第47話 決戦の幕開け
夜明け前にイグレアを出た。
城門の前に全員が集まった。黒い翼の18人とリシュア。ゴルドーは北の峠に残った。グリムは左腕に包帯を巻いていて、それでも前に立っていた。リーゼがその隣にいつも通りの顔をしていた。レンが後ろを向いて周囲を確認していた。エリスがリーファと小声で話し、オズが荷物の数を確かめ、ダリオが班員に何かを言い、リシュアが端の壁に寄って立っていた。
ナナは全員を順に見た。
「出発します」
歩き始めた。
南の平野に着いたのは昼前だった。
グラ=ベイルの旗が見えた。フェンリルが待っていて、獣人族の部隊が整列していた。200人以上で、装備が重かった。前に来た援軍とは別の部隊だった。
「遅かった」
「距離がありました」
「主が来ている」
ナナは少し間を置いた。
「グラ=ベイルが直接来ているのですか?」
「ああ」
グラ=ベイルが馬に乗ってこちらに来た。鎧を着て槌を背負っていた。馬が少し沈んでいた。それだけで、周囲の空気が変わった。獣人族の部隊が少し背筋を伸ばした。
「来たか、第七魔王」
「来ました。直接来ていただけるとは思っていませんでした」
「招集したのは私だ。分担防衛協定の議長国として責任を取る」
「ありがとうございます」
「礼は後でいい。精霊族は?」
「来ます。もう少し待ってください」
30分後、リーファが精霊族の一団を連れてきた。長老が3人いて、弓を持つ者が20人以上いた。長老の1人がナナを見た。小柄で目が細かった。
「話は聞いている。やってみよう」
「ありがとうございます」
「ただ精霊は消耗する。無限には使えない」
「分かっています」
さらに30分後、ベルグランドの獣人族が来た。グラ=ベイルの別動隊で、重装備で盾が大きく、100人以上だった。全員が平野に揃った。ナナは人数を数えた。
(500を超えている)
前世でも、これだけの人数の前に立ったことはなかった。小隊長が最大で、その小隊は12人だった。
グリムが横に来て、小声で言った。
「……緊張しているか?」
「しています」
「そうか。俺は慣れている」
グリムが前に出た。ナナもついていった。全員がナナを見た。静かだった。風があり、旗が動いた。平野が広く、南の地平線が遠かった。
「第七魔王ナナミアです」
声を張った。小さな身体から出た声が、平野に広がった。
「今日、皆さんにお願いすることは1つです」
少し間を置いた。
「生き残ってください」
風が鳴った。旗が動いた。
「勝つことより、生き残ることを優先してください。死ねば守れるものも守れません。生きていれば、また戦えます。私はそのために戦術を設計します。皆さんには設計通りに動いてもらいます。設計が崩れた時は、まず自分の命を守ってください」
グラ=ベイルが馬のままナナの横に来た。
「……なかなか言うな」
「必要なことを言っただけです」
「生き残ることを最優先にしろ、か。普通の指揮官はそんな命令を出さない」
「普通の指揮官ではありません」
グラ=ベイルが短く笑った。
「そうだな」
ナナは続けた。各部隊の配置と役割を伝えた。グラ=ベイル軍は正面突破を担当し、精霊族は後方から転移封じと地形誘導を担い、ベルグランドの重装部隊は側面を受け持ち、黒い翼が各部隊の支援と機動戦術を担当する。全体指揮はナナが取る。
「質問はありますか?」
全員が黙っていた。
「では、配置についてください」
全員が動き始めた。グラ=ベイルが前線に向かい、フェンリルがベルグランドの指揮官と話し、リーファが精霊族の長老に説明し、グリムが第1班に指示を出した。ナナは丘に上がった。全体が見えた。
(これが軍だ。傭兵団ではない、軍だ)
午後、レンが来た。
「見えた」
「どのくらいですか?」
「……1000は超えている。先日の3倍以上だ」
ナナは南を見た。地平線が黒くなっていた。動いていた。
(1000以上。設計はある。崩れない限り、もつ)
「エリス——」
「結界、張った。転移は封じた」
「リーファ——」
「精霊を放った。地形誘導の準備ができてる」
「グリム——」
「配置完了だ」
グリムが南を見た。
「……多いな」
「はい。怖いですか?」
「……慣れている」
「私は怖いです」
「知ってる」
グリムが前線に戻っていった。黒い塊が近づいていた。地面が少し揺れ始めていた。
来た。
地面が揺れた。黒い塊が走ってきた。統率はなかった。数だけがあった。最前列が崩れた個体の上を踏みつけて来る、それだけの圧力だった。
「リーファ——」
「もう動いてる」
風が南から北に流れた。精霊の風で、音が低く変わった。第六魔王軍の先頭が左に動いた。崖沿いに入った。
(誘導が効いている)
「フェンリル——右翼の密集を崩してください。ベルグランドに伝えてください」
