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第七魔王戦記 ~少女魔王は戦場にて微笑む~  作者: 猫じゃらし
第4章 魔王たちの交差する意思
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第46話 魔王砲零式

 球だった。


 暗い光が手の前に浮いていた。小さかった。密度があった。重さがあった。触れれば消えると分かっていても、触れたくない種類の重さだった。


 カオスが近づいてきた。ナナは動かなかった。あと3歩だった。あと2歩だった。


「魔王砲——」


 あと1歩だった。


「零式」


 放った。


 音がなかった。光が走った。暗い光で、直線で、曲がらなかった。カオスの胸に当たった。一瞬、何も起きなかった。次の瞬間、カオスが後ろに飛んだ。大きな身体が地面を滑り、10歩、20歩、30歩と距離を稼いでから止まった。


 ナナは前を向いたままだった。


 カオスが立ち上がった。胸に穴があった。鱗が消えていた。黒い肉が見えた。煙が出ていた。それでも立ち上がった。


(倒れない)


 カオスの赤い目がナナを見た。何かが変わった。怒りではなかった。恐れでもなかった。もっと原始的な何かだった。カオスが一歩下がり、もう一歩下がり、そのまま南の平野に向かって歩き始めた。


 ナナは動かなかった。


(追わない。追う余力がない)


 カオスが遠ざかった。平野の端まで歩き、そこで止まった。振り返らなかった。低い音がした。言葉ではなかった。


(また来る)


 カオスがまた歩いた。今度は止まらなかった。地平線の向こうに消えた。ナナは息を吐いた。



 その瞬間、身体が重くなった。急だった。足から力が抜け、手が重くなり、魔王化が解けていく感触があった。熱くはなかった。ただ重かった。体の中心から何かが引いていくような感覚で、額の模様が消えていくのが分かった。


(まずい)


(まだ——意識がある)


 ヴァルの声がした。遠かった。


『……よく——』


 続きが聞こえなかった。


(ヴァル?)


『……ナナ』


 声だった。ただどこか遠い場所から来ていた。壁の向こうから聞こえるような、そういう遠さだった。


(聞こえる)


『……よくやった』


 ナナは地面に手をついた。視界が暗くなった。グリムが走ってくる音がした。


「——ナナ」


 声が遠かった。地面が近くなった。



 声が聞こえた。遠かった。


「——ナナ。聞こえるか?」


 グリムだった。ナナは目を開けた。天井があった。イグレアの天井だった。石の目地の形に見覚えがあった。自分の部屋ではなかったが、この城の中だった。


(運んでくれたのか)


 グリムが横にいた。椅子に座って腕を組んでいた。


「……目が覚めたか?」


「はい」


「何時間経ったか分かるか?」


「分かりません」


「3時間だ」


 ナナは身体を起こそうとした。


「動くな」


「動けます」


「動くな」


 グリムが少し強く言った。ナナは動かなかった。


「全員、無事ですか?」


「無事だ。お前が倒れた後、カオスは来なかった。全員城壁の内側にいた。昨日の戦闘の続きで軽傷が2人増えたが、動ける」


「ありがとうございます」


「俺に言うな。全員がいた場所にいただけだ」


 グリムが立ち上がった。


「エリスを呼ぶ。待っていろ」


 グリムが出ていった。



 1人になった。ナナは天井を見た。


(ヴァル)


 少し間があった。いつもより長かった。


『……起きたか』


 声だった。昨日より遠かった。昨日が壁の向こうだとすれば、今日はその壁がもう一枚増えたような感覚だった。


(聞こえる)


『……そうか』


(大丈夫か?)


『……我のことは気にするな。今日はゆっくりしろ』


 ヴァルが少し間を置いた。


『よくやった』


 昨日も同じ言葉だった。ただ今日の方が、少し遠くから来ていた。ナナは天井を見たまま少し間を置いた。


(守れた)


『……ああ』


 それ以上、ヴァルは何も言わなかった。ナナも何も言わなかった。ただ天井を見ていた。



 エリスが来た。グリムと一緒で、後ろにレンとリシュアがいた。エリスがナナを見た。


「顔色が悪い」


「昏睡していたので」


「分かってる。もう少し寝てていいのに」


「目が覚めました」


 エリスが少し笑った。椅子を引いて座った。


「魔力の消耗は——回復まで2日はかかると思う。無理に動かないで」


「分かりました」


 レンが部屋の端に立った。リシュアが扉の近くに立った。グリムが壁際に腕を組んだ。全員がそれぞれの場所にいた。


(全員いる)


