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第87話 戦いの兆し

 10日で、大陸の形が変わった。


 エルドランから、レンから、セインから——3方向の報告が重なった。旧クレモア領が宗教国家に完全に制圧された。東の港街も宗教国家の管轄下に入った。ルゼは北東の奥へ後退して、そこで再編成中だという。


 壊滅はしていない。ただし前に出てくる余力がない。


 ナナは3通の報告を並べて読んだ。


 (10日だ。旧クレモア領の端から端まで、10日で塗り替えた)


 地形を思い浮かべた。旧クレモア領は広い。それを10日で制圧したなら、宗教国家の軍の規模は相当だ。ルゼとの衝突で消耗してもまだ動けている——補給が外海から続いているのだろう。クレモアが設計した港がそのまま使われている可能性がある。


 (東の港街を取った。外海との接続を確保した。兵站を完結させた。手順が早い)


 セインが「宗教国家の進軍は止まっていない」と書いてきていた。止まった場所ではなく、止まらない速度が問題だった。


 ナナは3通を重ねて脇に置いた。



 昼前、オズが来た。


 帳簿を2冊抱えていた。入ってくるなりそれを机に置いて、真っすぐナナを見た。


「人口が200を超えました。食料の備蓄が追いつきません」


 ナナは帳簿の表紙を見た。オズが数字に間違いを出したことはない。


「どのくらい足りませんか?」


「現状の流入ペースが続けば、来月末には備蓄が2週間分を切ります。先月から毎週計算し直しているのですが——来る人数が予測を上回っています」


「廃港の整備と交易を急ぎましょう。西からの物資が頼りになります。それと周辺国から購入しましょう」


「ヴェルナー公爵のルートを使いますか?」


「使います。ストーンフォールへも打診します。石材ではなく食料で融通できるものがあるか聞いてみます」


 オズが手帳に書き込んだ。「廃港の商人には今週中に連絡を入れます。ストーンフォールへはどちらが文書を」


「私が出します」


「分かりました」とオズが頷いた。それから帳簿を1冊だけ残した。「在庫の一覧です。見ておいてください。細かい品目まで書いてあります」


「ありがとうございます」


 オズが残りの1冊を抱えて出ていった。廊下に出て少し歩いてから、また戻ってきた。


「もう1点だけ」


「はい」


「来ている者の中に、子供が多くなっています。親と離れている子もいます。ダリオと相談して居住区の一角を子供専用にしたいのですが、よろしいですか?」


「お願いします。リーファに頼めば精霊に見てもらえます。声をかけてみてください」


「そうします」とオズが言って、今度こそ出ていった。



 同じ日の夜、食堂に寄った。


 夕食の時間をとっくに過ぎていたが、まだ人が残っていた。隅のほうに数人が固まって、静かに食べていた。


 ナナは入り口のところで止まった。中には入らなかった。


 ルゼの方角から来た魔族が2人、テーブルの端に座っていた。隣のテーブルには宗教国家に弾かれてクレモア領から流れてきた他種族の者が3人。奥の席に、行き場を失った人族の老人が1人で椀を持っていた。


 どれが誰かは分からなかった。見た目で判断できるものではないし、ナナには全員の顔がまだ一致していなかった。ただ、みんな黙って食べていた。



 食堂の壁の染みが少し増えていた。人が増えれば使い方が荒くなる。当然だ。ガリンに補修を頼む必要があるかもしれない。


 ナナは食堂を出た。



 セインの急便が来たのは夜半だった。


 フェンリルが持ってきた。「セインの使いの者が廃港経由で届けてきた文書だ。急ぎの由だと」と言って渡した。


 ナナが開いた。


 「宗教国家がルゼとの戦闘を一時停止した。

 理由は不明。撤退ではなく、陣を保ったまま止まっている。

 ただし——軍が北西ではなく西を向いた、という報告がある。

 複数の斥候から確認。信度は高い。セイン」


 ナナの手が止まった。


 (ルゼを倒す前に——西を見た。西にあるのは、イグレアだ)


 文書を持ったまま、しばらく動かなかった。


 ルゼを倒し切っていない。それでも西を向いた。つまり宗教国家にとってルゼよりも先に確認すべき何かが西にある。あるいはナナの同盟の動きを測りたいのか。どちらにしても、こちらが視界に入ったということだ。


 (「今はまだだ。次に来る」——それが確定した)


 セインへの返信を書こうとして、止まった。


 城壁に上がった。



 夜風が冷たかった。春が来ていたが、夜はまだ冬の名残があった。


 廃港の方角を見た。暗くて何も見えない。ただ空気が西から来ていた。外海から続く風が、廃港を越えてイグレアまで届いている。商人が使う道を、今は風が来ている。


 そこへグリムが来た。


 革鎧のまま城壁に立った。たぶん訓練の帰りだった。


「来るか?」


「……来ます。ただ今ではありません。ルゼが先です」


 グリムが西を向いた。ナナも西を向いていた。2人並んで廃港の方角を見た。


 (西だけが開いている。その西を次に狙われる)


 「今ではない」という猶予の意味を、ナナは知っていた。ルゼとの戦いが終わるまでの間だ。その間に廃港を使い切る。物資を積み上げる。人を増やす。訓練を続ける。


 グリムが口を開かなかった。ナナも黙っていた。


 ただ2人とも、同じ方向を見ていた。


 廃港の先に外海がある。外海の向こうにも国家がある。



 城壁を降りて、部屋に戻った。


 ナナはセインへの返信を書いた。「西を向いた件、詳細が入れば続報をお願いします。動きがあれば昼夜問わず」。短く書いて封をした。


 それから別の紙を出した。ストーンフォール宛てだった。食料の融通について、簡潔に書いた。


 書き終えて、2通を重ねた。


 今日だけで届いた文書の数を思い返した。エルドランの報告、レンの斥候報告、セインの急便。オズの帳簿に書かれていた数字。来た者の人数、足りない食料の量、来月末の備蓄の残日数。


 全部が繋がっていた。全部が今同時に動いていた。


 (大陸が三つに割れた。ルゼが北東に引いて、宗教国家が東を押さえて、こちらが中央にいる)


 それはナナが望んだ形ではなかった。ただ今はこれが現実だった。


 ナナは2通を重ねて脇に置き、在庫の帳簿を開いた。オズが細かく書き込んでいた。品目ごとに、今月分と来月分の欄がある。来月の欄のいくつかに赤い印がついていた。オズが印をつけた場所は、必ず問題になる場所だ。


 赤い印を1つずつ、順番に見た。

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