第75話 内側の戦い
日が落ちてから、しばらくは静かだった。
正面の砲が1発撃って、それきり止んだ。護衛の松明が南の平野に点在しているのが城壁の上から見えた。動いていなかった。何かを待っているのか、それとも今夜は撃たないのか、判断できなかった。
城内も静かだった。リーゼが住民を居住区の奥の建物に集めていた。食堂も空になっていた。いつもなら夕食の声が聞こえてくる時間に、火の気がなかった。128人分の気配が、居住区の奥の一点に凝縮されていた。
グリムが城門の内側で部隊に向かって低く何かを言っていた。ダリオが東の通路に班を率いて待機していた。カルが居住区に続く通路の入口に立っていた。城内の17名が、それぞれの持ち場に散っていた。
ナナは城壁の上にいた。北の稜線を見ていた。
動きがあったのは、夜が深くなってからだった。
最初に気づいたのはレンだった。城壁の上で弓を手にしたまま、ナナの横で北を向いていたレンが、声を出さずに手で合図した。
ナナが視線を向けた。北の山際に、松明がなかった。それでも動くものがあった。星明かりの中に、複数の影が動いていた。
「来ました」とナナが低く言った。
レンが弓を引いた。
グリムが城壁の下から見上げていた。ナナが手を上げた。グリムが頷いて城内の方に向いた。低い声で指示が伝わっていった。
北の影が速く動いていた。城壁に梯子をかけてくる気配があった。それより早く、城壁の東側の角から鉤縄が飛んできた。石の縁に引っかかって、ぴんと張った。
「来てる」とレンが言い、矢を放った。鉤縄を引いていた影が落ちた。次の鉤縄が飛んできた。
城壁の北側に3カ所、鉤縄がかかった。ナナが城壁に手をついて外を見ると、梯子が立てかけられ、人影が登り始めていた。暗くて数が分からなかった。松明を持っていなかった。それが却って分かりにくかった。
「炎よ、照らせ」
ナナが城壁の外に向けて小さな火球を3つ放った。地面に落ちて燃え上がり、城壁の外側を照らした。梯子に20人以上がとりついていた。
「レン、梯子を」
「分かった」
レンが矢を次々に放った。梯子の上から人が落ちた。ただし梯子の数が多かった。3カ所のうち1カ所で、先頭の者が城壁の上に出てきた。ナナが短剣を抜き、城壁の上で正面から向き合った。
相手が剣を振るった。ナナが下に潜って体当たりした。城壁の内側に向けて押し倒し、相手が城壁の内側に落ちた。下でグリムが動く音がした。
2カ所目の梯子から次の者が出てきた。レンが矢で止めた。
3カ所目——エリスが火の塊を放って、梯子ごと燃やした。梯子の上の者が飛び降りた。
それでも城壁の内側にすでに4人が入り込んでいた。グリムとダリオが城内で受けていた。剣と剣がぶつかる音が続いた。
城壁を超えた者たちが城内に散った。
リーゼが低い声で指示を出した。「居住区の手前で止める。入らせるな」
カルの班が通路に横一列に並んだ。城内に入り込んだ敵が通路に押し込まれてきた。数は5か6だった。狭い通路の中で、カルが前に出て剣を抜いた。
「来い」と短く言った。
相手の先頭が魔法を放った。火の塊が通路に飛んできた。カルが横に体を引き、通路の壁に火が当たった。石が焦げた。
後ろから声がした。
「退いて」
リシュアだった。
カルが一歩下がった瞬間、リシュアが通路の壁の影から前に出た。聖銀の短剣が2本、左右の手にあった。走った。走りながら最初の相手の剣をいなし、短剣で喉を掠めた。次の者の魔法が放たれる前に懐に入り込み、脇腹に短剣を当てた。魔法が暴発して通路の天井を焦がした。3人目が後退した。
リシュアが追わなかった。立ち止まって振り返った。
「魔法使いは2人倒した。残りは剣を持った者が3人。任せる」
「……助かった」とカルが言い、班を前に出した。
通路の奥で城内に散った者たちとグリムの部隊が当たっていた。ドーガが壁際から飛び出して敵の背後を取った。狭い城内では数の多い側が必ずしも有利ではなかった。入り込んだ者たちが徐々に追い詰められていった。
城壁の上でナナは砲の動きを見ていた。
南の平野に据わった1門の砲が、夜の中で向きを変えていた。松明の光が砲の周囲を動いていた。
(撃つ。城内で戦闘が起きているのが分かって——正面から城壁を押してくる気だ)
砲声が来た。深夜の中でひときわ大きく響いた。着弾が城壁の南面に当たった。石が砕けて飛んだ。ガリンが城壁を走った。夜中でも槌を持って走った。
