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NOESISーノエシスー  作者: 月乃瀬
NOESIS覚醒編
2/19

第二話  因幡剛

 人は、変化を恐れる。


 昨日まで普通だったものが、

 今日も同じように存在していると信じている。


 それは幸福ではない。


 ただの惰性だ。


 世界は本来、

 一秒ごとに崩壊し続けている。


 気づかないのは、

 人間の認識能力が脆弱だからに過ぎない。



 母の死から七日。


 神崎蓮は、自分の中に存在する“異物”に慣れ始めていた。


 いや。


 慣れるしかなかった。


 脳の奥で、常に何かが演算している。


 視界へ映るすべてを、

 NOESISは分解し、解析し、定義していく。


 人の歩幅。


 呼吸。


 筋肉の動き。


 瞳孔反応。


 血流。


 感情変化。


 世界そのものが、

 巨大な数式へ変換されていく。


(……うるさい)


 蓮は思う。


 静寂が失われた。


 母が死んだあの日から、

 世界は“情報”で満ちすぎている。



 教室へ入った瞬間、

 数十人分の視線が流れ込んできた。


 好奇心。


 憐憫。


 恐れ。


 無関心。


 感情とは電気信号だ。


 そしてNOESISは、

 他人の内面すらノイズとして拾ってしまう。


「神崎、もう来たんだ」


 教師の声。


 蓮は軽く会釈し、席へ座る。


 その瞬間、

 脳内へ情報が流れ込む。


 教壇の軋み。

 チョークの摩耗率。

 教師の疲労。

 教室内温度。

 クラスメイトの心拍数。


(やめろ)


 思考した瞬間、

 ノイズが一段階静まる。


 だが完全には止まらない。


 NOESISは、

 既に蓮の脳と一体化し始めていた。



 四限目。


 数学の答案が返却される。


「……神崎」


 教師が妙な顔をしていた。


「お前、本当に自分で解いたのか?」


 返された答案には、赤字で100点と書かれている。


 クラスがざわめいた。


「え、神崎が?」

「カンニング?」

「ありえなくね?」


 蓮は答案を見る。


 そこには完璧な解答が並んでいた。


 美しいほど無駄がない。


 まるで機械が出力したみたいに。


 違う。


 実際、

 機械だった。


 NOESISが問題を解析し、

 最短思考で答えを構築し、

 身体へ出力した。


 神崎蓮は、

 ただ鉛筆を動かしただけだ。


(……俺は、本当に考えたのか?)


 その疑問に、

 答える者はいない。



 放課後。


 校門前の空気が、不自然に淀んでいた。


 視線を向ける。


 男がいた。


 金髪。


 鋭い目。


 猛獣みたいな重心。


 因幡剛。


 “暴力”という概念を人間へ落とし込んだような男だった。


 蓮は一瞬で理解する。


(強い)


 筋力ではない。


 殺意への耐性だ。


 この男は、

 痛みも恐怖も突破して前へ出る種類の人間。


 ある意味、

 もっとも“壊れにくい”。


「おい、神崎」


 剛が笑う。


「最近、お前変わったらしいな」


 その瞬間。


 NOESISが起動する。


 骨格分析。

 筋繊維密度。

 拳速予測。

 重心移動。

 呼吸周期。


 剛の身体情報が、

 瞬時に演算されていく。


(……嫌な感じだ)


 蓮は眉をひそめた。


 人間を見ている感覚じゃない。


 構造物を解析している感覚。


 それが何より怖かった。


「見せろよ」


 剛が蓮の胸倉を掴む。


「その“力”を」


「……戦う気はない」


「はっ」


 剛の拳が振り抜かれる。



 遅い。



 違う。


 人間なら見切れない。


 だがNOESISは、

 拳が動くより前に“結果”を予測していた。


 蓮の身体が動く。


 斜めへ流れる。


 最小動作。


 最短回避。


 そして。


 剛の腕へ触れた瞬間、

 脳内へ別の情報が流れ込む。


 ――合気道。


 ――重心操作。


 ――人体誘導。


 知らない。


 習ったこともない。


 なのに理解している。


 次の瞬間。


 剛の巨体が地面へ叩きつけられていた。



 沈黙。



 周囲の不良たちが息を呑む。


 だが。


 剛は笑っていた。


 地面へ倒れながら。


「……最高じゃねぇか」


 獣みたいな目だった。


 痛みより先に歓喜する目。


「もう一発だァ!!」


 再び拳が飛ぶ。


 NOESISが演算する。


 最適解を提示。


 敵対意思を最短で喪失させるには。


 小指破壊。


 拳機能停止。


 戦意低下率87%。


(……やめろ)


 蓮は拒絶する。


 だが身体は止まらない。


 NOESISは合理性を優先する。


 パキッ。


 乾いた音。


「ッ……!!」


 剛の顔が歪む。


 だが倒れない。


 むしろ笑う。


「いい……!

 それだ……!」


 痛みを快楽へ変換するみたいに。


 この男は、

 戦うことでしか他人を理解できない。



 次の瞬間。


 蓮の脳内へ、

 新たな“技術”が流れ込む。


 ――山嵐。


 柔道史における幻想。


 理論上存在し、

 現実では再現不可能とされた技。


 NOESISは告げる。


 成功率98.3%。


 蓮は踏み込む。


 剛の突進。


 重心。


 速度。


 筋肉。


 すべてがスローモーションになる。


 世界が止まる。


 いや。


 蓮だけが、

 世界より速く認識している。


「――ッ」


 空気が裂けた。


 剛の身体が宙を舞う。


 完全な山嵐。


 美しく、

 暴力的な軌道。


 だが。


 蓮は最後の瞬間、

 剛の後頭部を支えていた。


 殺さないために。



 轟音。



 静寂。



「……なんでだ」


 倒れたまま、

 剛が呟く。


「なんで……手ぇ抜いた」


 蓮は息を吐いた。


「壊したくなかった」


 それが本音だった。


 NOESISは合理的に破壊を選ぶ。


 けれど蓮は、

 まだ“人間”でいたかった。


 剛はしばらく黙り込み、

 やがて笑った。


「はは……」


 血を吐きながら。


 心底嬉しそうに。


「お前、最高だわ」



 その瞬間。


 因幡剛の中で、

 神崎蓮は“強者”ではなくなった。


 命を奪えるのに奪わない。


 その矛盾。


 その甘さ。


 その危うさ。


 だからこそ、

 剛は理解してしまった。


 この少年は、

 いつか自分より遥か遠くへ行く。


 人間では届かない場所へ。



「聞け、お前ら」


 剛が立ち上がる。


 夕陽を背負いながら。


「今日からコイツは俺の兄貴だ」


 ざわめき。


 だが誰も反論しない。


 本能で理解したからだ。


 神崎蓮は、

 既に“別の何か”へ変わり始めていると。



 そして蓮はまだ知らない。


 因幡剛との出会いが、

 単なる不良抗争では終わらないことを。


 血。


 神話。


 霊子。


 そして出雲。


 世界の裏側に沈む古い因果が、

 静かに動き始めていた。



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