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NOESISーノエシスー  作者: 月乃瀬
第三章ー八王子怨霊編ー
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第九話 届かなかった祈り

暗闇だった。


どこまでも。


果てしなく。


黒い世界。


その中心で、一人の男が静かに座っている。


白髪。


痩せた身体。


深く刻まれた皺。


その瞳には、怒りではなく。


どうしようもない悲しみだけが残っていた。


――崇徳天皇。


いや。


まだ。


この頃の余は、大魔縁などではなかった。



幼い頃から。


余の声を聞く者はいなかった。


誰もが。


余ではなく。


余の血筋を見た。


余ではなく。


余の立場を見た。


余ではなく。


余という駒を見た。


「こちらへ。」


「こちらへ。」


そうして。


気が付けば。


余は帝となり。


気が付けば。


余は戦の旗印となっていた。


余は望んではおらなんだ。


争いなど。


誰も傷付いてほしくなどなかった。


それでも。


多くの者が。


余のために剣を取り。


余のために命を落とした。


その血は。


今も忘れられぬ。



敗れた。


余は敗れた。


帝の血を引く者でありながら。


流された。


遥か讃岐の地へ。


京の空は。


二度と見ることは叶わぬ。


誰もいない。


風だけが吹いていた。



余は。


髪を落とした。


名誉も。


執着も。


すべて捨てようと思った。


仏の教えを学び。


朝には経を読み。


夜には筆を執る。


一文字。


また一文字。


余のために死んでいった者たちへ。


この国へ。


京の都へ。


そして。


名も知らぬ民たちへ。


せめて安らぎがありますようにと。


願い続けた。


一年。


二年。


筆は止まらなかった。


指は墨に染まり。


爪は割れ。


肩は上がらなくなっても。


余は書き続けた。


これは。


余の贖罪だった。


余にしかできぬ。


最後の祈りだった。



ある日。


一人の男が訪れた。


黒い装束。


静かな微笑み。


「見事なお経にございます。」


男は深く頭を下げた。


「八咫烏大長老、徐福にございます。」


「これほどの祈り。」


「朝廷もきっと、お心を動かされましょう。」


「この徐福。」


「命に代えましても。」


「必ず京へ届けてまいります。」


余は。


心から安堵した。


ようやく。


ようやく。


帰れるのかもしれぬ。


京へ。


もう一度だけ。



数か月後。


徐福は戻ってきた。


その顔は。


あまりにも暗かった。


「……どうした。」


「徐福。」


「都へは。」


「届けてくれたのであろう。」


徐福は答えない。


ただ。


静かに震えていた。


「畏れながら……。」


「なんとか。」


「朝廷へお届けいたしました。」


「しかし……。」


言葉が止まる。


「申せ。」


「……呪いである、と。」


「呪詛である、と。」


「恐れられました。」


余は。


何を言われたのか。


理解できなかった。


「一文字も。」


「読まれることなく。」


「返されてしまいました。」


静寂。


「その噂は。」


「京中へ広がっております。」


「崇徳上皇は。」


「帝も。」


「民も。」


「皆殺しにする呪いをかけておる、と。」


徐福は地に額をつけた。


「この徐福。」


「力及ばず。」


「申し訳ございませぬ……!」


涙が。


石畳へ落ちる。


余は。


返す言葉を失った。


やがて。


震える声で。


ようやく呟く。


「……そなたの。」


「せいではない。」


「徐福。」


「よく。」


「やってくれた。」


だが。


胸の奥で。


何かが。


音を立てて壊れた。


「余の……。」


「祈りが。」


「呪い……。」


「だったというのか。」


その場へ崩れ落ちる。


指が地を掻く。


爪が剥がれる。


涙は。


いつしか。


赤く染まっていた。


「悔しい。」


「悔しい。」


「悔しい……!」


「何故だ。」


「余は。」


「ただ。」


「祈っただけではないか。」


「何故。」


「誰も。」


「余の声を。」


「聞いてはくれぬのだ。」


その叫びだけが。


讃岐の空へ。


虚しく響いていた。


――その夜。


誰も知らぬところで。


闇が。


静かに近づいていた。

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