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NOESISーノエシスー  作者: 月乃瀬
第四章 ー双生陰陽師編ー
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第一話 鬼の子

八王子での戦いから、数日が過ぎた。


平将門。


菅原道真。


崇徳天皇。


村雨響香。


黒龍に侵された四人は、それぞれの因縁から解放された。


しかし。


すべてが終わったわけではない。


むしろ。


ようやく、始まったのだ。


黒龍とは何なのか。


なぜ、人の憎しみを喰らうのか。


そして。


なぜ、徐福はそれを己の内へ宿したのか。


その答えを知るため。


蓮たちは、山深い地を訪れていた。


杉木立の奥。


苔むした石段を登った先に、古い社がある。


鳥居は巨大だった。


赤くもなく。


朱でもなく。


長い歳月に晒され、黒ずんだ木の色をしている。


その前に。


一人の男が立っていた。


背丈は二メートルに届こうかというほど高い。


肩幅は広く。


腕は丸太のように太い。


年の頃は五十前後。


長い黒髪には、わずかに白いものが混じっている。


太い眉。


深く落ちくぼんだ眼。


そして。


何よりも目を引くのは、顔の中央にある大きな鼻だった。


人の道を照らす神。


猿田彦大神の血を継ぐ者。


椿家当主。


椿玄道。


玄道は腕を組んだまま、蓮たちを静かに見下ろしていた。


その視線に敵意はない。


だが。


まるで、魂の奥底まで見透かされているようだった。


安倍天明は、玄道の姿を見た瞬間。


いつもの笑顔を、わずかに引きつらせた。


「……相変わらず、でかい鼻してはりますなぁ」


玄道は答えない。


天明は咳払いをした。


「いやぁ、褒めてますねんで?」


沈黙。


鳥の声すら聞こえない。


剛が天明へ顔を寄せる。


「お前、あいつ苦手なのか?」


「苦手やない」


「めちゃくちゃ目ぇ逸らしてるぞ」


「相性の問題や」


玄道が、ゆっくりと口を開いた。


「安倍の小僧」


低い声だった。


地の底から響くような。


それでいて、不思議なほど落ち着いた声。


「口が増えたな」


天明の笑顔が固まる。


「昔から、よう喋る子でしたやろ」


「昔から、黙るべき時に喋る子であった」


「……はい」


剛は吹き出しそうになるのを必死で堪えた。


煌は無言で顔を背けている。


蓮は玄道を観察していた。


『霊子反応を検出』


『対象個体――解析不能領域を複数確認』


NOESISの声が響く。


玄道は蓮の青い右目を一度だけ見た。


そして。


その隣に立つ澄華へ視線を移した。


「鏡の巫女よ」


澄華は静かに頭を下げる。


「はい」


天明は一歩前へ出た。


今度は、冗談を口にしなかった。


「椿はん」


「黒龍とは、何なんです?」


玄道は答えない。


天明は続けた。


「人の憎しみが集まったもんやということは、分かってます」


「せやけど」


「それが、いつ生まれたのか」


「どうして徐福と繋がったのか」


「なぜ、両面宿儺という存在が歴史から消されたのか」


風が吹いた。


杉の葉が揺れる。


玄道は、社の奥へ視線を向けた。


「答えを聞けば」


「戻ることはできぬぞ」


蓮が問う。


「何に対してですか」


玄道は答える。


「おぬしらが信じてきた、日本の歴史に対してじゃ」


その言葉に。


誰も何も返せなかった。


玄道はゆっくりと社へ歩き始める。


蓮たちは、その後に続いた。


社殿の中には、何もなかった。


御神体も。


祭壇も。


灯明すらない。


ただ。


広い板の間だけが続いている。


玄道は中央へ座った。


「黒龍の始まりを語るには」


「まず、一人の男の始まりを語らねばならぬ」


「一人の男?」


剛が聞く。


玄道は頷いた。


「徐福」


その名が響いた瞬間。


空気が僅かに重くなった。


玄道は澄華を見る。


「鏡の巫女よ」


「この真実の答えを」


「常世より、現世へ映し出すのじゃ」


澄華はゆっくりと目を閉じた。


白銀の光が、その身体を包む。


八咫鏡が。


胸元で静かに輝いた。


「月読命」


「どうか、過ぎ去りし時の記憶を」


「真実の姿のまま」


「この世界へ」


澄華の両眼が開く。


白銀の瞳。


「――月花鏡・明鏡止水」


瞬間。


世界から色が消えた。


床も。


柱も。


天井も。


すべてが銀色の鏡へと変わっていく。


蓮たちの足元に波紋が広がる。


まるで、水面の上に立っているようだった。


やがて。


鏡の世界に、一つの風景が浮かび上がる。


果てしなく連なる山々。


深い霧。


鬱蒼とした森。


