側室(仮)の思案。(4)
大変お待たせいたしました。
夜更かしも二日目となれば、当然の事ながら体の不調は更に増えた。
頭痛、肩こり、眼精疲労と三拍子揃った不調と引き換えに、私が得た知識はほぼゼロという惨敗ぶり。
西国マトリの染め布について調べた結果、詳しい事は何も分からなかった。
というよりも、そもそも文献がないのです。歴史が浅いからなのか、それとも秘伝の技術だからなのか。なんとなく後者な気がします。
一日二日で結果が出るとは思わないけれど、思いつくことが全部空振りとは。私の勘は相当鈍いに違いありません。
今度こそ、なにか掴めそうな気がしたんですけど……気のせいだったんですかね。
なんの実りもないまま、迎えた夕刻。
私の頼りになる侍女、カンナが無事帰ってきました。
「ただ今戻りました」
「おかえりなさい!」
大きく腕を広げて待ち構える私を見て、カンナは困ったように微笑む。
そして私から一間ほどの距離をあけて立ち止まった彼女は、真っ直ぐに私を見た。
「申し訳ありません。サラサ様」
深々と頭を下げるカンナに、私は戸惑う。
行き場をなくした腕を下ろして、彼女の次の言葉を待った。
「お休みまで頂いたにも関わらず、なんの成果も持ち帰れませんでした」
「カンナ……」
「お役に立てず、本当に申し訳ありませんでした」
カンナは頭を下げたままの姿勢で、動こうとしない。私からの言葉を待っているようだった。
叱責も甘んじて受けるという姿勢は、生真面目な彼女らしくて好感は持てるけれど、ちょっと寂しいです。
「カンナ」
私は彼女に近付き、呼びかける。僅かに肩が揺れたけれど、相変わらず顔をあげようとはしない。
私は苦笑を浮かべながら、そっとカンナの体を抱きしめた。
「私のために、頑張ってくれてありがとう。カンナ」
「サラサ様……ですが、私は」
「貴方が無事に帰って来てくれただけで、充分よ」
これはカンナへの慰めではなく、偽らざる私の本音です。
たとえ探し人が見つかったとしても、カンナになにかあったら全然喜べない。未来に繋がる情報よりも、カンナの方がずっとずっと大切なんだから。
抱き締めたまま髪を撫でていると、暫くしてカンナが顔をあげた。
頬を薄く染めたカンナは、珍しくも眉が凛々しいラインを描いている。
「サラサ様。私、手がかりは掴めませんでしたが諦めた訳ではありません」
「えっ」
そこは諦めておこうよと、喉まで出かかった。でも決意に満ちたカンナの顔を見ていると飲み込まざるを得なくなりました。
「また時間をつくって、もう一度探してみます」
「カンナ……」
嬉しい。凄く嬉しいんですよ。
でも正直、カンナのような可愛らしい子が一人で街をウロウロしているのかと思うと、こちらも気が気でないのです。
止めたいけれど、彼女の気持ちが嬉しいのも本当。どうしたものかと私は頭を悩ませた。
「それに、協力して下さる方も見つけたんです」
「協力してくれる人?」
それは大丈夫な案件ですか。
変な人に騙されている訳じゃないんですよね??
心配症の母親のように、ハラハラしている私を知ってか知らずか。カンナは笑顔で頷いた。
「はい。顔見知りの方と偶然会いまして、話をしましたら手伝うと仰って下さったんです」
どうやら知り合いらしいのでセーフ。
こっそりと安堵の息を吐き出す私に、カンナは気づかなかったようです。決意表明のようにぐっと両手で握り拳を作ったカンナは、弾む声で宣言した。
「私、サラサ様のお役に立てるよう頑張ります」
私の侍女がこんなにも可愛い。でも可愛いからこそ、物凄く心配です。
複雑な思いを抱えつつ私は、頑張りすぎないでね、と心の中で呟いた。
「マトリの染め布?」
「はい」
私が頷くと、陛下は少し考える素振りを見せ、手に持っていた陶器の猪口を傾ける。器を満たす白く濁った酒を舐めるように飲んだ。
「歴史はそう古くはないぞ。国内での流通までは知らないが、交易品として輸出されるようになったのは十年以内、注目されるようになったのはここ一、二年の話だ」
歴史が浅いという推察は、あながち的外れでもなかったんですね。
空いた器に酒を注ぎながら、一人納得していた。
夜更けに数日ぶりにやってきた陛下に、マトリの染め布の話を聞いたのは思いつきでしかなかったが、予想外の収穫を得た。
「製法は、もちろん門外不出。価値は徐々に上がってきている。流行に敏感な貴族の娘達を中心に高い人気を博しているから、今後も値はつり上がるだろう。後宮でも、ちらほらと見かけるようになった……、ん?」
時折喉を湿らすように猪口を傾けながら、説明してくれていた陛下は、ふと何かに思い当たったかのように首を傾げる。
ほうほう、と聞き入っていた私も真似て首を傾げた。
陛下は私を見下ろし、何故か嬉しげに目を細めた。酒気を帯びてほんのり染まった目元や、弧を描く唇。伏せた長い睫毛が墨色の瞳に影を落とす様が、くらりとする程に色っぽい。
「もしかして、おねだりか?」
「……はい?」
予想外の言葉に、私はきょとんと目を丸くした。
おねだり……おねだりって、私が陛下に? どうしてそんな話になりました?
「お前も年頃の娘だものな。せっかくだ、何着か仕立てさせるか。どんな色がいい? 模様は花がいいか、鳥がいいか。お前には桜が似合いそうだな」
どうやら、私がマトリの布の話を振った事が、遠回しなおねだりだと解釈されたらしい。気づいた私は青褪め、勢い良く首を横に振った。
「ち、違いますっ。違うんですっ」
慌てて止めるが、陛下は止まって下さらない。
猪口を卓子の上に置いた陛下は、私の手からも酒器を奪って猪口の隣に置く。右手を繋いだ状態で、左手で腰を引き寄せられた。陛下の呼気に、ふわりと酒のにおいが香る。
見上げた陛下の表情は、機嫌良さげに緩んでいる。もしかして、珍しくも少し酔ってらっしゃるのかもしれない。
「遠慮するな。お前は中々甘えてくれないから、オレは嬉しいんだ」
「うぅ……」
私は真っ赤な顔で小さく唸った。
誤解なのに……誤解なのに!!
そんな子供みたいな顔で笑われては、強く否定なんて出来ない。
戯れるように伸びてきた陛下の手が、私の髪を一房掬う。指先に絡めて口付ける仕草に、脳が沸騰しそうだ。
こういう空気には、未だ慣れない。糖蜜みたいにドロリとした甘い雰囲気に、呑まれそう。
「甘えて、いると思うのですが」
「全く足りないな」
私の反論は、一言で切り捨てられました。
その後、眠りに就くまで何が欲しいのかと問われ、何も思いつかない私は大層困り果てた。いつもは私が困ると引き下がって下さるのに、酔われているからか、話は一向に終わらなかった。
陛下が先に寝てしまって、安堵したのは初めてかもしれない。
どうか陛下が、今夜の事は忘れてしまっていますように。
私の部屋に大量の着物が届かないよう、思わず祈ってしまった私でした。
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