第十一話 花火
祭囃子が少しずつ遠ざかっていく。
盆踊りも終わりを迎え、人々は屋台の灯りを惜しむように歩いていた。
「マリア、こっちだ。」
突然、緋沙良が手を掴む。
「えっ、ちょ、ちょっと!」
そのまま人混みを抜け、神社の裏山へと駆け出した。
夜風が浴衣の袖を揺らす。
木々の間を縫う細い山道。
月明かりだけが二人の足元を照らしていた。
「いったいどこへ行くのよ!」
「まぁまぁ、もう少しだから!」
振り返る緋沙良は、子どものように笑っている。
その笑顔につられて、マリアも思わず笑ってしまった。
しばらく登ると、急に視界が開けた。
山頂近くの小さな空き地。
誰もいない。
祭りの喧騒だけが遠くから微かに聞こえてくる。
「……着いた。」
緋沙良が息を整えながら空を見上げた。
その瞬間だった。
――ヒュゥゥゥ……
夜空へ一本の光が昇る。
そして。
ドォン――!!
色鮮やかな大輪の花が、夜空いっぱいに咲いた。
赤。
青。
金。
紫。
次々と夜空を彩る花火。
山の上だからこそ見渡せる、出雲中の夜景。
「……わぁ。」
マリアは思わず息を呑んだ。
「すごい……。」
「だろ?」
緋沙良は少し誇らしそうに笑う。
「ここが俺だけの穴場なんだ。」
「毎年ここから見てる。」
近くには、ちょうど腰を掛けられる大きな岩があった。
二人は並んで腰を下ろす。
花火は次々と夜空へ咲き続ける。
マリアは、その光を見つめながら、ふと熊野での日々を思い出していた。
父と母。
神社の石段。
境内から見上げた夏の夜空。
家族三人で笑いながら見た花火。
胸の奥が少しだけ熱くなる。
涙が滲みそうになった。
けれど、その時だった。
「マリア。」
優しい声が聞こえた。
隣を見ると、緋沙良が立ち上がっていた。
夜風が青い髪を揺らしている。
花火の光が横顔を照らす。
その表情は、いつもの無邪気な笑顔ではなかった。
まっすぐだった。
真剣だった。
「これからもさ。」
「ずっと二人で花火を見られるといいな。」
マリアの鼓動が少しだけ速くなる。
出雲へ亡命して四年。
生き延びることだけを考えてきた日々。
泣いていた時も。
笑えなかった時も。
緋沙良はいつも隣にいてくれた。
いつの間にか、それが当たり前になっていた。
でも。
その”当たり前”は、いつからこんなにも大切になっていたのだろう。
「……これからもって。」
マリアは小さく笑う。
「どれくらい?」
緋沙良は少し照れくさそうに頭をかいた。
そして照れ隠しをやめるように、一歩前へ出る。
「死ぬまで。」
少し間を置いて続けた。
「ずっと一緒にいてほしい。」
「俺がお前を守る。」
「絶対に死なせない。」
その言葉には、一片の迷いもなかった。
緋沙良は静かに右手を差し出す。
花火の光が、その手を優しく照らしていた。
マリアは少しだけ俯く。
頬が熱い。
心臓の音が、自分でも聞こえそうだった。
やがて。
小さく微笑む。
「……うん。」
その一言だけだった。
そっと手を重ねる。
二人の指先が触れ合う。
その瞬間。
夜空いっぱいに、この日一番大きな花火が咲いた。
――ドォォォン!!
金色の光が、世界を昼のように照らす。
その光の中で見えた緋沙良の横顔は、どこまでも優しかった。
マリアはその横顔から目を離せなかった。
(この時間が、ずっと続けばいい。)
そんな願いを胸に抱きながら。
二人は最後の花火が夜空に溶けていくまで、何も言わず並んで見つめ続けていた。




