第60話 ヴェルナーの使者
フォルケンから使者が来たのは、訓練が始まって3日目の朝だった。
レンが報告に来た。
「街道に馬車が1台。紋章がある。フォルケンのものだ」
「何人いますか?」
「御者と護衛が2名。馬車の中に1名」
ナナは少し間を置いた。
(フォルケンはヴェルナー公爵の街だ。使者を送ってきた)
「中に入れてください」
レンが出ていった。
馬車が城門をくぐった。
中から若い男が降りた。30歳前後だった。黒い髪を短く整えていた。目が細かった。フォルケンの紋章が入った外套を着ていた。
男が周囲を見回した。
訓練場で30名が走っていた。班ごとに固まって走っていた。グリムの声が聞こえた。「遅い。揃えろ」
中庭に市場の屋根が見えた。マルコが荷を広げていた。農民が種を見ていた。
農地の方から鍬の音が聞こえた。ターニが土を確認していた。若者が畝を作っていた。
男の目が止まった。少し驚いた顔をした。
ナナが近づいた。
「ようこそイグレアへ。私が第七魔王ナナミア・ヴァル=ミリスです」
男が少し驚いた顔をした。それをすぐに消した。
「失礼しました。ヴェルナー公爵の使者、ファルクと申します」
丁寧な口調だった。声が落ち着いていた。
「公爵閣下が第七魔王殿にご挨拶を申し上げたいとのことです」
「承りました。中でお話しましょう」
ファルクが頷いた。もう一度周囲を見た。訓練場を見た。市場を見た。農地を見た。
ナナはそれを見ていた。
(ファルクはイグレアを観察している)
城の中に案内した。
簡素な部屋だった。机と椅子が2つあった。窓から訓練場が見えた。
ファルクが座った。ナナが向かいに座った。
ファルクが窓の外を見た。30名が剣を構えていた。班ごとに分かれて動いていた。グリムが指示を出していた。
「……失礼ですが」
ファルクが口を開いた。
「はい」
「ここは街ですか? それとも城ですか?」
「今は両方です」
ファルクが少し間を置いた。何かを考えている顔だった。
「そうですか」
それだけ言った。
ナナは何も言わなかった。
(ファルクは何を見たのか。それをヴェルナーに報告する)
ファルクが姿勢を正した。
「率直に申し上げます」
「お願いします」
「公爵閣下は南の空白地帯を憂慮しております」
「理由を聞かせてください」
「旧カオス領には難民と略奪集団が混在しています。放置すれば人族国家にも影響が及びます」
ナナは黙って聞いていた。
「公爵閣下は、第七魔王殿が南の安定化に動いていることを評価しております。協力したいと考えています」
「どういう形ですか?」
「食料を提供します。対価として、南の治安維持にご尽力いただきたい」
ナナは少し間を置いた。
(ヴェルナーが動いた。カオスが倒れたことで人族国家も南と向き合う必要が出た)
「文書にできますか?」
ファルクが苦笑した。
「……クレモアの使者と同じことを言われました」
「クレモアも来たんですか?」
「ええ。1週間前に。同じように文書を要求されたと聞いています」
ナナは何も言わなかった。
(クレモアも動いている。ヴェルナーも動いている。南が空白になったことで、周辺の勢力が一斉に動き出した)
ファルクが続けた。
「文書にします。公爵閣下もそれを望んでおられます」
「条件を整理させてください」
ナナが紙を取り出した。羽ペンを取った。
「1つ目。食料の供給。量と頻度を明記してください」
「月に1度、小麦を50袋。塩を10袋」
「2つ目。情報の共有。南の動向を互いに伝え合います」
「承知しました」
「3つ目。互いの領域への不干渉。イグレアとフォルケンは互いの内政に関与しません」
ファルクが少し間を置いた。
「……不干渉、ですか」
「はい」
「公爵閣下が望む形です。承知しました」
ナナが紙に書き出した。3つの条件を並べて書いた。
「この内容で文書を作ります。フォルケンに持ち帰って公爵閣下に見せてください」
「分かりました」
ファルクが立ち上がった。窓の外を見た。
訓練場で30名が剣を構えていた。班長が指示を出していた。中庭でマルコが荷を降ろしていた。農地でターニが畝を確認していた。
ファルクが少し間を置いた。
「公爵閣下にお伝えします」
それだけ言った。
ナナは何も言わなかった。
(ファルクは何を見たのか。それをヴェルナーに報告する。ヴェルナーがどう判断するかは——分からない)
ファルクを城門まで見送った。
馬車が出ていった。
ナナは城門に立って、それを見ていた。
グリムが横に来た。
「使者か?」
「はい。ヴェルナー公爵からです」
「何の用だ?」
「協力したいと」
グリムが少し間を置いた。
「……お前のやり方を見に来たってことか」
「分かりません。でも、観察していました」
「観察?」
「訓練場も、市場も、農地も見ていました」
グリムが訓練場を見た。30名が剣を構えていた。
「お前が街を作ってるのを確認しに来たんだろう」
「そうかもしれません」
ナナは街道を見ていた。馬車が見えなくなった。
(外交が始まった。ファルクがイグレアを見た。それをヴェルナーに報告する。クレモアも動いている。南が空白になったことで、周辺が一斉に動き出した)
(これが調停者のすることなのか。まだ分からない。でも——)
訓練場から声が聞こえた。中庭から人の声が聞こえた。農地から鍬の音が聞こえた。
(守るために動く。それだけは変わらない)
ナナは城門を閉めた。
その夜、オズが報告に来た。
「人口が55名になりました」
「分かりました」
「市場に来る商人が増えています。マルコさん以外に2名来ました」
「誰ですか?」
「1人は布を売る商人です。もう1人は鉄製品を売る商人です。どちらもグレンフォードから来ました」
オズが帳簿を開いた。
「市場の出店料と通行料で、今月は銀貨15枚の収入になります」
「分かりました」
「来月はもっと増えます」
オズが帳簿を閉じた。
「ベラさんが明日来ます。ギルドの窓口を設置するそうです」
「場所は用意してありますか?」
「はい。中庭の一角に机と椅子を置きました」
「ありがとうございます」
オズが出ていった。
ナナは窓から中庭を見た。市場の屋根があった。明日ギルドの窓口ができる。
(人が集まっている。商人が来る。使者が来る。イグレアが拠点になっていく)
ナナは何も言わなかった。




