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第83話 外海の商人

 3日後に、ジャックが戻ってきた。


 廃港まで往復し、オズたちに同行して状況を確かめてきた。執務室に入ってきたとき、いつもより少し砂埃をかぶっていた。それだけだった。表情は変わっていなかった。


「報告します」


「はい」


「廃港に船が1隻来ていました。武装していません。荷を積んでいて、旗は見たことのない意匠でした。宗教国家のものではないようです」


 ナナは頷いた。


「乗組員は何人ですか?」


「8人。全員、大柄でした。肌の色が浅黒いく、言葉は通じません」


「物は?」


「布と香辛料。それと、見慣れない形の金属の器具が幾つかありました。用途は分かりません」


 ジャックが懐から小さな布切れを出した。何かを写し取った走り書きだった。旗の意匠を描き留めてきたらしかった。渡してきた。


 ナナが受け取った。半円と3本の線が交差した、単純だが見覚えのない模様だった。


(外海の国だ。東の宗教国家ではない。西か、あるいは南の海の向こうか)


「オズは?」


「まだ廃港にいます。もう1日、話を続けたいと言っていました」


「そうですか」


 レンが少し間を置いた。


「……金と物の話は通じていたようです。オズが身振りで値をやり取りしていました。向こうも慣れた様子でした」


「商人同士ということですね」


 ジャックが短く頷いた。それ以上は言わなかった。



 翌日の昼過ぎに、オズが戻った。


 ジョンを連れていた。2人とも埃をかぶっていたが、オズだけが妙に生き生きした顔をしていた。執務室に来るなり、荷の中から小さな布袋を取り出した。


「土産です」


 袋を開けると、濃い赤茶色の粉が入っていた。鼻に当てると、辛みと甘みが混ざった刺激的な匂いがした。


「香辛料です。向こうの商人が試しにと渡してくれました。名前は聞きましたが、音が難しくて書き留められませんでした」


「交渉はどうでしたか?」


 オズが椅子に座った。旅の疲れで背中が少し丸まっていたが、声はしっかりしていた。


「言葉は通じません。ただし数字は通じました。指で示せば分かる。物を並べて比べれば分かる。商人の基本です」


「取引は成立しましたか?」


「今回は顔合わせだけです。向こうも様子を見に来たという感じでした。ただ——」とオズが少し間を置いた。「また来ると言いたいらしかった。身振りで何度も繰り返していました」


(また来る。一度接触して、持ち帰って、次に来る——それが商人の動き方だ)


「廃港の状態は?」


「桟橋が2本、使えます。船を留めるには充分です。ただ荷を下ろす場所が狭い。荷さばきの場所を作れれば、もっと使いやすくなります」


「ガリンに話します。城壁の修繕が一段落してからになりますが」


「急ぐことないと思います。まず関係を作るところからです」とオズが言った。「今回は来てくれましたので、次も来てくれれば、続くと思います」


 ナナは頷いた。


(西が開いている。外海には宗教国家だけでなく別の国がある。東が宗教国家に塞がれていくなら、西から物が来る道が要る)


(この船が来たということは——外海の商人が動けるだけの状況が、どこかにある。東の港街周辺に何かが変わったのかもしれない。クレモアが去った後の東の海が、どうなっているのか)


 オズが香辛料の袋を机の端に置いた。


「それ、食堂で使っていいですか?何かに使ってみます」


「どうぞ」


 オズが立ち上がって、少し笑った。戻ってきてからは見ていなかった顔だった。



 その日の夕方、城門の外から声が聞こえた。


 ナナが城壁の上にいたとき、門番のダリオが下から声をかけてきた。


「団長。街道のほうから人が来てる」


「何人ですか?」


「3人。子供を連れた女が1人と、老いた男が2人。荷を引きずっている。武器はないようだ」


 ナナは城壁から下りた。


 城門を開けた。街道の先に、3つの人影があった。暮れかけた光の中で、ゆっくり歩いていた。荷が重いのか、あるいは疲れているのか、足取りが遅かった。


 近づいてきた。女は30代に見えた。腕の中に子供がいた。6、7歳くらいの男の子だった。老いた男は2人とも60を超えていた。片方が杖をついていた。


 3人が城門の前で止まった。女が前に出た。


「……ここが、イグレアですか?」


「はい」


「クレモア領から来ました」と女が言った。声が掠れていた。「行く場所がなくなりました。入れてもらえますか?」


 ナナは少し間を置いた。


「もちろんです。おなかが空いているでしょうから、まず食堂へ。食事があります」


 女がナナを見た。10歳前後の少女を見て、一瞬何かを言いかけて、やめた。それからもう一度ナナを見た。


「……ありがとうございます」


 3人が城門を通った。


「ダリオ。食堂に案内してください。それからヴォルクに話してください。住む場所を確保してもらいます」


「分かった」


 ダリオが3人を連れて歩き始めた。子供が周囲を見回していた。城壁を見上げた。それから、食堂の窓から漏れる明かりを見た。


 ナナは城門の外を少し見た。街道は静かだった。他に人影はなかった。


(クレモア領から来た。命令系統が消えた——とセインが書いていた。行く場所を失った者が出る。それが来た)


(最初の3人だ。この先、どれだけ来るかは分からない。来た者は入れる)


 城門を閉めた。


 食堂から声が聞こえた。ダリオが3人を連れて入っていくのが、閉まる直前に見えた。子供が扉の中を覗き込んでいた。中が明るかったから、目が引き寄せられたのかもしれなかった。


 ナナは城門に背を向けて、居住区の方へ歩いた。


 夜が来ていた。西の空がまだ少し赤かった。

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