第69話 半年後
イグレアに来てから、半年が経とうとしていた。
最初の朝のことをナナはまだ覚えている。崩れた石壁と、草に埋もれた中庭と、人が誰もいなかった廃墟の静けさ。あの場所に今、128人がいる。
その朝、オズが帳簿を2冊抱えて来た。いつもより厚く、表紙に「半年集計」と書かれていた。
「半年の集計をまとめました」
オズが帳簿を開いた。
「人口は128名です。イグレア再建当初からおよそ6倍になります」
ナナは何も言わなかった。
「収入の柱は4つです。依頼収入、市場収入、ヴェルナー協定による食料供給、そしてストーンフォールとの石材・鉄材の交易収入。この4本が安定しています。依頼収入と市場収入は月ごとに増えており、財政は先月から黒字に転換しました」
「黒字になりましたか」
「はい。ただし余裕は薄いです。人口が増え続けているので、食料と居住区への支出も同時に増えています」
「農地は?」
「ターニさんの指揮で、今季の収穫で食料全体の3割を自給できました。来年は開墾面積を倍にできる見込みです。再来年には6割を目指せます」
オズがページをめくった。
「建設については、城壁第一区画の完成、居住区の拡張、市場の整備、ギルド出張窓口の設置——これらが半年で完了しています。ガリンさんたちがいなければ、居住区の完成は来年以降になっていました」
「ガリンさんには報告していますか?」
「はい。ストルム王への定期報告も兼ねて、月次で送っています」
オズが帳簿を閉じた。それから少し間を置いた。
「以上です。数字だけで見れば、当初の見込みより早く進んでいます」
「ありがとうございます」
「あと1つ」とオズが言った。「温存していた金貨2枚はそのままにしてあります。使うべき場面が来るまで動かしません」
「分かりました」
オズが出ていった。
ナナは机の上の帳簿に目を向けた。2冊が並び、128という数字が頭の中に残っていた。
(最初は10人だった。グリムと、リーゼと、エリスと——そこから始まった)
帳簿を引き寄せて開くと、数字が並んでいた。収支の欄、依頼の実績、ターニの農地の収量記録、ガリンの建設報告。半年分が積み上がっていた。
(これが半年だ)
ナナは帳簿を閉じた。
昼過ぎ、グレンフォードからの使者が封書を持ってきた。ベラの印章があった。
ナナは封を切った。ベラの筆跡は太く、迷いがなかった。
前例のない形での特例昇格を申請する。
年齢制限の例外規定を適用する。
理由は3点。第1に、ストーンフォール王ストルムならびにフォルケン領主ヴェルナー公爵の双方から推薦状が提出されたこと。第2に、街道安全確保・略奪集団排除・難民支援を含む複数の依頼実績があること。第3に、ギルド内で長期にわたる議論を経て、例外規定の適用が適切であるという結論に至ったこと。
昇格後のランクはBとする。審査は月内に完了する見込み。
そこで文体が変わっていた。
ナナ。
前例がないけど——あなたが初めてで良かったと思ってる。
最初の依頼を出した時、Eランクの子供が来た。正直に言えば、続かないと思っていた。それが続いて、街を作り、人を集め、2つの国から推薦状を取った。
私には関係ない話のはずだったけど、気がついたら見届けたくなっていた。
引き続き、実績を積め。
ベラ
ナナは封書を机に置き、しばらくそのままにしていた。
(ベラさんが見届けると言った。最初の依頼を出した人間が)
窓の外から訓練場の声が聞こえてきた。グリムの声に、ドーガの声が混じっていた。2人の訓練が始まって、もう2週間になる。
夕方、リーゼが来た。
「文書が来たと聞いた。昇格の話か?」
「はい。申請が通れば来月中にBランクになります」
リーゼが少し間を置いた。
「……Bランクか」
「はい」
「Eで始めたんだよな、確か」
「最初の依頼を出してもらった時はEでした」
リーゼが腕を組んで窓の外を見た。しばらく黙っていた。それから短く言った。
「遠くまで来たな」
それだけだった。リーゼはすぐに出ていった。
ナナはその後ろを見ていた。
(リーゼが「遠くまで来た」と言った。リーゼがそう言う時は、本当にそう思っている時だ)
夜になった。
食堂が片付き、城内が落ち着いてから、ナナは城壁に上がった。
南を見ると、農地が広がっていた。脱穀が終わった畝の列が暗い中に続き、西の方には居住区の明かりがいくつか灯っている。128人が眠っていた。
しばらく立ったまま、風が来るのを感じていた。秋が深くなっていた。
(ヴァルがいれば、何と言っただろう)
その問いが浮かんで、自分でも少し驚いた。半年の間、ナナはヴァルのことをあまり考えなかった。ヴァルがいなくなってから毎日やることがあり、迷う前に次が来た。
(「当然だ」と言いそうだ)
そう思うと、少し笑えた。
ヴァルならそう言う。偉そうな顔をして、我が力の成果だと言う。ナナが反論すれば、しばらく黙って拗ねる。それだけだ。
(お前がいない方が余計なことを言われずに済む、とは言わない。そこまで意地悪ではない)
南の農地に風が渡っていた。
ナナは少し間を置いてから、封書をもう一度頭の中で読み返した。ベラの最後の一文が残っていた。
引き続き、実績を積め。
(はい)
声に出さなかった。出す必要もなかった。
ナナは城壁から降りた。
部屋に戻ると、机の上にもう1つの封書があった。
朝に届いていたが、オズの報告の後回しになっていた封書だった。差出人の印章を確かめると、セインだった。
封を切って広げた。
北東の動向について報告する。
ルゼ=アヴァロンが各魔王に向けて使者を送り始めた。目的は不明。ただし規模から見て、単なる交流ではない。何らかの要求か、同盟の打診か——いずれかだろうと見ている。
詳細は来月の定期報告で伝える。
ナナは封書を閉じた。
机の前に立ったまま、少し考えた。
(ルゼが動いた。使者を各魔王に送っている。復興が落ち着いてきたこの時期に動くとは思っていなかったが——動いた)
(何を求めている? 同盟か。それとも服従か。ルゼの純魔族主義から言えば、後者の可能性が高い)
ナナは椅子を引いて座った。
机の上に帳簿が2冊あり、ベラの封書とセインの封書が並んでいた。半年の積み上げの隣に、次が来ようとしていた。
(準備をする。今できることをやる。それだけだ)
ナナは立ち上がった。




