第73話 側面
正午を少し過ぎた頃、フェンリルが城壁に上がってきた。
「動いた」
それだけ言った。ナナには十分だった。
(グラ=ベイルが出た。西でぶつかる)
城壁の南を見ると、砲列の動きがわずかに乱れていた。護衛の歩兵が後ろを振り返っている者が何人かいた。砲の護衛から抜けた歩兵が、足早に西へ向かい始めた。
「城門を開ける準備をしてください」
フェンリルが頷いて降りた。ナナはそのまま南を見続けた。
しばらくして、西のほうから低い衝撃音が来た。地面が微かに揺れた。続いて、より鋭い音が重なった。爆発ではなく、何かが大きく弾ける音だった。もう一度揺れが来た。今度はさっきより強かった。
(グラ=ベイルが前に出た)
南の平野での戦いを思い出した。戦場の端で敵を見ていたとき、突然地面が揺れた。グラ=ベイルが戦斧を振り下ろした衝撃が、距離を越えて伝わってきた——あの感覚と同じだった。
砲の護衛を離れる歩兵が、さらに増えた。4門のうち2門が前進を止めた。
(今だ)
「グリム」
城壁の下を見ると、グリムはすでに城門の前に立っていた。剣の柄に手をかけ、ナナを見上げていた。隣にドーガがいた。前傾に構え、重心を低く落としていた。後ろに10名の戦闘員が続いていた。
「2門、護衛が薄くなっています。城門から出て砲座の左側に回り込んでください。私が正面から目を引きます」
「分かった」
それだけだった。グリムが振り返り、扉が開いた。
ナナは城壁から炎を展開した。砲列の正面に向けて、広く、薄く——射手の視界を塞ぐように。煙が広がり、砲台が一斉にナナのいる城壁に向いた。
その隙にグリムたちが走った。
護衛の薄くなった死角に入るまで、時間はかからなかった。ナナは炎の壁を維持しながら端に移動し、グリムたちを目で追った。ドーガが外側、グリムが内側を走っていた。10名が2列に分かれて後に続いた。
クレモアの護衛歩兵が気づいた。右側から声が上がり、槍を持った歩兵が向き直った。ナナが風を叩きつけると、先頭の5人が足をとられて崩れた。グリムが護衛の間を抜けた。
砲台に飛び込んだ。
グリムの剣が砲の機構に食い込んだ。車輪の軸に刃を当てて体重をかけると、留め具が弾け飛んだ。砲が傾いたところへ、ドーガが反対側から肩を入れた。砲台が地面に落ち、重い音がした。
続く1門へ向かった。クルトが前に出た。砲台の前に素早く土の壁を立ち上げた。高さはそれほどでもないが幅があり、砲を向けても射角が取れない形になっていた。
「良い壁だ」とドーガが言い、壁の陰を抜けて砲台の真横に走り込んだ。機構を壊すのに数秒とかからなかった。
セルマが風を絞り込んだ。クレモアの魔法使いが城壁へ向けて展開しようとした魔法が、横風に押されて逸れた。エリスが残りを炎で弾いた。言葉のやりとりはなかったが、動きはひとつだった。
(エリスが引いていた。最初から3人の位置を見て、動く先を作っていた)
「戻れ!」
グリムの声で全員が走り出した。城門は開いていた。護衛歩兵が追いかけたが、ロスが火を足元に細く走らせ、地面を焼いて数人の足を止めた。その隙に全員が城内へ入り、門が閉まった。
ナナは城壁から南を確かめた。砲が2門、沈黙していた。残り2門は無事だったが、護衛歩兵が再配置に手間取っていた。砲撃が止んでいる間に、ガリンが補修材を抱えて欠けた石を詰めていた。
(2門潰した。砲撃の頻度は落ちる。側面はグラ=ベイルが押さえている)
城門の内側に降りると、エリスが壁際に立っていた。3人に向かって短く何かを言っていた。クルト、セルマ、ロスがそれぞれ頷いた。
「エリス」
「問題ないわ」とエリスが言った。「クルトの土は速くて幅がある。セルマは風の軸がぶれない。ロスは火の絞り方が上手い」
褒めているのかどうか判断しにくい言い方だった。3人は気にした様子もなかった。クルトが「まだやれる」と言い、セルマが「1本、逸らしきれなかった」と返した。ロスだけ「怖いですけど、次も行きます」と言って城壁を見上げていた。次に何が来るかを、自分で測っているような目だった。
グリムが戻ってきた。剣に砂がついていた。肩の袖が裂け、傷が見えた。深くはなかった。
「当たりましたか」
「かすった。問題ない」
「後で手当てをしてください」
「大丈夫だ」
グリムは部隊の確認に向かった。ドーガが横に並んだ。2人が並んで歩くのを、ナナはまともに見たのが初めてだった。背丈はほぼ同じだったが、歩き方が違った。グリムは重心が前に低い。ドーガは背が伸びていて足音が静かだった。兵の扱い方が違うように、体の動かし方も違う。
ナナは城壁に向き直った。
砲撃が再開したのは午後になってからだった。2門からの着弾で、間隔は以前より長くなっていた。ガリンが補修材を運びながら「持つ」とだけ言った。今日いっぱいは、という意味だった。
西のほうから、また衝撃音が来た。さっきより近かった。
(グラ=ベイルが押している)
リーファが城壁の端に立ち、目を閉じていた。精霊と話しているときの顔だった。ナナは近づかなかった。
少しして、リーファが目を開けた。
「グラ=ベイルの部隊が迂回部隊を押し返してる。もうちょっとで街道から切り離せるって、グラ=ベイルの部隊にいる精霊が言ってる」
「ありがとうございます。続けてください」
リーファが頷いて、また目を閉じた。
ナナは南を見た。歩兵の配置が変わっていた。砲の護衛に人数を戻そうとしていた。側面が想定より押し込まれていることへの対応だった。
(読んでいた通りに動いている。クレモアは積み上げた知識で戦っている——だから読めてる。どこかに見落としが必ずあると考えておかなければ)
前世の記憶の中に、上官の声があった。教本の言葉ではなく、作戦前夜に直接言われた言葉だった。「計画通りに動く敵ほど気をつけろ。どこかで外れる。外れた瞬間に何が出るか、そいつ自身も分かっていない」
(クレモアは歴史の中から戦い方を持ってきた。ならば——歴史に書かれなかった判断を、この人はどこでするか)
リーファがまだ目を閉じていた。
ゴルドーからの報告は、まだなかった。