「……ありがとうございます」


 グリムが短く息を吐いた。


「礼は後でいい。今日は寝ていろ」


「はい」



 夕方、オズが文書を持ってきた。


「バロウからです。急ぎとのことでした」


 ナナは文書を受け取り、読んだ。2枚あった。1枚目——クレモア=クロックの使者がイグレアに向かっている。到着は3日後の見込み。内容は不明。2枚目——第一魔王ルゼ=アヴァロンが北東に向けて独自に兵を動かしている。目的不明。


(クレモアが来る。ルゼが動いた)


 ヴァルを呼ぼうとした。やめた。


(今日は休む。ヴァルも言っていた)


 ナナは文書を折った。窓の外が暗くなっていた。今日守れた。それは確かだった。明日、また考える。



 翌朝、レンが来た。


「動けるか?」


「動けます。ただ今日は部屋にいます」


「報告する。座っていいか?」


「どうぞ」


 レンが椅子を引いた。


「ルゼの動きを確認した。北東に向けて兵を動かしている。規模は200前後で、まだ国境を越えていない。手前で止まって様子を見ている。こちらの動きを確認してから判断する気だと思う」


「第六魔王の動きは?」


「撤退した。南の平野から姿が消えた。ただ完全に退いたわけではないと思う。カオスはまた来る」


「はい」


 ナナは机の上に昨日の文書を広げた。


「2つ同時に動いています」


「そうなる」


 レンが出ていった。ナナはヴァルを呼んだ。


(ヴァル)


 少し間があった。昨日より長かった。


『……なんだ』


 遠かった。でも聞こえた。


(100年前、第一魔王と第六魔王が同時に動いた時、どちらを先に対処したか?)


『……第六魔王を先にした。ルゼは様子を見る。動くより先に相手がどう動くかを見る。その間に第六魔王を片付けた』


(今回も同じ構図だ。ただ100年前と違うのは、今は同盟がある)


『……連合を組むつもりか?』


(黒い翼だけでは足りない。精霊族・ベルグランド・ゴルドー。使える力を全部集める。分担防衛協定を連合戦力に転換する)


 ヴァルが少し間を置いた。


『……大きく動くな。お前らしくない』


(守るためだ)


『……そうか』


 ヴァルは黙った。ナナも黙った。窓の外で風が鳴った。



 昼前、グリムが来た。


「顔色が昨日よりいい」


「少し回復しました」


 グリムが椅子を引いた。


「話がある顔をしている」


「はい。方針を決めました」


 ナナは文書を2枚グリムに渡した。


「ルゼの動きとクレモアの使者の件です。両方同時に対処するのは無理です。順番をつけます。まずカオスを完全に撃破します。カオスが来る前に、来られない状態にする。そのためには今の黒い翼の規模では足りません。連合を組みます。精霊族・ベルグランド・ゴルドー、グラ=ベイルにも参加を要請します。分担防衛協定を連合戦力に転換する形です」


 グリムが文書を見た。


「……まとめられるか?」


「まとめます。ルゼが様子を見ている間に動けば——カオスを先に片付けられます。ルゼが動いたら、その時はその時に対処します。2つを同時に対処するより、1つずつの方が確実です」


「クレモアの使者は?」


「3日後に来ます。話を聞きますが、何を提案されても今は動きません。カオスの件が片付くまで、クレモアとの交渉は保留します。断れば敵対します。今は敵を増やしたくない」


 グリムがしばらく黙った。文書を机に置いた。


「……連合の話——どこから動く?」


「リーファを通じて精霊族に打診します。リーファは今日呼べますか?」


「呼んでくる」


 グリムが立ち上がった。扉に向かって、止まった。


「……無理するな」


「はい」


「昨日は倒れた。今日はまだ回復中だ。頭だけ使え。身体は使うな」


 グリムが出ていった。



 リーファが食堂の椅子に座っていた。朝食を食べていた。ナナを見て立ち上がった。


「——来た。大丈夫?」


「回復しました。話を聞いてください」


 2人で向かい合って座った。


「精霊族の長老に連合への参加を打診したいです。リーファ、橋渡しをお願いできますか? 戦力としての参加で、転移封じの結界支援・地形誘導・後方の精霊網による情報収集——今まで通りの形に加えて、本格的な戦力として動いてほしい」


