横へ振った。


「毒を流したのは、我だ」


「憎しみを受け入れたのも、我だ」


そして。


武振熊を見た。


「そこの武人」


武振熊は傷ついた左腕を押さえたまま、顔を上げる。


「我が正気を保てるのは、僅かな時だけ」


龍神は長い首を垂れた。


「今のうちに」


「我が首を刎ねよ」


沈黙。


滝の音だけが響く。


武振熊の右手が震えた。


敵を斬ることに、迷ったことはない。


大王の命を受け。


人を守るため。


幾つもの命を断ってきた。


だが。


今、目の前にいるのは怪物ではない。


救われた神だった。


「龍神よ」


武振熊は両剣薙刀を握り直す。


「俺は」


「あなたの苦しみを」


「あなたの悲しみを」


「決して忘れぬ」


龍神は静かに目を閉じた。


「それでよい」


武振熊は地を蹴った。


高く。


滝よりも。


龍神の頭上よりも高く飛び上がる。


両剣薙刀が朝日を受け。


白銀の弧を描いた。


「その願い」


「承ろう!」


一閃。


龍神の首が。


静かに胴を離れた。


血は出なかった。


青白い光となり。


滝壺へ降り注いだ。


腐っていた水が澄んでいく。


浮かんでいた魚も。


枯れていた植物も。


すぐには戻らない。


それでも。


水は再び、命を育てるものへ変わった。


武振熊は地面へ降り立つ。


両剣薙刀を下ろし。


長く、息を吐いた。


「これで俺も」


「神殺しになってしまったのか」


笑おうとした。


だが。


笑えなかった。


「いい気分ではないものだ」


徐福は龍神の亡骸へ近づいた。


その周囲には。


引き剥がされた黒い瘴気の欠片が漂っている。


やがて一つに集まり。


地面へ落ちた。


黒い鱗。


徐福は、それを見つめる。


「なんと禍々しい……」


触れようとはしなかった。


ただ。


杖の先で結界を張り、その内側へ封じ込める。


「龍神よ」


「せめて、安らかに眠ってくれ」



村人たちは。


壊した祠を、一から建て直した。


石を運び。


木を削り。


泥を落とし。


滝のほとりを、何度も掃除した。


新しい祠の前で。


人々は手を合わせた。


かつて石を投げた者も。


龍神を呪い神と呼んだ者も。


涙を流し。


頭を下げた。


「申し訳なかった」


「どうか」


「どうか、お許しください」


徐福は、その姿を見ながら杖で地面を叩いた。


「今度は怠るでないぞ!」


村人たちが顔を上げる。


「龍の祟りは恐ろしいからのう!」


冗談めかした言葉だった。


けれど。


誰も笑わなかった。


村人たちは、深く頷いた。


その後。


朱童と白夜の前へ集まる。


「宿儺様」


「我らを、お救いくださった宿儺様」


双子へ向かい。


次々に手を合わせた。


朱童は困った顔で徐福を見る。


「なあ、爺」


「なんじゃ」


「宿儺って、なんだ?」


白夜も首を傾げる。


「術式にもありました」


徐福は髭を撫でた。


少し考え。


穏やかに笑う。


「神様のように、ありがたい存在ということじゃよ」


「みな、おぬしら双子を敬っておる」


朱童は照れくさそうに鼻を擦る。


「神様ってほどじゃないけどな」


「朱童は調子に乗ります」


「白夜も一緒だろ」


徐福は二人を見つめた。


赤と白。


太陽と月。


相反する力を持ちながら。


互いがいなければ、完成しない子供たち。


「おぬしらは」


「わしなど、あっという間に追い抜いていく」


その声は誇らしげだった。


同時に。


どこか寂しそうでもあった。


「二人で」


「立派な道士になるのじゃぞ」


朱童が笑う。


「当たり前だろ!」


白夜も微笑んだ。


「徐福爺に、たくさん教えてもらいます」


徐福は頷こうとした。


だが。


次の瞬間。


「ごほっ――」


激しく咳き込んだ。


口元を押さえる。


掌に。


赤いものが滲んだ。


「爺?」


朱童の笑顔が消える。


徐福の膝から力が抜けた。


白夜が手を伸ばす。


「徐福爺!」


けれど。


届くより早く。


徐福の身体は、地面へ崩れ落ちた。


新しく建てられた祠の向こう。


封じられた黒い鱗が。


一度だけ。


脈打った。

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