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第96話 宗教国家の前哨

 夜明け前に、レンが戻ってきた。


 廊下を歩く音がした。ナナはまだ起きていた。机の上の書き物を片付けながら、足音の速さで何が来たかを判断した。走ってはいない。ただし速い。


 ドアを叩く音。


「どうぞ」


 レンが入ってきた。埃が外套に着いていた。


「東縁に来た。先遣隊だ」


 ナナは立ち上がった。「規模は?」


「300から400。まだ動いていない。東の街道沿いに陣を張っている。夜明けを待っているか、本隊を待っているかは分からない」


「旗はありましたか?」


「光の紋章。宗教国家だ。それと——」とレンが少し間を置いた。「砲を持ってきている。クレモアの戦いで見たものと形が違う。一回り大きい」


 ナナが頷いた。「他には?」


「前列に、3名いる。武装が周囲と違う。剣、槍、弓——それぞれ別々だ」


「勇者ですか?」


「動きを見ていないから断言はできない。ただ——立ち方が違う」


 ナナは外套を引いた。「グリムを起こしてください。ドーガも」



 東の城壁に上がったのは、空が白み始めた頃だった。


 グリムとドーガが両脇に並んだ。レンが少し後ろに控えた。


 東の街道に陣が見えた。旗が風の中に立っていた。光の紋章。夜明けの光の中でも白く浮かんでいた。その手前に砲らしきものが並んでいた。布で覆われていたが、形の輪郭が出ていた。前回よりも胴が太く、架台が高かった。


「大きくなっている」とグリムが言った。


「はい。改良されています」


「威力が上がっているか?」


「上がっているでしょう。射程も伸びているかもしれません」


 グリムが城壁の外を見た。距離を測るような目だった。


「前回は砲の護衛が薄くなった隙を突いた。今回も同じか?」


「同じ手は使えないでしょう。相手にクレモアが居る以上、知っているでしょうから」


 ドーガが口を開いた。「陣の組み方を見ると、側面の守りが厚い。クレモアの反省が入っている」


「そうです。正面から崩すのは難しい」


 3人で東の陣を見ていた。陣の中が少し動き始めた。夜明けとともに人が動き出している。


 前列の3名が目に入った。


 周囲と違う動き方をしていた。兵が隊列に入って立っているのに対して、3名は少し前に出て、それぞれ別の方角を確認していた。剣を持った者が一番前。槍を持った者が右。弓を持った者が後方に下がって全体を見ていた。


 整然としていた。命令されている動きではなかった。考えて動いていた。


 (繰り返しになるか。いや、ならない)


 蒸気兵器への対処は前の戦いで経験している。砲を潰す方法は分かっている。ただし今回は勇者が加わっている。勇者が砲の護衛を担うなら、前回と同じ手順は通じない。勇者を動かさないまま砲に近づくことはできないということだ。


 (クレモア領の技術者から聞いた弱点情報が、ここで活きるかもしれない)


 熱を制御する部分に負荷をかけると、砲の出力が落ちる。あの男はそう言っていた。砲に近づかなくても、熱を操れれば使える。エリスの炎ならできる可能性がある。確認が必要だった。


 「エリスを呼んでください」とナナはレンに言った。レンが走った。



 エリスが来たのは、陣の動きが本格化し始めた頃だった。


 城壁に上がってすぐ、東の砲を見た。


「大きい」


「前回より改良されています。それと——蒸気兵器には熱を制御する部分があります。そこに負荷をかけると出力が落ちる、という情報があります」


「熱を操るなら、私の炎で負荷をかけることはできるわ。ちょっと距離があるわね」


「どのくらいまで近づければ?」


「半分の距離なら確実。今の位置から3分の2なら、試してみないと分からないかな」


「試す前に、もう少し情報が要ります。今日は見ます」


 エリスが頷いた。砲の架台を目で追いながら、口を開いた。「あの砲の台、角度が変えられるようになっているわ。前回は固定されていたのに」


「見えますか?」


「架台の根元に、継ぎ目があるわ。仰角が調整できるはずよ。射程だけじゃなく、仰角を変えれば城壁の内側も狙えるわね」


 ナナが城壁の縁を見た。高さがある。しかし仰角が変えられるなら、城壁の高さで守れる保証はない。


「ガリンに知らせます。城壁の補強を急いでもらう必要があります」


「今から動かせる?」


「動かします」



 午前のうちに、宗教国家の先遣隊が前進を始めた。


 砲の布が外された。前回と同じ銀色の胴体だったが、一回り大きかった。砲口が東の方角に向いていた。まだ城壁には届かない距離だった。


 前列の勇者3名が先頭に出た。


 剣を持った者が歩いていた。周囲の兵とは違う速さで、自分のリズムで歩いていた。ナナは城壁の上から見ていた。以前レンが「動き方が自然だった。体に染みついている感じだ」と言っていた。今、その意味が分かった。


 訓練された動きではなかった。生きてきた動き方をそのまま戦場に持ってきていた。


 ナナは動きから目を離せなかった。


「ナナ」とグリムが言った。「勇者を、どう動かす?」


「今日は動かしません。見ます」


「見るだけか?」


「今日は。相手の動き方が分かってから判断します」


 グリムが頷いた。それ以上は言わなかった。



 昼を過ぎた頃、砲の一門が試射をした。


 轟音が響いた。弾が城壁の手前の地面に当たった。地面が抉れた。前回の砲より着弾の衝撃が大きかった。


 城壁の上にいた者が一瞬固まった。ナナは動かなかった。


「距離を測っている」とドーガが言った。「本射はまだだ」


「はい。今日は様子を見ています」とナナが答えた。「こちらも同じです」


 もう一門が試射した。今度は城壁の端に近い場所だった。ガリンが補強を始めているが、まだ1日しか経っていない。今日の試射に城壁が耐えても、明日も続けば話が変わる。


 ナナはリーファを呼んだ。


「エルドランに伝えてください。先遣隊が来ました。砲が来ています。大森林には今日は影響はありませんが、状況が変われば知らせます、と」


「分かった」とリーファが言って、精霊を東に向けた。



 夕方、先遣隊の動きが止まった。


 陣地に戻っていた。砲も後退した。本日の偵察と試射はここまでのようだった。


 ナナは城壁の上で東を見続けた。


 勇者3名が陣の中に戻るのが遠くから見えた。一番最後に戻ったのは剣を持った者だった。陣に入る前に一度こちらを見た。距離があった。顔は分からなかった。ただ、見ていた。


 (整然としていた。命令通りに動いている。ただし、命令の意味を理解して動いている。道具ではない)


 ミュリエは「あれは道具よ」と言った。ナナには断言できなかった。今日見た限りでは、3名とも状況を読んで動いていた。命令通りかもしれない。それでも、その命令をどう実行するかを自分で考えていた。


 それが今日分かったことだった。


 城壁を降りて、ドーガとグリムに今日見たことを話した。技術者に明日もう一度話を聞きに行くことも伝えた。2人とも頷いて、それぞれの場所に向かった。


 夜、机に向かった。今日見た砲の形、架台の角度、勇者の動きを順番に書き留めた。


 書き終えて、手を止めた。


 明日が本番ではないかもしれない。明後日かもしれない。ただし来ることは決まっている。


 ナナは書いたものを折りたたんで、明日の準備の束に重ねた。

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