現代の地図から切り離されたような。


古い日本の姿。


玄道の低い声が、鏡の世界へ響いた。


「あれは」


「徐福が、この国へ渡来してより」


「数十年が経った頃のことじゃ」


鏡の中に、一人の男が現れる。


長い髪。


旅装束。


手には竹簡と杖。


まだ黒い衣も。


異様な仙気も纏っていない。


ただ。


疲れ果てた、一人の老人だった。


「徐福は、秦の始皇帝より命を受けた」


「不老不死の秘薬を探し出せとな」


「海を渡り」


「この国へ辿り着いた徐福は」


「日本全土を旅した」


薬草を調べ。


星を読み。


土地を測り。


病人へ薬を与え。


人々へ文字を教える。


農具の作り方を伝え。


大陸の智慧を惜しみなく分け与える。


鏡に映る徐福は、人々から感謝されていた。


子どもたちに囲まれ。


穏やかに笑っていた。


蓮は僅かに眉を動かした。


彼らが知る徐福とは。


あまりにも違っていた。


「徐福は」


「初めから、悪しき者ではなかった」


玄道は言う。


「海を越えてきた自らを受け入れたこの国へ」


「恩を返そうとしておった」


「じゃが」


「人の命には、限りがある」


年月は徐福の身体を蝕んだ。


黒かった髪は白くなり。


背は曲がり。


杖なしでは歩けなくなっていく。


始皇帝へ帰ることもできず。


不老不死の秘薬を見つけることもできず。


使命だけを背負ったまま。


徐福は老いた。


そして。


旅の果てに。


飛騨の地へ辿り着いた。


山奥にある、小さな集落。


村人たちが。


石を投げている。


罵声を浴びせている。


その中心に。


二人の幼い子どもがいた。


男の子と。


女の子。


双子だった。


男の子は、朱色の髪をしていた。


短く乱れた髪の間から。


小さな黒い角が、二本伸びている。


肌は人より褐色で。


瞳は燃える炭のような赤。


身体には、獣の爪で引き裂かれたような傷が無数に残っていた。


それでも。


男の子は泣かなかった。


自らの身体で。


背後の少女を守っていた。


少女は、雪のように白い髪をしていた。


腰まで伸びた長い髪。


その額には。


白く透き通る、小さな一本角。


肌は青白く。


瞳は夜明け前の空のような淡い青。


痩せた身体を震わせながら。


兄の衣を強く掴んでいる。


二人とも。


人とは違う姿をしていた。


人にはない力を持っていた。


だからこそ。


恐れられた。


嫌われた。


鬼と呼ばれた。


「消えろ!」


「化け物め!」


石が飛ぶ。


男の子の額に当たり。


血が流れた。


その時。


徐福が、二人の前へ立った。


「やめよ」


老いた声だった。


だが。


村人たちは動きを止めた。


徐福は地面へ落ちた石を拾う。


そして。


静かに村人たちへ問いかけた。


「この子らが」


「おぬしらに、何をした」


誰も答えない。


「生まれた姿が違うというだけで」


「石を投げるのか」


「それが」


「人のすることか」


徐福は杖を置き。


男の子の前へ膝をついた。


懐から布を取り出し。


血の流れる額へ、そっと当てた。


男の子は警戒しながら。


徐福を睨みつけていた。


「名は」


男の子は答えない。


徐福は少女を見る。


「おぬしの名は?」


少女も。


小さく首を振った。


二人には。


名前がなかった。


鬼に。


名前など必要ない。


そう言われて育った。


徐福は、しばらく二人を見つめていた。


そして。


男の子の朱色の髪へ手を置く。


「おぬしは、朱童」


次に。


白い髪の少女へ視線を移す。


「おぬしは、白夜」


少女の青い瞳が、僅かに揺れた。


「しゅ……どう」


男の子が。


初めて、その名を口にする。


「びゃく……や」


少女も続いた。


それは。


二人が生まれて初めて与えられたものだった。


力ではない。


役目でもない。


呪いでもない。


ただ。


誰かに呼んでもらうための名前。


徐福は、二人へ手を差し出した。


「来るがよい」


「わしが」


「おぬしらに、この世界のことを教えよう」


「文字を」


「学問を」


「星の読み方を」


「そして」


「その力の使い方を」


朱童は差し出された手を睨んでいた。


白夜が。


兄の袖を引く。


やがて。


朱童は恐る恐る。


徐福の手を握った。


その日。


不老不死を求めて海を渡った老人と。


名もなき鬼の双子が出会った。


それは。


家族の始まりだった。


同時に。


二千年に及ぶ悲劇の。


最初の一日でもあった。

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