第97話 勇者の力
「来た」
レンの声だった。
夜明けと同時に宗教国家の先遣隊が動き始め、正午を過ぎた頃には砲が射程に入ってきていた。ガリンが補強した城壁に着弾が続いた。第2区画の外壁に亀裂が入った。ガリンが「もつ。ただし今日いっぱいだ」と言った。
グリムとドーガが部隊を動かした。城門を開けて、砲の護衛歩兵を引きつけた。護衛が動いた瞬間、砲との間に隙間が空いた。エリスが炎を砲の架台に叩き込んだ。熱を制御する部分——技術者が教えた場所を狙った。砲の一門が唸りを上げて、出力が落ちた。間隔が長くなった。
そこで勇者が前に出た。
剣を持った者だった。
昨日、陣に最後まで残ってこちらを見ていた者と同じ体格だった。グリムの部隊が動いた方向に向かって、単独で走っていた。周囲の兵から切り離された動きだった。命令されたのか、自分の判断なのか——外からは分からなかった。
グリムが前に出た。
2人が正面から当たった。
ナナは少し高い場所から見ていた。グリムが押されているのが分かった。足が後ろに動いた。大剣で受けて、また動いた。グリムが後退している——珍しいことだった。
間合いが離れた瞬間、グリムが止まった。
「……強い」
声が届いた。グリムが剣を持ち直した。「ただ、単調だ」
勇者が再び踏み込んできた。
同じ方向から。同じ軌道で。
グリムが左に流れた。受けずに、外した。勇者の剣が空を切った。グリムが間合いの内側に入った。肘で押した。体当たりに近い動きだった。勇者が一歩よろけた。
そこでグリムは追わなかった。
距離を取って、また待った。
勇者が向き直した。また踏み込んできた。同じ方向から。同じ軌道で。
グリムがまた左に流れた。今度は足払いを入れた。勇者が地面に手をついた。すぐ起き上がった。速かった。また同じ方向から踏み込もうとして、止まった。
初めて止まった。
ナナはその瞬間を見ていた。
(止まった。自分の動きが読まれたと気づいた。今、判断している)
止まった時間は長くなかった。2秒か3秒か。勇者が今度は右から踏み込んだ。軌道が変わった。グリムが右に対応した。受けた。押された。また後退した。
グリムが声を出さなかった。顔が変わっていた。戦っている顔だった。楽しんでいる、とは違う。考えている顔だった。
勇者が続けた。右から。また右から。左から。右から。
パターンがあった。ただし前よりも複雑だった。グリムが対応し続けた。一手遅れることがあった。その度に後退した。それでも倒れなかった。
(強い。グリムが後退し続けている。それでもグリムは考え続けている)
ナナは口を開かなかった。介入するタイミングを探していた。グリムが「行け」という目をしていなかった。
10分ほど続いた。
グリムが一度大きく右に跳んだ。勇者が追った。グリムが急に踏み込んだ。距離が一気に縮まった。懐に入った。大剣が使えない間合いだった。グリムが肩で押した。全体重を載せた。
勇者が後ろに倒れた。グリムが大剣を首筋に当てた。
止まった。
グリムが一瞬動きを止めた。捕縛しようとして、周囲を見た。本隊がすぐそこにいた。勇者を引きずって戻れる距離ではなかった。
宗教国家の本体から声が上がった。後退の号令だった。勇者が動きを止めた。グリムを見た。グリムも勇者を見た。
勇者が身を引いた。倒れた場所から起き上がって、本隊の方へ歩いた。走らなかった。歩いた。
グリムが大剣を下ろした。
戦線が一度引いた。
宗教国家の部隊が後退した。砲も引き始めた。エリスが炎を絞って砲の一門をもう一度狙った。架台が焦げた。砲が止まった。
グリムが城門に戻ってきた。
ナナが降りていった。グリムの顔を見た。傷はなかった。ただし左腕に青みがあった。打ち身だろう。
「腕は」
「使える」とグリムが言った。それから少し黙った。「強かった」
「押し込まれていました」
「ああ。ただ一つ分かった」
「単調だったことですか?」
グリムがナナを見た。「見ていたか」
「全部」
グリムが少し息を出した。「最初は単調だった。途中で気づいて、パターンを変えた。変えられたということは、考えている。考えているが変え方が少ない。引き出しが、多くない」
「命令の外では動けない、ということですか?」
「分からない。何かに縛られている。俺はそう見た」
ナナが頷いた。
(道具は強い。ただし道具には限界がある)
今日見たのはその限界の端だった。グリムが引き出して見せた限界だ。単調さを逆用して、引き出しの少なさを確認した。それが今日分かったことだった。
「グリム、次に戦う時の想定を聞かせてください。今夜、話しましょう」
「ああ」とグリムが言った。腕を動かして、打ち身の具合を確かめていた。
夕方、エリスが来た。
「砲の熱制御、効いたわ。2門を落とせたし。ただ距離をもう少し詰める必要があるの。今日は遠かったわ」
「どのくらい詰められますか?」
「あと30歩。城壁の外に出る必要があるわね」
「出られますか?」
「セルマの風で砲弾をずらしてもらいながらなら。クルトに土の壁を作ってもらえれば——行けると思う」
「グリムに掛け合います。連携の確認をしておいてほしい」
エリスが頷いて出ていった。
ドーガが続いて入ってきた。
「集団戦術の方を見ていたが、相手は整然としすぎている。個々の判断が少ない」
「勇者と同じですか?」
「勇者ほどではない。ただし隊列を崩した時の対応が遅い。崩した穴を広げればそこから動ける」
「次の戦いでそれを試してもらえますか?」
「やってみる」とドーガが言って出ていった。
夜、グリムと話した。
グリムが今日見た勇者の動きを順番に話した。ナナが確認した。食い違いはなかった。
「今日の一人は剣だった。槍と弓は後ろにいた」とグリムが言った。「3人同時に前に出てきたら、別の話になる」
「別の話になります。ただ今日は1人でした」
「1人で俺を押し込んだ。3人なら」
「3人で来るなら、1人ずつ相手にしない方法を使います」
「ミュリエか」
「はい」
グリムが腕を組んだ。打ち身の腕だったが、顔に出なかった。
「……やれるな」
「やります」
グリムが短く頷いた。それで終わりだった。
ナナは部屋に戻って、今夜見たことと話したことを書き留めた。
技術者に明日もう一度確認する。エリスの30歩をどう確保するか。ドーガの穴を広げる動きをどこに組み込むか。ミュリエの幻術の展開タイミング。リシュアをどこに置くか。
全部繋がっていた。繋げる必要があった。
ナナは書き終えて、紙を重ねた。外から訓練場の音は聞こえなかった。今夜は静かだった。




