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第88話 流れてくる者たち

 10日で、食堂の席が足りなくなった。


 最初は余裕があった。次の日には椅子を足した。3日後には立ったまま食べる者が出た。今日は入り口まで列ができていた。ヴォルクが朝から時間帯を分けて回している。1回目が終わらないと2回目が入れない。それでも間に合っていない。


 ルゼの純魔族主義に追われた者たちが流れ始めてから、10日だった。


 純魔族以外の者——魔族でも血が混じっていると言われた者、他種族、人族と共存していた集落ごと追われた者。居場所を失った者たちが、各方向に散った。そのうちの一部がイグレアに向かっていた。



 朝、セインから文書が来た。


 「宗教国家の勇者部隊がルゼの前線を突破した。ルゼの軍が後退している。

 後退した方向は北東の奥——ただし逃げ場のない者は各方向に散っている。

 イグレアの方角に流れている者も確認している。セイン」


 ナナは文書を読んだまま、しばらく地図の上に視線を落とした。


 (ルゼが押された。逃げ場のない者が散った——その一部がここへ来る)


 すでに来ていた。10日で来ていた。これからもっと来る。


 グリムを呼んだ。



「ルゼの兵士だった者も受け入れるのか?」


 グリムが文書を読み終えて、そう言った。


「はい。武器を預かります。それ以外は同じです」


 グリムが少し間を置いた。文書をナナに返した。


「武器を取り上げれば、あとは全員同じに見える」


「そうなります」


「見分けがつかないのが嫌なわけじゃない」とグリムが言った。「ただルゼの軍の中には、純魔族主義で動いていた者もいる。追われたのか、追っていたのかは、本人しか分からない」


 ナナが頷いた。「でも来た人は受け入れます。仕事をしてもらいます」


「中に問題を起こす者が出たら?」


「その時に対処します。来る前に弾くより、来てから見る方が正確です」


 グリムが腕を組んだ。窓の向こうに訓練場が見えた。今朝は人数が多かった。新しく来た者もドーガが引っ張り込んでいるらしかった。


「分かった」とグリムが言って、出ていった。



 昼前にオズが来た。


 紙を何枚も持っていた。いつもの帳簿ではなく、計算の走り書きだった。


「試算が出ました」


「聞かせてください」


「人口が300を超えます。今の農地では足りません」


 ナナは試算の紙を受け取った。数字を追った。流入ペースが現状の半分に落ちたとしても、来月中には300を超える計算だった。農地の生産量と比べると、不足分が数字ではっきり出ていた。


「廃港の交易を急いでください」


「外海の商人が今週また来ます。前回より量を増やせるか交渉します」


「食料を優先してください。物資の種類は後で構いません」


「分かりました」とオズが走り書きに何か書き足した。「それとターニさんが、南の農地を拡張できる余地があると言っています。ただし人手が要ります」


「ヴォルクに相談します。どのくらいの人数が要るか、ターニさんに人数を出してもらえますか?」


「伝えます」とオズが頷いた。「外海の商人との交渉、私が立ち会います。言葉が少し通じるようになってきたので」


「助かります。お願いします」


 オズが出ていった後、ナナはターニへの確認と、ヴォルクへの伝言を短く書いた。



 ダリオが居住区の拡張に動き始めたのは昼過ぎだった。


 中庭でガリンと立ち話をしている声が聞こえた。ナナは廊下を通りかかって、少し止まった。


「第二区画の北側の壁、あそこを抜けば空き地がある」とダリオが言っていた。


「抜けるが、補強が要る。1週間はかかる」とガリンが言った。


「1週間待てるか?」


「待てない場合はどうする」


「とりあえず中庭に天幕を張る。それで人を入れる。建物が出来たら移す」


「わかった」とガリンが言った。話がついたらしかった。2人とも、余計なことを言わなかった。


 ナナは廊下を歩き続けた。



 夕刻、ヴォルクが整理の途中で報告に来た。


「今日だけで14人来ました。うち6人がルゼの勢力圏からです。残り8人は各所から——クレモア領の出身者が4人含まれています。合計で来月中には310を超える見込みです」


「武器の確認は?」


「全員持っていません。1人、短剣を持っていた者がいました。任意で預かりました」


「その方の様子は?」


「おとなしかったです。怯えている様子でした。子供を連れていました」


 ナナが頷いた。「引き続きお願いします。問題のある動きがあれば、すぐ知らせてください」


「分かりました」とヴォルクが一礼した。「1つ確認させてください。言葉が通じない者が増えています。ルゼの勢力圏の者の中に、人族の言葉を話さない者がいます」


「リーファに頼みます。精霊が言葉を仲介できるか確認します」


「お願いします」


 ヴォルクが去って、しばらく後にリーファを呼んだ。事情を話すと、リーファはすぐに頷いた。「やってみる。音の精霊が言葉を拾うのが得意だから」と言って、先に居住区の方へ向かった。



 夜、外海の商人との取引が動いた、とオズから短い報告が届いた。


 「本日の商談、食料品の取引量を前回比1.4倍で合意。小麦・干し肉・塩を優先。次回は2週間後に来港予定。言葉の問題は身振りと数字で乗り切りました」


 ナナはその報告を読んで、紙を机の端に置いた。


 1.4倍。それでもオズの試算の不足分には届かない。ストーンフォールからの返事もまだ来ていない。ヴェルナー公爵のルートで食料を追加発注する文書を今夜中に出す必要があった。


 (廃港が動いている。外海との接続が太くなっている。足りないのはまだ分かっている。足りない分は動けば埋まる)


 文書を書き始めた。



 書き終えてから食堂に寄った。


 夜の遅い時間だったが、まだ灯りがついていた。入り口の外まで話し声が漏れていた。昼間の混雑とは違う、もう少し落ち着いた声だった。


 中に入った。


 テーブルの数が増えていた。ダリオが昨日追加したものだろう。それでもほぼ埋まっていた。


 ルゼに追われて来た魔族の男が、クレモア領から流れてきた他種族の若い女と、何かを話していた。言葉が完全には通じていなかった。身振りを使いながら、それでも話していた。少し笑いが起きた。何が面白かったのかはナナには分からなかった。


 奥の席に、行き場を失った人族の家族が座っていた。子供が2人、椀を両手で持って飲んでいた。親が隣でその様子を見ていた。


 それぞれが別の理由でここに来ていた。それでも同じものを食べていた。


 ナナは入り口のそばの柱に背を預けた。誰もナナに気づいていなかった。気づいていても、今夜は声をかけてこなかった。


 (来た人っは受け入れる)


 それがイグレアの形だった。言葉にすれば簡単だった。実際にやろうとすると、食料の計算と居住区の拡張と言葉の壁と武器の確認と農地の人手が全部同時に動く。それでも形はひとつだった。


 食堂の灯りが揺れた。夜風が入り口から入ってきた。廃港の方から吹いてくる風だった。


 外海の商人が来ている。その先に、もっと遠い場所がある。


 ナナは柱から背を離して、廊下に戻った。部屋に戻って、ストーンフォールへの追加の問い合わせを書いた。書き終えて、セインへの確認文書も1通出した。


 灯りを落とす前に、ヴォルクが出した今日の人数を書き留めた紙を見た。310。来月にはその数字が動く。再来月はさらに動く。


 数字は止まらなかった。来る者も止まらなかった。


 ナナは紙を折って、明日用の束に挟んだ。

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