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第82話 戦後

 翌朝から、ガリンが動いていた。


 夜明け前に城壁の外側を歩いて損傷を確かめ、日が出る頃には石材の手配を指示していた。声は大きくなかった。怒鳴らなかった。ただ、止まらなかった。カルの組が石を運び、ヴォルクが人員の割り振りを調整した。ガリンはそれを横目で確かめながら、亀裂の入った第二区画の壁に触れて何かを測っていた。


 ナナが近くを通ったとき、ガリンが振り返らずに言った。


「第二区画の亀裂、3箇所。南面の外壁は砲弾の跡が6つ。居住区の端は石の積み方が甘い。作り直す」


「どのくらいかかりますか」


「急がせるな。急いだ壁は二度手間になる」


 ナナは何も言わなかった。


「2週間あれば外壁は塞ぐ。第二区画の亀裂は1ヶ月見ろ」


「分かりました」


 ガリンが壁に向かって道具を当て始めた。それ以上の言葉はなかった。ナナも続けなかった。



 昼前に、オズが書類を持ってきた。


 いつもの執務室ではなく、中庭の端だった。ナナが城壁の修繕を見ていると、正確な足取りで来て、書類を差し出した。


「被害の集計が出ました」


 受け取った。数字が並んでいた。


「農地は外縁の2割が焼けました。城壁の第二区画に亀裂が3箇所。居住区の北端の壁が一部崩れています。市場と食堂は無事です」


 ナナが頷いた。書類の数字を見た。農地の2割、城壁の亀裂、居住区の崩れ——どれも直せる範囲だった。


 前世でも似た報告を受けたことがあった。戦闘後の損耗報告。


「財政は?」


「戦費の消費がありましたが、現状は黒字を維持しています。詳細は明日までに出します」


「お願いします」


 オズが頷いて書類を畳んだ。去り際に少し足を止めた。


「……死者が出なかったのは、団長の判断があったからです」


「たまたまです」


「それも含めて、です」


 オズが中庭を去っていった。ナナは書類を手に持ったまま、しばらくその場に立っていた。



 午後、バロウからの文書が届いた。


 アルトハイムの傭兵ギルド受付からだった。簡潔な文面だった。


「廃港に見慣れない船が来ている。武装はない。荷を積んでいる。旗は宗教国家のものではない。交易を求めているようだ。こちらで対応するか、そちらから人を送るか、判断を聞きたい」


 ナナが文書を置いて、少し考えた。


(廃港に船が来た。宗教国家の旗ではない。外海には宗教国家以外の国がある——それが来た、ということだ)


 グリムが通りかかったので声をかけた。


「廃港に人を送ります。誰を出せますか?」


「レン……は、今は動かしたくないか」


「リアが来たばかりです。別の者を」


「ジャックとジョンで良ければ。斥候だが、状況を見る目はある」


「それと、交易の話ができる者が必要です」


「オズか?」


「オズに聞きましょう」


 グリムが頷いた。


 オズは快く引き受けた。「商人の話なら、私が行きます。言葉が通じなくても、品物と金があれば何とかなります」


「無理はしないでください。様子を見るだけで構いません」


「分かりました。明日の朝に出ます」


 3人が廃港に向かうことになった。バロウへの返信を書きながら、ナナは西の方角を思った。


(廃港は整備が途中だ。船が来たなら、受け入れる場所が要る。ガリンに話すか——いや、今は城壁が優先だ。オズが状況を見てから判断する)



 夕刻、セインからの文書が来た。


 2通あった。同じ日付だった。


 1通目を開いた。


「クレモア領の軍が解散した。指揮系統が消えた、という話だ。兵が街道に出始めている。命令を受ける相手がいなくなった形だ。クレモア本人はアルヴィスとともに東へ向かったという目撃情報がある。外海の方角だ」


 ナナが文書を置いた。


(東へ。外海の方角へ)


(クレモアは行き先を言わなかった。あの目は、まだ何かを考えていた——その答えがここにあるのかもしれない)


 2通目を開いた。


「宗教国家がクレモアを保護したという情報が入った。旧クレモア領に宗教国家の軍が入り始めている。魔王討伐の布告も出た」


 ナナはしばらく、その一文を見ていた。


(クレモアが、宗教国家に入った。技術と知識を持って——自ら入った、ということか)


(国を畳んで、別の場所に移った。負けたから逃げたのではない。あの撤退の仕方は、最初からそのつもりだったのかもしれない)


(国を失っても目的は変わらない。あの目は、そういう目だった)


 グリムが部屋に入ってきた。ナナが文書を渡した。グリムが読んだ。


「……クレモアが宗教国家に入ったか」


「そのようです」


「敵に降ったということか?」


「クレモアが誰かに降るとは思えません」とナナが言った。「利用しているか、利用されているか——どちらかです」


「どちらだと思う?」


 ナナは少し間を置いた。


「まだ分かりません」


 グリムが文書をナナに返した。


「旧クレモア領に宗教国家が入っている。東の方角が変わったな」


「はい」


 グリムが腕を組んだ。それ以上は言わなかった。



 夜になってから、もう1通文書が届いた。


 同じくセインからだった。3通目だった。珍しかった。同じ日に3通来るのは初めてだった。


「ルゼが動きを速めている。使者を送るだけでなく、周辺の小集落を実力で取り込み始めた。規模は小さい。ただし方向が一定している。北東から南へ、じわじわと広がっている」


 ナナが文書を机に置いた。


 3通を並べた。


 (東と北東が、同じ日に動いた、2つの方角が動いた)


(セインがこれだけの情報を短期間に集めた。フォルケンからでも、大陸の動きが見えている。それだけ動きが大きいということだ)


 ナナは執務室を出た。城壁の上に向かった。



 夜の平野に、人影はなかった。


 松明もなかった。農地の焼けた跡が月明かりの中に黒く見えた。南の街道は静かだった。クレモア軍の旗はもうなかった。


 ナナは南を見た。それから東を見た。それから北東を見た。


 どの方角にも、今は何も見えなかった。


(守った。ここを守った)


(ただ動いているのはイグレアだけではない。東が動いた。北東が動いた。今夜は見えないが、確かに動いている)


 足音が来た。リーゼだった。城壁の上に来て、ナナの横に立った。


「文書が来たと聞いた」


「3通。セインから」


「内容は?」


「東と北東が動いています」


 リーゼが少し間を置いた。東を見た。北東を見た。それからナナを見た。


「今夜は寝ろ。頭が動かなくなってから考えても意味がない」


「……はい」


「返事だけ早い」


 ナナは少し間を置いた。


「明日、話します。グリムも含めて」


「分かった」


 リーゼが城壁を下りていった。


 ナナはもう少しだけ、その場に立っていた。南の農地の焼けた跡を見ていた。2週間で外壁は塞ぐとガリンが言っていた。来年の春には土が戻るとターニが言っていた。


(直る。ここは直る)


 城壁の縁に手をついた。石が冷たかった。


 それだけ確かめて、城壁を下りた。

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