フェンリルが走っていった。右側面でベルグランドの重装部隊が動いた。速くはなかった。重装の獣人族が盾を構えて前進し、第六魔王軍の右翼にぶつかった。金属と骨が混ざったような音がした。盾が押し合う低い音が続いた。右翼が崩れた。
(予想より早い)
グラ=ベイルの軍が正面から突入した。グラ=ベイル本人が先頭にいた。大きな槌を持ち、馬を降りていた。地を踏む一歩ごとに重さがあった。先頭の個体が槌に当たると、弾かれた、ではなく、消えた。2体、3体が同時に吹き飛んだのではなく、そこにいた空間が一瞬空になった。グラ=ベイルが進むたびに、正面の密度が下がっていった。
(あれが正面を任せた理由だ。数の論理を一人で崩せる)
ナナは全体を見た。
左翼——崖に押し込められた群れが詰まっていた。
「エリス——左を絞ってください」
「分かった」
炎の壁が左翼の出口を塞いだ。密集した。逃げ場がなかった。
「グリム——左に第1班を入れてください。密集した状態を崩します」
グリムが動いた。第1班が崖沿いに走り、密集した群れの横から入った。大剣が振れる空間があれば、密集しているほど当たる。10分で左翼の前半が崩れた。
その時、右側面の端が薄くなっていた。崩れた第一波の残存が、ベルグランドの隙間を抜けようとしていた。フェンリルが気づいていなかった。
「雷鎚陣」
丘の下、右側面の地面に魔力陣が広がり、雷が走った。残存の群れが止まった。フェンリルが振り返り、ナナを見て頷いた。
(魔力残量を確認する。まだいける)
15分で左翼が半壊した。1時間後、第一波が崩れた。
負傷者が出ていた。グラ=ベイル軍に3人、ベルグランドに2人、黒い翼に1人、ジャックの左腕に傷があった。動いていた。
「オズ——」
「見えてます。今行きます」
オズが走っていった。
第二波は止まらなかった。前の個体が倒れても後続が来た。倒れた個体を足場にして越えてくる。圧力が途切れなかった。
正面——グリムの第1班が少し後退していた。
「グリム——右に20歩下がってください。左の崖に引きつけます」
「分かった」
グリムが下がり、正面の敵が追い、左に寄った。
「エリス——左の出口を塞いでください。魔力はどのくらい残っていますか?」
「……あと2回は張れる。3回目は分からないけど」
「2回で十分です」
炎の壁が立ち、左翼が詰まった。ナナは魔力を確認した。
(残量6割。次に使うなら広範囲を一度に処理できるものがいい)
正面で音がした。グリムの班が押されていた。第1班のカイルが転んだ。起き上がった。後続が来ていた。カイルの前が一瞬空いた。
「黒閃斬」
闇の刃が正面に横一線に走り、先頭の列が止まった。2列目が詰まった。カイルが立ち上がり、グリムが前に戻った。
(魔力5割を切った。次は選んで使う)
そこからの1時間は全体を見続ける時間だった。
崩れそうな右側面にベルグランドを動かした。後退しかけた第3班をリーゼが押し戻した。リシュアが後方の個体を単独で処理した。どこかが崩れる前に、崩れる気配を見て動かし続けた。
オズが丘を上がってきた。
「医療物資があと半日分です。動けない負傷者が9人。軽傷で動いている者が14人」
(動けない者が9人。想定より多い)
「後送を急いでください。動けない者は全員イグレアに運んでください。ジャックとジョンを後送に使ってください」
「承知しました」
オズが降りていった。
リーファが来た。顔色が悪かった。
「精霊が限界に近い。誘導の精度が落ちるかもしれない」
「あと30分持ちますか?」
「……確実に持つのは30分だよ」
「30分で十分です。最後の誘導をお願いします。南の崖沿いに残存を押し込んでください」
リーファが頷いた。風が流れた。残存が崖沿いに動いた。
開戦から3時間が経った。
第二波が崩れ始めた。先頭が止まり、後続が押した。前に進めなかった。圧力が逆流し、後列が混乱した。そこにグラ=ベイルが右から突入した。10分で崩れた。撤退が始まった。
「全部隊——追撃禁止です。持ち場を維持してください」
レンが走ってきた。
「第三波はいない。南の平野が空になっている。ただ南の地平線に、大きな影が見えた。単体だ。動いていない。こちらを見ている」
ナナは南を見た。地平線は暗く、何も見えなかった。ただレンがそう言ったなら、そこにいる。
(カオスだ。軍を使い切った。次は本人が来る)
グリムが丘に上がってきた。
「……終わったか?」
「第二波は終わりました。カオス本人が来ます」
「いつだ?」
「今夜か、明日の朝だと思います」
「全員に伝えるか?」
「伝えます。休める間に休んでもらいます」
グリムが頷いた。
「お前も休め」
「少しだけ」
グリムが短く息を吐いた。それ以上は何も言わなかった。前線の方へ戻っていった。
ナナは南を見た。
地平線に、大きな影があった気がした。動いていなかった。ただこちらを見ていた。




