第十五話 黒龍
恐怖は、身体より先に心を縛る。
徐福の姿を見た瞬間。
神崎マリアは、十三歳のあの日へ引き戻されていた。
燃え落ちる社。
倒れた父。
母の叫び。
血。
炎。
そして。
黒衣の男。
「……徐福。」
足が動かない。
息ができない。
身体が震える。
恐怖とは記憶だった。
⸻
「マリアッ!!」
青鬼を叩き伏せた緋沙良が振り返る。
そこに立っていた。
黒衣の男。
「いつの間に……!」
韋駄天ですら追いつけなかった。
神速。
いや。
あれは速度ではない。
“そこにいる”という結果だけが存在していた。
⸻
「早さを操れるのは。」
徐福が静かに微笑む。
「お前だけではない。」
右腕がゆっくり持ち上がる。
「──黒龍。」
解放。
世界が黒く染まる。
右腕から溢れた闇が龍となって渦巻き、
戦場そのものを飲み込んでいく。
誰も息を吸えない。
神々ですら嫌悪するような瘴気。
二千年積み重ねた憎悪。
怨念。
呪い。
そのすべてが黒炎となって形を成した。
⸻
「終わりだ。」
徐福の右腕が。
音もなく、
緋沙良の胸を貫いた。
「────ッ!!」
声にならない。
熱い。
違う。
熱ではない。
魂そのものが燃えている。
肉体。
精神。
記憶。
希望。
すべてが黒炎に焼かれていく。
「たっぷり味わうがいい。」
徐福は冷たく言った。
「黒龍とは、この世の憎悪そのもの。」
「魂まで焼き尽くす炎だ。」
「ぐああああああああッ!!」
⸻
それでも。
緋沙良は笑った。
「……これで。」
身体を無理矢理ひねる。
回転。
遠心力。
円月斬。
渾身の蹴りが徐福の首へ炸裂する。
「首の骨は……もらったぜ!」
鈍い音。
首が折れた。
誰もがそう思った。
しかし。
ゴキ。
ゴキ。
ゴキゴキゴキ……
徐福の首が元へ戻る。
「……わしには。」
「物理は効かぬ。」
⸻
「ふざけんなァ!!」
神有月。
発動。
「毘沙門天!」
黄金の拳。
蹴り。
連撃。
一撃ごとに山が揺れる。
しかし。
傷一つ付かない。
徐福は一歩も動かなかった。
緋沙良の身体から力が抜ける。
胸には巨大な穴。
立っていることすら奇跡だった。
⸻
(勝てねぇ。)
(それでも。)
(マリアだけは。)
緋沙良は飛びついた。
右腕を両腕で極める。
腕ひしぎ。
全身の骨が悲鳴を上げる。
「小次郎ーーーーッ!!」
「今だ!!」
「腕を斬れぇぇぇぇ!!」
⸻
小次郎は赤鬼と鍔迫り合いをしていた。
その叫びを聞く。
迷わない。
赤鬼へ背を向けた。
「……!」
その瞬間。
双剣薙刀が背中を貫く。
鮮血。
それでも止まらない。
「雷切。」
刀を天へ掲げる。
空が鳴る。
雷雲が裂ける。
稲妻が落ちた。
身体へ。
足へ。
大地へ。
その反動。
電光石火。
世界が置き去りになる。
雷より速く。
小次郎は徐福の目前へ現れた。
「これが……」
「雷切じゃ。」
一閃。
雷を帯びた刃が。
徐福の右腕を切り飛ばした。
黒い腕が宙を舞う。
徐福の顔から初めて笑みが消える。
⸻
「……見事。」
しかし。
小次郎はもう立てなかった。
赤鬼の一撃は深すぎた。
雷を受けた代償も重い。
膝をつく。
「マリア……。」
「生きろ……。」
そのまま、
静かに倒れた。
⸻
「ノエシス!!」
緋沙良が叫ぶ。
「頼む!」
「マリアを連れて逃げろ!!」
ノエシスは一瞬だけ沈黙した。
『……了解。』
ホバーバイクが起動する。
呆然と立ち尽くすマリアを抱え、
自動運転で夜空へ飛び立った。
誰よりも速く。
徐福軍の包囲を突破していく。
⸻
それを見届けて。
緋沙良は微笑んだ。
「頼んだぜ……。」
「蓮。」
その身体から、
力が抜けた。
燃え尽きるように、
静かに倒れる。
⸻
徐福は切り落とされた右腕を見つめていた。
傷は塞がらない。
雷切。
神速の一刀。
二千年で初めて負った傷だった。
「……よい。」
「目的は果たした。」
出雲王は死に、
王朝は崩壊した。
十分だった。
徐福は踵を返す。
「退却。」
百鬼夜行は闇へ溶ける。
そして。
長く続いた出雲王朝は、
この夜、
終焉を迎えた。