もう1発来た。同じ場所に当たった。
城壁の南面の外壁に亀裂が走った。ガリンが亀裂を手で触って、舌打ちをした。
「ナナ」とガリンが言った。
「はい」
「同じ場所に3発目が来たら、外壁が崩れる。崩れれば城壁の上に立てなくなる。お前の足場がなくなる」
「砲を黙らせます」
「それをしてくれるなら俺は修繕に集中できる」とガリンが言い、また走り出した。
南の平野に3発目の動きが見えた。砲口の向きが同じ方向を向いていた。
(砲を止める。城内はリーゼとリシュアに任せる。今、私が動ける場所は城壁の上だ)
そこにエリスが来た。城壁の上に上がってきて、ナナの横に並んだ。
「城内の状況は?」
「リシュアが動いている。魔法使いは2人倒した。残りはカルの班が当たっている」
「グリムは?」
「城門の内側で受けている」
エリスが南の砲を見た。
「砲を止めたい。私が撃てば城壁の外に出る形になる。ロスに出力を重ねてもらえれば届く距離よ」
「私も出ます」とナナが言った。
「ナナは城壁の上にいて。城内が片付いた後に何かあった時、ナナが動けなくなると困る」
ナナは少し間を置いた。
「エリスに任せます。ただし砲の護衛が厚い場合は無理をしないでください」
「護衛が薄くなった瞬間を狙うわ」とエリスが言い、ロスを呼んだ。
ロスが城壁の端まで来た。夜でも汗をかいていた。南の平野を見て、砲の位置を確かめた。
「……届きますか?」とロスが言った。
「私の炎に重ねてもらえれば届きます」とエリスが言った。「怖くていいです。ただし働いてください」
「……はい」
エリスが城壁の端に立った。南の平野の1門の砲が3発目の準備をしていた。護衛の歩兵が砲の周囲を固め直していた。城内の騒ぎで注意が分散していた。
「炎よ、出ろ——」
エリスの炎が夜の中を走った。ロスの炎がその上に重なった。合わさった火が砲座に落ちた。護衛の歩兵が散った。砲の火薬に引火して、南の平野に大きな火が上がった。農地の外縁——南の街道の脇まで火の粉が飛んだ。刈り跡が少し燃えた。
砲が沈黙した。
城内の戦闘が収まったのはそれから間もなくだった。
グリムが城門の内側から声を上げた。「制圧した」
リーゼが居住区の入口に立っていた。「こちらも止まった」
ナナは城壁の上から城内を見た。倒れている者がいた。すべてクレモアの部隊の者だった。壊滅か撤退か、侵入してきた者たちは城内からいなくなっていた。
負傷者がいた。ダリオが左肩を押さえていた。カルの班の1人が足を引いていた。ただし動けないほどの者はいなかった。
ナナは城壁を降りた。
(農地の外縁が少し燃えた。砲の火薬が飛んだせいだ。刈り跡だから作物はない。ただしターニには伝える必要がある)
(城内は持った。正面の砲も沈黙した。北から入ってきた部隊は制圧した。ゴルドーたちが追撃している残りの部隊は——今夜の戦力にはなれなかった)
エリスが城壁を降りてきた。ロスがまたその後ろについていた。今夜は汗よりも顔色の方が目立った。少し蒼かったが、足取りはしっかりしていた。
「城内は?」とエリスが聞いた。
「制圧しました。エリスのおかげで砲が止まりました」
「ロスが重ねてくれたから届いた」とエリスが言い、ロスを見た。
ロスが小さく頷いた。それだけで何も言わなかった。今夜は「怖い」とも言わなかった。
グリムがナナのところへ来た。
「全員の確認が終わったら報告する」と言い、少し間を置いてから続けた。「今夜は持った」
「はい」
「お前が城壁から降りなかったのは正しかった」
ナナは少し間を置いた。
「エリスに任せたので」
「そうだな」とグリムが言い、部隊の方へ戻った。
中庭は静かだった。南の平野で砲の燃えた残り火が見えた。農地の外縁の刈り跡がわずかに赤かった。ターニのところへ行くのは明朝でいい、とナナは思った。今夜伝えたところで、暗い中では何もできない。
リシュアが中庭の隅に立っていた。短剣を拭いていた。ナナが近づくと、手を止めた。
「助かりました」とナナが言った。
「言った通りだ」とリシュアが言った。「腕輪が外れる可能性がある。それだけで動く価値はある」
「ありがとうございます」
リシュアがまた短剣を拭き始めた。ナナはそれ以上何も言わなかった。言葉を足す必要がなかった。
城内に明かりが戻り始めた。居住区の奥から人が出てきた。子供の泣き声が遠くに聞こえた。128人が、まだここにいた。




