第五話 刀剣鬼
低く響くエンジン音が、夜の静寂を裂いた。
月明かりの下。
一台の黒いバイクが、因幡組道場の門前で静かに止まる。
ヘルメットを外した女は、長い水色の髪を風になびかせながら空を見上げた。
赤い瞳だけが、月よりも冷たい。
その姿は、美しい。
けれど、その美しさは刃そのものだった。
因幡組の組員たちが次々と外へ飛び出してくる。
十人ほど。
木刀を手に、女を取り囲んだ。
「おい姉ちゃん。」
「ここがどこかわかってんのか?」
女は一度だけ笑った。
「――あぁ。」
「わかっているとも。」
ゆっくりと道場を見上げる。
「今ではすっかり弱くなった因幡組の残党どもの隠れ家。」
「ヤクザの真似事などして。」
「実にしぶとい。」
空気が凍る。
組員の一人が怒鳴った。
「てめぇ……何者だ!」
女は静かに答えた。
「八咫烏暗殺部隊隊長。」
一拍。
「――村雨響香。」
その名を聞いた瞬間。
組員たちの顔色が変わった。
「まさか……!」
「『刀剣鬼』……!」
女は肩をすくめる。
「そう呼ばれているらしいな。」
その騒ぎを聞きつけ、道場の扉が開いた。
黒い作務衣。
熊のような巨体。
薄いサングラス。
口髭をたくわえた男が姿を現す。
因幡豪。
その後ろには剛もいた。
豪は村雨を見るなり顔をしかめる。
「……その顔。」
「忘れるものか。」
「出雲で何十人もの仲間を斬った女。」
「貴様が『刀剣鬼』か。」
村雨は懐かしそうに笑う。
「そうだったな。」
「出雲の兵は、あまりにも弱かった。」
そして。
その笑みだけが消える。
「――だが。」
「因幡小次郎。」
「あの男だけは別格だった。」
「私は、あいつだけは許さない。」
組員たちは木刀を構えた。
「やれぇぇぇ!!」
村雨は静かに腰へ手を添える。
二本。
二本の刀が月光を映した。
豪の表情が変わる。
「……その刀。」
「まさか。」
「雷切……!」
村雨は嬉しそうに笑う。
「あのジジイが死んだあと。」
「徐福長老から頂いた。」
豪の目が見開かれる。
「あり得ん……!」
「雷切は継承者しか扱えぬ刀のはず!」
「黒龍の力とは便利なものだ。」
村雨は刀身を撫でる。
「まだ私を認めてはおらん。」
「因幡の血でも吸わせれば。」
「少しは機嫌を直すかもしれんな。」
剛が一歩前へ出る。
「お前!」
「八王子にいるんじゃねぇのか!」
「いたさ。」
「だが私は怨霊ではない。」
「生きた人間だ。」
「結界など、抜けようと思えば抜けられる。」
豪が日本刀を抜く。
「それで。」
「何をしに来た。」
村雨は当然のように答えた。
「因幡小次郎の奥義。」
「電光石火雷切。」
「あれを継承しようと思ってな。」
そして。
刀をゆっくり構える。
「まずは。」
「小手調べだ。」
「――かかってこい。」
十人の組員が一斉に飛び込んだ。
次の瞬間。
舞が始まる。
一閃。
また一閃。
紫電のような斬撃だけが夜を走る。
木刀が宙を舞う。
誰一人。
鍔迫り合いにすら持ち込めない。
数秒後。
十人全員が地面に倒れていた。
「安心しろ。」
「今日は殺しておらん。」
「少し痛めつけただけだ。」
豪は静かにサングラスを外した。
「剛。」
「しっかり見ておけ。」
「これが本物の剣士だ。」
「……ああ。」
村雨は豪を見る。
「お前が因幡の当主か。」
「小次郎に比べれば。」
「だいぶ格が落ちる。」
「だが。」
「相手くらいはしてやろう。」
豪が踏み込む。
鋭い三連撃。
村雨は紙一重で躱す。
まるで未来が見えているように。
「遅い。」
「遅すぎる。」
二刀が閃く。
豪は受ける。
火花が散る。
村雨が初めて笑った。
「ほう。」
「受けられたか。」
「他の雑魚よりはマシだ。」
豪は吠える。
「父さんにしか使えぬ技など知らん!」
「俺は俺の剣を鍛えてきた!」
三段突き。
喉元を捉えた。
――はずだった。
村雨は上半身だけを反らす。
紙一重。
三撃目も。
紙一重。
「では。」
「こちらからだ。」
「村雨流――」
「二刀十連撃。」
月夜に花が咲く。
そう見えた。
十の斬撃。
舞のように美しい。
そして。
豪の身体が吹き飛んだ。
「ぐっ……!」
血が畳へ落ちる。
「急所は外した。」
「今日は小手調べだからな。」
村雨はつまらなそうにため息をつく。
「因幡も。」
「ここまで弱くなったか。」
「強かったのは。」
「あのジジイだけだったな。」
その瞬間。
剛が前へ出る。
「ふざけんな!!」
「この因幡にはな!」
「俺がいるんだよ!!」
村雨は初めて興味を示した。
「ほう。」
「目だけは。」
「あのジジイに似ている。」
「だが。」
「チンピラボクサーにも負けたそうじゃないか。」
「話にならん。」
剛は睨み返す。
「金城レオは悪党だ!」
「けどボクシングは本物だった!」
村雨は鼻で笑う。
「オリンピック?」
「あんなものは遊びだ。」
「私はあやつに十連撃を見せたあと。」
「右腕を落とすと言った。」
「泣いて土下座していたぞ。」
剛の拳が震える。
「……だから。」
「金城は。」
「あんなふうになったのか。」
「利用価値がなくなったから処理した。」
「それだけだ。」
沈黙。
剛の瞳に怒りが宿る。
「人の夢を奪って。」
「捨てるだけか。」
「俺がお前を倒す。」
村雨は笑った。
「その目。」
「嫌いではない。」
懐から一枚の地図を取り出し。
剛へ放る。
「一週間。」
「鍛えてこい。」
「八王子で待つ。」
「少しは楽しませてくれ。」
そう言い残し。
村雨響香は再び黒いバイクへ跨った。
爆音。
夜風。
水色の髪が月光を裂いて消えていく。
豪は崩れ落ちた。
「……父さん。」
「やはり。」
「あんたには届かなかった。」
そのまま意識を失う。
「親父!!」
剛の叫びだけが。
静まり返った因幡組の夜に響き続けていた。




