第66話 帰還と報告
レンとジャックが発ったのは夜明け前だった。
ナナは城門で見送った。2人とも荷が少なかった。レンが弓を背負って、ジャックが短剣を腰に差していた。
「10日で戻る」
レンが言った。それだけだった。
城門が閉まった。足音が街道を遠ざかっていった。
ナナは少し城門の前に立っていた。それから中庭に戻った。
10日が経った。
レンとジャックが戻ってきたのは夕方だった。2人とも埃を被っていた。ジャックが少し足を引きずっていた。
「怪我ですか?」
「転んだだけだ」とジャックが言った。大したことではなさそうだった。
レンがナナの前に来た。
「報告していいか」
「はい。中へ」
中庭の奥の部屋に入った。オズが帳簿を持って来た。グリムも来た。
レンが話し始めた。
「アルトハイムの情報収集は完了した。バロウに渡す分はまとめてある」
「ありがとうございます。内容は?」
「北東の街道沿いで魔族の集団の移動が複数確認されている。規模は小さい。方向はルゼの領地に向かっている。バロウが独自に追っていた」
(セインが言っていたことと重なる)
「廃港は?」
レンが少し間を置いた。
「あった」
「船は?」
「3隻。朽ちてはいない。手入れすれば使える。桟橋も残っている。ただし荷を積むには修理が必要だ」
「集落は?」
「廃港の近くに20人ほどの集落がある。漁をして暮らしている。自治を望んでいる。外から来た者を警戒していたが、話は聞いてくれた」
「なんと?」
「港を使いたいなら、集落の暮らしに手を出すなと言っていた」
少し間を置いてから、レンが付け加えた。
「廃港から海が見えた。クレモア領にも海沿いに港がある。——それだけだ」
それだけ、と言った時の声が、報告の声より少し低かった。ナナは何も聞かなかった。
(条件としては、飲める)
オズが帳簿に書き込みながら口を開いた。
「外海に出られれば、物資の選択肢が大幅に広がります。ストーンフォールとの交易も、陸路より海路の方が大量に運べます」
「費用は?」
「船の修理と桟橋の補修が必要です。石材と人手があれば——ガリンたちに相談できます」
「分かりました」
グリムが腕を組んでいた。
「集落の連中は信用できるか」とレンに聞いた。
「警戒心は強い。ただし話した感じでは、嘘をつくような連中ではなかった。海で生きている人間だ」
グリムが頷いた。それ以上は言わなかった。
同じ日、市場に新しい顔が来た。
魔族の商人が2人だった。セインの紹介だと言った。1人が香辛料と薬草を扱い、もう1人が皮革製品を持ってきていた。
マルコが少し珍しそうに見ていた。
「魔族の商人が来るようになったんですか」
「セインさんの紹介です」
「セインというのは」
「フォルケンの情報屋です。先日来ました」
マルコが少し間を置いた。それから「なるほど」と言って、自分の荷を広げに戻った。
市場に人が集まっていた。魔族の商品を珍しそうに見る者もいれば、素通りする者もいた。ヴォルクが遠くから様子を見ていた。問題が起きたわけではなかったが、確認しているのだろうとナナには分かった。
農地の方からターニの声が聞こえた。
夕方、ターニが来た。
手に野菜を持っていた。小さな束だった。きゅうりが3本と、青菜が少し。
「取れました」
それだけ言った。
ナナはターニの手の中の野菜を見た。土がまだついていた。
「ありがとうございます」
「礼はいりません。土が良かっただけです」
ターニが野菜をナナに渡した。それから農地に戻っていった。
ナナは野菜を持ったまま、少し動かなかった。
(ここの土で育った。ここで種を蒔いて、水をやって、育てた)
食堂にオズを呼んだ。
「今夜の夕食に使ってください」
オズが野菜を見た。
「……農地からですか」
「はい。ターニさんが持ってきてくれました」
オズが受け取った。少し丁寧な持ち方をした。
夜になった。
夕食でその野菜が出た。きゅうりが薄く切られて、青菜が汁の中に入っていた。
誰かが「これ、農地のか」と言った。ターニが「そうです」と答えた。
それだけだった。それ以上の言葉は出なかった。ただ、少し静かになって、また食事の音が続いた。
グリムが何も言わずに食べていた。
食堂が片付き始めた頃、レンが出ていくのが見えた。
ナナが後を追った。
レンは中庭に出て、城壁の石段に向かっていた。暗い中でも迷わず歩いた。いつもの場所だった。
「レン」
レンが振り向かずに答えた。
「何だ」
「少し話せますか」
「……いいぞ」
石段に並んで座った。南の農地が見えた。今夜は風があった。農地の端に松明の明かりが1つあった。ターニの見回りだろうと思った。
しばらく黙っていた。
レンが先に口を開いた。
「廃港を見た時、リアのことを考えた」
ナナは何も言わなかった。
「船があった。海がある。クレモア領には港がある——そう思ったら、なぜか考えた」
「はい」
「俺のことは後でいい」
レンが農地の方を向いたまま続けた。
「今やるべきことをやれ。リアの話は、順番が来てからでいい。ただ——」
少し間があった。
「忘れないでくれ」
ナナはレンを見た。横顔だった。いつもと変わらない顔だった。ただ、その言葉だけが違った。レンが「頼む」と言える言葉を持っているとは思っていなかった。
(レンが口にした。今まで口にしなかった言葉を)
「もちろんです」
ナナが答えた。
レンが少し頷いた。それから農地を見続けた。
ナナも農地を見た。松明の明かりが揺れていた。ターニが方向を変えたのか、明かりが少し動いた。
(リアはクレモア領にいる。レンはそれを知っている。そして——待っている)
(待つように頼んだのは私だ。待たせている間も、時間は動いている)
風が来た。農地の土の匂いがした。今夜は少し湿っていた。
レンが先に立ち上がった。
「戻る」
「はい」
レンが石段を降りた。足音が中庭に消えていった。
ナナはしばらく石段に残った。
農地の松明が揺れていた。ターニがまだ歩いていた。夜の見回りは毎晩続いていた。
ナナは南を見たまま、静かに息を吐いた。