「……どういう形での参加?」


「今説明した通りです。長老が慎重なのは分かっています。ただ精霊族の領域もカオスの影響を受けています。守るために動く理由はあるはずです」


 リーファが少し考えた。


「……私から話してみる。返事には2日か3日かかるかもしれない」


「十分です。お願いします」


 リーファが頷いた。朝食の残りを食べて立ち上がった。


「終わったら報告する」


 リーファが出ていった。



 昼前、グラ=ベイルへの文書を書いた。内容は短くした。


「分担防衛協定を連合戦力に転換したい。第六魔王の完全撃破を目標とした合同作戦の参加を要請する。詳細は使者を立てて話し合いたい。——ナナミア」


 フェンリルへの伝言としてレンに渡した。


「急ぎでお願いします」


「分かった」


 レンが出ていった。



 昼過ぎ、ゴルドーが来た。扉を3回ノックした。重い音だった。


「開いています」


 ゴルドーが入ってきた。巨大な体格で戦斧を背負っていて、部屋が少し狭くなった気がした。


「よう、嬢ちゃん。また面倒なことになってるな」


「なっています」


「話は聞いてる。カオスが来て、魔王化して、ぶっ飛ばしたんだろ?」


「後退させただけです。撃破できていません。また来ます。今度は今の規模では足りません」


 ゴルドーが椅子を引いた。座った。椅子が少し沈んだ。


「俺に何をしてほしい?」


「北の黒森峠を引き続き守ってほしいです。連合軍が南で動いている間、北を空けるわけにはいきません。ゴルドーに北を守ってもらえれば、私たちは南に集中できます」


「……俺は南に行かなくていいのか?」


「北が抜ければ終わりです。最も重要な役割です」


「お世辞は下手だな、嬢ちゃん」


「本当のことです」


 ゴルドーが少し笑った。


「分かった。峠は任せろ。いざとなれば呼べよ。俺も行く」


「その時が来たら呼びます」


「約束だぞ。嬢ちゃん、無理するなよ。倒れたって聞いた」


「回復しました」


「顔色がまだ悪い」


「2日で治ります」


「……強情だな」


 ゴルドーが立ち上がった。部屋が少し広くなった。出ていきかけて、扉の前で振り返った。


「前の第七魔王も強情だったぞ。そういう奴が長生きする」


 ゴルドーが出ていった。ナナは少し間を置いた。


(前の第七魔王ヴァル)


(強情、か)


 ヴァルに問いかけようとして、やめた。今日はゆっくりしろと言っていた。



 夕方、オズが来た。紙の束を持っていた。


「補給の試算が出ました。連合軍の規模を500人と仮定した場合、3日分の補給を確保するには食料・水・医療物資合わせてこれだけの量が必要です」


 オズが紙を机に広げた。数字が並んでいた。


「現在の備蓄では2日分が限界です。差分はマルコに相談すれば3日以内に手配できると思いますが、費用が」


「費用はいくらですか?」


 オズが数字を出した。


「分かりました。マルコに依頼してください。今日中に」


「承知しました」


 オズが立ち上がりかけた。


「オズ。ミラの医療記録、引き継いでくれていますね」


「はい。全員分、続けています」


「ありがとうございます」


 オズが少し間を置いた。机の上の書類に目を落として、それからナナを見た。


「……ミラが残したかったものですから」


 オズが頭を下げた。出ていった。



 夜、グリムが来た。レンの進軍ルートの最終案を持っていた。


「レンからだ。南の平野への最短経路と、退路の確保ルートが2案ある」


 ナナは地図を広げた。2人で見た。


「こちらの経路が補給線を短くできますが、露出が多いですね。こちらは時間がかかりますが、崖を背にできます」


 グリムが少し指で地図を叩いた。


「……遅い方がいいな。連合軍は足並みが揃わない。速度より安全を取れ。複数の組織が動く時は、一番遅い部隊に合わせた設計にしないと崩れる」


「同意見です。こちらに決めます」


 グリムが頷いた。


 少し間を置いた。


「……初めてだな」


「何がですか?」


「お前が軍を率いるのが。黒い翼は傭兵団だ。軍じゃない。今回は違う。500人を動かすのは軍だ」


 ナナは地図を見た。


(軍、か。前世でも、軍の一員だった。ただ率いたことはなかった。小隊長が最大だった。500人は、別の話だ)


「怖いか?」


 グリムが静かに聞いた。


「怖いです」


「そうか」


「でも、やります」


 グリムが少し頷いた。腕を組んで、地図を見た。


「……そう言うと思っていた」


 2人でしばらく地図を見た。


「クレモアの使者が明日来る」


「分かっています。話を聞きますが、何を言われても今は動きません。カオスの件が片付くまで、クレモアとは距離を置きます」


 グリムが地図を折って渡した。


「今日は寝ろ。明日は長い」


 グリムが出ていった。ナナは地図を机に置いた。窓の外で夜風が鳴っていた。


 準備は整いつつあった。ただ整いつつある、というだけで、整ったわけではなかった。

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